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ぞっとした。
奴隷を持つ国が崩壊する理由を、フェリージアは衝撃を伴って認識した。
滅びろと、呪詛の声が聞こえてくる気がする。
(人を家畜のように、玩具のように扱うことに全く抵抗のない彼女の、どこに純真無垢さがあるというの?)
凶器と言って良いほどに残酷な言葉を放ちながら、無邪気に微笑んで見せる公女。
貴族でない者に対してのその非情さが、生理的に受け入れられずに怖気が立つ。
不快感に、早く彼女から離れたくて仕方がない。けれど、それ以上に怒りと、リュクレスを守りたい思いがフェリージアを支えた。
「…なんて醜い人。人を傷つけることを笑って話せる貴女のどこに慈愛などあるというの?貴女は中身を磨きなさい。砂糖菓子のような外見以外、何の魅力もないもの」
断じるように、フェリージアは言い放った。言葉の矢はアリューシャに突き刺さり、蜂蜜の瞳に鋭く傷が生まれる。
「酷い…」
驚いた。
自分の投げた言葉で相手が傷つくことはわからないのに、自分は傷つく事ができるのか。その無神経さが、また腹立たしい。
「酷いのは貴女の方。何も考えずに放った言葉が人を傷つける刃物だと知らないままに、貴女は振り回したのだから。知らなかったというなら、その無知さは罪よ。逆に聞きたいわ、さっきあの子に価値はないと言った。貴女にどんな価値が?」
姫は哀れむような瞳をフェリージアに向け、首を傾げた。
「言わなければわかりませんの…?」
あらあらとでも、言いそうな彼女に向かい、フェリージアは厳しい眼差しを向けた。
一国の姫同士、どちらも立場的には同等。国力の差からすれば、実質的にはスナヴァールの方が上位の国となろう。その相手を、アリューシャは見下し、愚か者扱いした事にどうやら気がついていないらしい。
「…本当に無礼な人。貴女は公国の姫かも知れない。けれど、私もスナヴァールという王国の王女だということを理解すべきね。王族としての地位?それは貴女自身の価値ではなく、生まれ持っただけのものでしょう?外見?とても可憐だけれど、スナヴァールの真珠と言われた姉や私が劣るとは思わない。将軍は美しい女性を好んでいたようですし」
「けれど、あの侍女は…」
「隣で彼を支えるだけの心を持っていたからこそ、可憐な彼女を選んだのであって外見だけで選んだわけではないでしょう。それを、飾るなどと…っ。将軍を見くびるのもいい加減にしなさい。あの子はとても強い。人の心ごと守ろうとしてくれる。空気を吸うように人を蔑むことの出来る貴女と一緒にしないで」
「……」
全てを否定されて、王女は泣いた。蕩ける様に目から零れ落ちる涙に頬を濡らす様は、確かに美しかった。
だが、感動を覚えない、それは空っぽなうつくしさだ。
庇護欲を誘う、穢れのない、大切に箱の中で育てられた姫。
悲劇のヒロインのような風情をみようとも、フェリージアには罪悪感など浮かばない。
あるのは嫌悪感ばかり。
彼女は自分の非を理解していないどころか、全く受け止めようとはしていない。どれほど伝えようとしても、彼女には響かない。これでは、穢れようがない。
途方もない脱力感を感じなからも、フェリージアは将軍の言葉を思い出していた。
(本当ね)
子供のように無邪気に人を傷つけて、無垢なままでいられる彼女は純粋な悪意よりも質が悪い。
そして、フェリージアはルクレツィアの言葉をも理解した。
王女としての自尊心と、民を思う慈愛。
どちらも彼女にはない。
だからこそ親しみを感じさせながら、人を蔑ろにできるのだ。
「…貴女はまるで赤ん坊。世界は自分中心に回ってはいない。守られるべきものは貴女とは限らない。誰にだって大切な人がいるのだから」
「なぜ、私が大切にされないの?」
「だって、貴女、自分にしか優しくないのだもの。彼女はどれだけ辛くあたっても、私に優しかったの。私を見て、認めてくれた。だから、私もあの子に優しくしたいと思った。人間など単純なものよ。やさしくされれば優しくしたいと思う。大切にされれば、大切にしたいと思う。…貴女は?誰かを大切にした?大切にしたのは貴女自身だけでしょう?そんな人を、多くの国民を守護するこの国の将軍が選ぶわけはないわ」
将軍に頼まれたからではない。
…こんな姫にあの子を傷つけさせてなるものか。
胸が苦しくなるくらいの憤り。やるせなさ。
「あの子に近づかないで。そこにいる騎士にも伝えておくわ。万が一にも、この姫があの子に接触するのであれば、将軍だけでなく、スナヴァールの王女を敵に回すのだと覚えておきなさい。私は口にしたことを翻したことは一度もないの」
過保護を通り過ぎて滑稽だ。彼は戸惑いを浮かべながらも、公女の愚行を止めようとしなかった。もしかしたら、公子の方から傍観せよとの指示があったのかもしれないが、そんなこと知るものか。
正面にひたりと騎士をみつめると、フェリージアは彼女たちをそのままに、ドレスを翻して自室へと引き返した。
将軍、見ていたかしら。…いえ、きっと一言だって聞き漏らしてはいないはず。
そして、公子は…彼女の兄は何を思う?
あれを見て、まだ純真無垢だと言い張るのだろうか?
彼女は全く諦めていない。
言葉が通じないようなあの無力感。
そして、悪意を認識しないあの無邪気さは醜悪でとても危険だ。
あれは、リュクレスを害する。害して、傷つけてなお、当然とばかりに微笑むに違いない。
剥製にして飾る?それは彼女の命を奪うということだ。どれだけ残酷なことを言っているのか、彼女は分かっているのか。
将軍の言うように、彼女自身が物語の中で生きているようなものなのだろうが、この世界は作り物のお話ではない。
皆、痛みも喜びも感じる心を持ち、生きているのだ。
誰もがその人生の主人公であり、彼女の物語のために生きる登場人物などでは、決してない。
あんな自己中心的な人間、初めて見た。
「何が慈愛に満ちた姫よ。自愛の間違いじゃない」
(将軍、お願いよ。絶対に守ってね)
あの狂気のような無邪気さから、私たちの大切なあの娘を。




