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「貴重な御時間を割いていただき、感謝致します。クラウス殿下」

「いや、英雄と名高いオルフェルノの将軍と話ができる機会ならば、逃すのは惜しいからね。こちらこそ、喜んでいたが…どうやら、あまりいい話ではなさそうだね」

和やかな雰囲気のまま、表情を改めた公子に、ヴィルヘルムは静かに頷いた。

「お察しの通りです。アリューシャ殿下のことでお話があって参りました」

クラウスにも察するものがあったのだろう。

深くため息を漏らし、ヴィルヘルムに座るよう勧める。向かい合い彼らはローテーブル越しにソファに座った。

「お互いに時間は貴重だろうから、堅苦しい挨拶は抜きにして、話を始めよう。アリューシャの真摯な想いは将軍の意志を変えることは出来なかっただろうか?」

単刀直入にクラウスが言い、鼈甲のような瞳がヴィルヘルムを見つめた。

「…私の心が移ろうと思い、彼女の行動を黙認されていた訳ですか」

「あの子の騎士から報告を受けていた。アリューシャが貴方を諦められないようだと。私もね、国家間の繋がりもだけれど、それ以上に貴方と関係を結べることにとても魅力を感じていたんだ。オルフェルノ国王も、貴方のことも、人としてとても尊敬しているから。この縁談が断られて、とても残念に思っていたのは、妹だけでなく私もだったんだよ」

「その言葉は、とても光栄に思います。ですが、私も人の子。愛する者と結ばれたいと、その相手を大切にしたいと思うのは、どこにでもいる男たちと何ら変わらない」

将軍としてではなく、ただの男として相手を思うのだと、ヴィルヘルム自身から告げられ、その冷たい瞳に宿る熱を見てしまえば、クラウスは湧き上がる驚きと親しみの情に、やんわりと諦めの笑みを浮かべた。

「愛の前では、貴方もただの男か。アリューシャが貴方を口説き落とせるのならば…と、少し欲張ってしまったが、それは貴方にも貴方の婚約者殿にも迷惑でしかなかったな。すまなかった。アリューシャには、言って聞かせよう」


「…聞きはしますまい」


「何?」

きょとりと驚く眼差しに、ヴィルヘルムはやはり、と思う。

彼女は、フメラシュの王宮では、確かに純真で慈愛に溢れた可憐な姫であったのだ。

全てが望むままのその箱庭の中にいたのであれば、ヴィルヘルムでさえ、噂通りで、甘やかされただけの姫だと思うに終わっただろう。

純粋培養の彼女を、あそこまで自己完結した極端な思考に走らせたのは、彼女自身の素養なのか、それとも今までの状況と周囲の環境であったのか、今となってはわからない。

それでも、確かなのは、世界は彼女のためにあるわけではないということ。

「殿下、貴方の妹君は諦めていないのではない。選ばれないとは思っていないのです」

その違いを、彼は理解できるはずだ。

「アリューシャ殿下は、殿下と私が結ばれれば、私の婚約者は喜ぶと思っておいででした」

「喜ぶ…?」

「ええ。『私が幸せになるのだから、喜ぶに違いない』と、殿下は私に言われた。…私なら、そうは思わない。貴方ならば、どうですか?権威でもって自分の婚約者を奪っていった相手が高貴なる御仁だからといって、その方が幸せになるからと素直に喜べますか?喜ぶのが当たり前だと言われますか?」

自分の幸せを壊していった相手を。

その言葉がどれほどに無神経なものか、理解してもらえるかと、言葉ではなくヴィルヘルムはその視線で告げる。

クラウスは息を呑んで、その言葉を疑い、頭を振って否定の言葉を口にした。

「そんなはずはない。あの子はとても優しい。慈しみ深く、心根の優しい子なんだ。侍女たちにもとても慕われて、誰かを傷つけるようなことなど今までしたことのない、そんな子だよ?」

「では、今まで一度でも、彼女の望みが叶わなかったことは?」

クラウスの言葉を返すのではなく、ヴィルヘルムは別のことを尋ねた。

とても静かに。それは、嵐の前の海のような静けさで、深く、深く、その心の奥底には怒りが沈殿する。だが、それを彼女の兄にぶつけようとは思わない。

クラウスは、答えようとして…言葉をなくした。

アリューシャは我儘な娘ではなかった。望むことは多くなく、王宮の閉鎖されたその空間で、彼女は外を望まなかった。勉強は苦手で、国のために何かすることはできなくとも、父を困らせることもなく、社交的で愛された娘だったから。

