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(おかしいわ…)

名簿を片手に、侍女は眉を潜めた。


公女に面会を希望する御機嫌伺いの貴族たちの名が羅列されたそれは、昨日に比べると目に見えて人数が減っている。だが、それよりも問題なのは、明らかに貴族の格が落ちたことだ。家名も爵位も、影響力の小さい貴族ばかり。中央にいる権力者たちの名前はひとつとして見当たらない。

だが、それに気づいているのは、日程の調整と、情報収集に余年のなかった彼女だけだろう。

(折角、姫がいらしているというのに、なんてこと)

「今日もいらっしゃる方が多くて、忙しいのかしら?」

オルフェルノに来てからずっと、ひっきりなしに続いていた貴族たちの来訪に、困った風ではあるが、寛大な殿下は嫌な顔ひとつしない。手放しに誉めそやす彼らの下にも置かない対応に、アリューシャ自身も満更ではないようだから、侍女は悟られないように笑顔で首を振った。

真実を告げることなく、茶の用意をし始める。

「いいえ、今日はお休みにいたしましょう。連日こうも来客が多くては、殿下も疲れてしまいますから。たまには休みませんとね」

「あら、そう?ふふ。嬉しい」

労わりの言葉に、アリューシャは微笑んだ。

オルフェルノは交易で栄える国だけあって、茶葉は良質で種類も充実している。

お菓子も可愛らしく、綺麗で目を楽しませるものが多い。

色とりどりの鮮やかな飴細工や、絹のように繊細なチョコレート。

甘いなかにも香辛料のすっきりとした匂いが混ざる香ばしいクッキー。

目でも匂いでも楽しませてくれるそれらは、とても美味しい。

他の侍女たちと話しながら、お茶の時間を楽しむ公女にほっと息を付き、彼女はひとり別室へと向かった。

部屋に入り静かに扉を閉めると、すぐさま先客へと鋭い視線を投げつける。


「話が違うではありませんか」


その部屋で先に待って居たのは、壮年の男性だった。

諮問議会にも席を置く、オルフェルノの大貴族だ。本来であれば、侍女風情がこうも堂々と、意見できるような立場ではない。

初めはフメラシュの公女に恩を売っておけば、今後自分の影響力に繋がると踏んで協力を申し出た男だったが、それが間違いであったと早々に自覚し始めていた。

少しだけ眉根を潜め、彼は淡々と状況を説明する。

「状況が変わった。確かに、お前の情報通り将軍の婚約者は市井の出らしいが、それを王が許可しているのなら、話は別だ。私も王と将軍を敵に回して、自分の地位を危ぶむようなことはしたくないのでな」

「よろしいのですか。下賎な血が貴族のたっとい血に混ざるのですよ?おぞましいとはお思いにならないの?」

我慢ならないとばかりに二の腕をさする侍女のその言い草に、男は渋い顔をした。

「…お前たちにとって、平民とはなんなのだ?まるで、家畜を見るような目つきだな」

「大して代わりはないでしょう?動物は家畜と呼ばれ、人ならば奴隷と呼ばれる。平民と奴隷の差とて商品として売られているかいないかの差でしかないわ」

「……」

男は、険しい顔で侍女を見た。

彼女は睥睨する眼差しで、今の言葉をさも当然のように口にした。

彼も、確かに平民を見下して生きてきた。貴族と平民には越えられない身分の差があると、そう言われて育ち、彼らの上に胡座をかいて生きてきた自覚はある。…だが。

流石に同じ人間であることを、否定したことはなかった。

そして、他国の者から自国の民を家畜扱いされることが、これほどに憤りを感じるものだとは思ってもみなかった。御前会議の後の将軍とエンディダール卿の会話、それから、王の言葉が甦り、頭の中を駆け巡る。


欲に転んだ結果が、これか。

苦い後悔が胸をせり上がり、彼は押し寄せる疲労感に、重たい口をようやっと開いた。


「考え方に相違がありすぎる。これ以上の協力はしない。いや、したくない。お前たちにとって、平民は家畜かもしれないが、我らにとってはそうではない。将軍との結婚も諦めることだ。忠告しておく。婚約者に手を出すのならば、相応の覚悟をしたほうがいい。…私にはその覚悟はないからな。…それに、お前のお陰で、その娘を貶める気も無くなった」


彼女を傍に置く慈愛に満ちた純真無垢な姫は、何故その行動を止めないのか。

唐突に、不審に感じていたその疑問が氷解する。


彼女もまた、毒に侵されているのだ。

純粋ならば尚の事、静かに知らぬ間に。

毒は染みのように広がり、真白な心を侵食してゆく。

斑に汚れながら、それでも公女自身は自分が真っ白なままでいると思っているのならば。

それは、どれほどでも矛盾した行動を生み出すだろう。

優しい・・・姫は、この侍女の行動を咎めることはない。


「よろしいのですか?私は貴方が協力していたことを暴露しますよ」 

「勝手にしろ」

彼は侍女の脇をすり抜け、扉へと向かった。

「どうせ、証拠は何もない」

言い捨てると、開けた扉を後ろ手に締める。まだ何か言う侍女を振り返ることなく、彼は廊下を歩き出した。

ぱたりと扉の締まる音とともに、女の声は聞こえなくなり、急に周囲が明るくなった気がした。陰鬱としたあの部屋の、いや彼女にまとわり付く気配にいつの間にか気が滅入っていたようだ。

協力といっても、あの女に手を貸したことといえば、将軍の情報、例えば改築中の屋敷のことや使用人など、婚約者に繋がりそうな身近な情報を与えたこと。そして、侍女の一人に侍女長の部屋から情報を盗ませようとしたことくらいだ。それも直接ではなく、人を介してフメラシュ側からの依頼のように見せかけて行ったものだから、こちらに火の粉は飛ぶことはない。

彼女の口から己の名前が出れば、さすがに将軍たちには警戒されるだろうが、あの男は敵であろうと、自分と王の邪魔さえしなければ、使えるうちは排除しようとはしないはずだ。

高望みさえしなければ、この地位を守られる。

「平民と貴族のあり方…か」

この年になって考えさせられるとは思わなかったと、彼は思う。

カフェリナという国が貴族に齎した戦慄、そして、支配階級の持つ差別意識。人を見下すことの愚劣さを客観的に感じてしまえば、自分を省みるしかなくなる。


「オルフェルノは、存外、良い国なのかもしれんな」


国民を想う王に統べられ、将軍の剣が貴賎を問うことのなく全てを守る、この国は。


その国で生まれ、育ち、差別していると思っていた国民に、それでも、どこか愛着があったのだと自覚して、馬鹿馬鹿しいと思っていた良き領主とやらを目指してみても良いかなどと。

彼は信じられない思いを噛んで含み、良識が残っていたらしい自分に生ぬるい自嘲を吐き出した。








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