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煌びやかな王宮内の優雅な静謐と、差し込む日向の温もり、明るい回廊には場違いなほど冷ややかな緊張感。
糸が張られたような空気を全く気にする様子もなく、声を掛けられた娘は、軽やかに振り返った。
結い上げられたふわふわの金髪が淡く霞むように眩しく、視線が合うと彼女は子供のように目を輝かせた。
「あら、貴女は…、まぁ、スナヴァールの姫様ね?その薄紅の髪色でわかりますわ。噂に違わずとっても美しいのですね」
フメラシュの公女が両手を合わせて、蜂蜜色のとろりとした瞳で見つめるのを、フェリージアはなんとも言えない気持ちで見返した。
彼女の可愛らしい声が告げるのは、紛うことなき賛美の言葉。
そこに妬みや謗りはなく、純粋に美しいものを見たときの感嘆が見て取れる。
フェリージアは、小さくため息を漏らした。
そこに混じるのは喜びではなく、呆れだ。
間違いでなければ、この公女はフェリージアやリュクレスと歳は変わらないはず。姿形だけならば、リュクレスの方が余程幼げかもしれない。
だが、中身は、同い年とは思いたくないほどに子供じみている。
(私も相当だったと思うけれど…)
人のことを言えないくらい愚かな王女だった自覚はある。
フェリージアは、眉を顰めそうになるのを堪えて、ドレスの裾を摘み、形ばかりは完璧に挨拶を返した。
「…お会いするのは、晩餐の場以来2回目ですわ。アリューシャ殿下。繰り返しますけれど、私の侍女をお探しになっているとか。何故かしら?」
挨拶したことのある相手の名を忘れることは確かにある。だが、まさか会ったことすら覚えていないとは思わなかった。古い話ではない、数日前のことだ。それを隠そうともしていないのだから、いくら深窓の姫とは言え浮世離れしすぎてはいないか。
純真無垢と無知蒙昧の意味を履き違えているとしか思えず、褒め言葉のつもりかもしれないが、素直に受け取れるものではない。
何より彼女への敵愾心が、フェリージアの纏う雰囲気を硬化させているのに、向かい合う姫には全く届いていないのだ。
親しげに、砂糖菓子のような甘さを振りまいて、彼女は可愛らしく微笑んだ。
「個人的なことですのよ?ささやかな気遣いなのです。ヴィルヘルム様と私の婚約を、直接貴女の侍女に伝えたいと、そう思ったのですわ。神の采配とはいえ、私の恋の障害に布石されてしまった哀れな娘に、感謝と慈悲を。もう、私たちの邪魔などしなくて良いと伝えれば、彼女もきっと喜ぶわ」
言っている意味がわからなくて、フェリージアは訝しげに眉を寄せる。
「喜ぶ?」
「ええ、だって、私が幸せになるのですもの。それを喜ばないはずないでしょう?」
さも、それが当然の事実であるかのように、公女は躊躇なくそう言った。そんな彼女に、フェリージアは唖然とする。
…なんて身勝手で、独りよがりの言葉だろうか。
思わず、嘘つきと罵りたくなるのを、奥歯を噛み締め必死に堪えた。
頭の中で火花を散らすのは、強烈な怒り。
「…将軍は貴女を選んでなどいない。哀れまれるような思いをあの子がすることはないわ」
搾り出すように出された声は、感情を抑えきれずに少しだけ引き攣れた。
アリューシャが、きょとんと目を瞬かせる。悪意など欠片もないと言わんがばかりのその表情に余計と負の感情が煽られる。
「なぜ?」
「貴女の言葉に真実はないからよ」
ヴィルヘルムと彼女との婚約など成立していない。それどころか、縁談は白紙に戻されている。
向けられる厳しい眼差しに、公女は初めて戸惑いを浮かべた。
「私を嘘つき呼ばわりなされるの?公女であり多くのものを将軍に与えられる私か、何の価値もなく与えられるものもない平民の彼女か。どちらを選ぶかなど、誰の目にも明らかなことでしょう?私に嘘を付く必要などないわ」
真実しか語らないかのような真摯な声音が、困惑を滲ませて語りかけてくる。
(ああ…もうっ!人間不信に陥りそうだわ)
将軍の人となりを知らなければ、彼女の言葉を信じたかもしれない。
それほどに彼女の瞳は真っ直ぐで純粋に見える。だが、その言葉に真実はない。
どうしてこうも白々しい嘘が付けるのかと、彼女の神経を本気で疑って、腹を立て。
そして、フェリージアは気がついた。
嘘をついているつもりなど、ないのだ。彼女の中では、それが純然たる事実。
彼女の望むことが彼女にとっての真実であって、語られる言葉に嘘偽りはない。
…どれだけでも優しい姫であれるはずだ。
自分に都合の良いことしか信じずに、周りの人間の心を、踏み躙っておきながら、相手の心を慮る優しい公女であると自画自賛の愉悦の中にいるのだから。
フェリージアは呆れを通り越して、吐き気がしてきた。
湧き上がる悪感情が、彼女の心を支配する。
重たい何かを吐き出すように、フェリージアは大きく深呼吸をしてそれから、真っ直ぐに不愉快な公女に対峙した。
「…貴女の真実は、貴女以外の者にとって真実ではないわ。将軍は、身分に恋をしたわけではないもの。あの子自身を愛している将軍が、たとえ公女であろうとも貴女を選ぶはずがない」
「…まぁ、愛しているなどと、変なことおっしゃらないで。貴女だって犬や猫を愛でることはあっても、それに恋情など抱かないでしょう?それに、彼女とて貴族との結婚を本気で望むほど厚かましくも、恥知らずでもないはずだわ。…私は、彼女の良心を信じたいのです」
「…っ!犬や猫ではないわ。彼女は、私たちと同じ人間よっ」
「同じではないですわ。貴族ではないもの」
間違いを正すように、アリューシャはきっぱりと言い切った。蜂蜜色の瞳には、差別する色はない。
貶めるような感情ではないのだ。だからこそ、フェリージアは絶句し、声を失った。
それに気づかず、彼女は夢見る眼差しでおっとりと続ける。
「確かにあの瞳は宝石みたいにとても綺麗。ご褒美に、愛玩人形として飾ってあげるというのも良いですわね。それとも、剥製にしてみるというのはどうかしら?」
いいことを思いついたと無邪気に喜ぶアリューシャに、フェリージアの肌は総毛立った。