彼女の望みは、誰ともなく、叶えられてきた。

一度も、彼女が諦めや、我慢をしている姿を見たことがないことに、指摘されて初めてクラウスは気が付く。

「…まさか。あの子が諦めることを知らないとでも?」

「それも違うでしょう。おそらくですが、彼女は自分が諦めなければならない事態が起きると思っていない。ありえないのではなく、前提として、ない。純粋無垢で、控えめであったことが、逆に、彼女に、彼女を中心に世界は回っているのだと勘違いさせてしまった。慈愛に満ちた優しい姫と言われ、いつしか、自分が発する言葉が相手を傷付けるかも知れないと、言葉の意味を考えることがなくなってしまったのではないでしょうか」

「自己中心的な娘だと非難するつもりか」

クラウスが不快感に、言葉に怒気を滲ませる。

当然だろう、自分の大切な妹に無神経の烙印が押されようとしているのだ。

ヴィルヘルムには、彼女を愚弄するつもりはない。そこまでの興味すらない。

だから、彼女を大切に思っている兄である公子が受け入れやすい言葉に言い換える。

「夢物語の中に生きていると、そう言いたいだけです。彼女は物語の主人公だ。婚約者の存在に私が縁談を断ったことも、彼女にとっては恋物語にあるよくある障害でしかない。悪気は無いと理解しています。けれど、私は彼女のための配役として生きているわけではない」

ヴィルヘルムは、闇雲に相手を誹謗する男ではない。

そして、フメラシュの心象を悪くするようなことを態々作ってまで言う必要がないことも、クラウスにはわかっているはずだ。

感情を露わにせず淡々と話す将軍に、妹への違和感は、クラウスの中にも僅かに胸を掠めているに違いない。

否定しきれない言葉や行動の端々にそれを感じることはできる。それでも、今まで信じてきた可愛い妹とあまりにもかけ離れた表現、その言われように、彼がそれを受け入れられないこともヴィルヘルムはわかっていた。

「私の言葉を信じてくださいとは言いません。ただ、クラウス殿下、貴方の言葉がアリューシャ殿下には届かないことを私は知っている。このままでは終わらないでしょう」

「どうなると言うんだ?」

「諦めない彼女は行動を起こすでしょう。我々はそれを阻止するために動くことになる」

「……」

「殿下、御自覚を。彼女の欠落は、今後フメラシュにとっても、外交上の問題になりかねない。肝要なのは、妹君を知っていただくこと」

「…つまり、その機会は既にあるということか」

「残念ながら、そういうことです。スナヴァールの王女、フェリージア殿下が御協力して下さることになっています」

「二国間の問題に他国の介入をさせるのか?」

公子がにわかに顔色を変えた。

「…もう、遅いのですよ。クラウス殿下。フェリージア殿下は既に全てご存知です。彼女は私の婚約者を守ってくれている。ですが、信頼の置ける女性です、他言はしないでしょう」

警戒した様子のクラウスが、訝しむように柳眉を寄せた。

「何故、王女が貴方の婚約者を守ろうとする?婚約者は市井の者ではないのか?」

「市井の出自ですよ。少々厄介事がありまして、現状私の願いで、彼女は今、王妃付きの侍女として王城内にいるのです。彼女は意識せずに人の心を癒す。フェリージア殿下の心もまた、それを心地よく感じたのでしょう。王女は彼女をとても大切にしてくれています。故に、協力も惜しまない。とても積極的に守ろうとして下さる」

じっと探るようだったクラウスが沈痛な面持ちで、深々とため息を漏らした。

「…わかった。それで、将軍は何をしようと言うんだ?」

「アリューシャ殿下は、私の婚約者を探し当てました。彼女が王城で侍女をしていることも知っていて、接触を図る気でおられる。直接、私を諦めるように促すつもりのようですが、当然、フェリージア殿下にはそれをさせる気はない。自分が相対すると仰るので…」

勢い込んで、噛み付かんばかりのフェリージアを思い出し、苦笑が滲む。

他の侍女から、リュクレスを待ち伏せしているようだという情報を得たフェリージアは出来る限り王女の部屋から彼女を出さないようにしてくれている。

だが、リュクレスには公女の行動を知られたくなくて隠しているから、不審に思われないようにするならば明日は同じようにはいかないだろう。

今日中に片付けてしまいたいのだ。気まぐれに回廊に現れる公女を諦めさせようと、フェリージアは臨戦態勢で待機中だ。

オルフェルノが、リュクレスが、どちらも非難されないためには、クラウスに客観的に自分の妹の姿を見せる必要がある。そして、理解してもらわなければならない。

賢明なクラウス公子のことだ、自分の感情は二の次にして、彼女を早々に連れ帰る算段をしてくれるだろう。

多少苦い思いは残るにせよ、二国間に大きな問題を生じることなく、国交は続けられるはずだ。

「殿下、まずはふたりの会話をお聞きになってください。その上で、私の言葉をどう捉えるか、判断はお任せします。私はフメラシュとの関係を壊したくはない。けれど、公女殿下を受け入れることは出来ない」


「…わかった」


青年公子はじっとヴィルヘルムを見つめると、ただ一言そう言って、提案を受け入れた。










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