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「リュクレスのことが、公女に漏れたみたいです」

その報告を持ってきたのは、珍しく午前中に執務室に現れたソルだった。

「どこからだ?」

「どうやら、庭師の家族からのようです。…悪気はなかったようですが」


「将軍の処に可愛らしい花嫁が来るんだよ。藍緑の瞳の美しい、優しいお嬢さんらしいんだ」


そう言って街で話を咲かせていたのは、庭師の孫。

彼自身は、リュクレスに会ったことはない。

寡黙で真面目な祖父が珍しくぽそりと口にした言葉がとても印象的で、思い出して口にしただけだった。

祝福に満ちた明るい会話はよくある世間話でしかない。だから、いきなり割り込んできた場違いな女性にその場の空気は一瞬にして白け、やたらしつこく食い下がって来る彼女を不審に思った彼は訝しんで口を閉じた。

だが、特徴的な瞳の色から相手はリュクレスにたどり着いてしまったようだ。

初めから王妃の専従侍女として登用されたにも関わらず、どこの令嬢か全く情報のないリュクレスは、実際のところ、調べ始めたなら侍女の中ではかなり目立つ。

「処分、しますか?」

「…いや、時期が違えば、たわいも無い害のない会話だったはずだ。咎めるつもりはない」

ヴィルヘルムの言葉に、ソルはそっと胸をなでおろす。


その庭師は、離宮の庭を世話していた庭師だ。

むっつりとした顔でいつも花に向かっている面白みのない老人だが、リュクレス曰く、花が咲くのを音で知るのだそうだ。そして、生まれたばかりの蕾に励ましの声をかけ、朴訥に語りかけているという。

「とっても優しいお爺さんです」

リュクレスは庭師の老人が大好きだとそう語った。

離宮で囮役として過ごしていた頃、使用人と話すことを許されなかった彼女が過ごすのは自室か庭が多かった。

その庭で、庭師はよく独り言を言っていたのだそうだ。


「頭を垂れたか、白い蕾は美しいな。明日には咲くか?」


スノードロップの前で、花に語りかける言葉は、リュクレスに向けて、明日には咲くぞ、と教えてくれる。

知らない花の前で図鑑を広げるリュクレスを見れば、何やら独り言が始まるのだ。

それは、本にも載っていないようなその花にまつわるお話や、特徴で。

そうやって、会話はなくとも、庭師はさりげない気遣いでリュクレスの心を慰めた。

ソルはそれを知っていて、本来ならば許されないその交流を、知らん顔して通した。

まるで祖父と孫のような二人。ぶっきらぼうな庭師がまるで自分のように不器用だから。


だから、ソルは彼に新たな庭を任せた。

リュクレスがきっと喜ぶ、優しい庭を。


きっと、彼も花を育てながら、孫のように可愛い娘の幸せな未来に、少し浮ついていたのだろう。でなければ、孫相手とは言え、安易に口の端に彼女のことを乗せたりはしなかったはずだ。

せっかくであれば、再会をさせてやりたい。

どうやら、それは果たせそうだ。


「だが、その探っていた女性の方を放って置くつもりはない。素性は?」

「貴方も予想している通り、公女のところの侍女です。フォロイ伯爵家の三女で、数年前から公女の侍女として、王宮に上がっています。公女に献身的に仕える侍女ですが、熱狂的といいますか、崇拝と言っていいほど、公女に傾倒している彼女の信奉者です。公女よりも彼女のほうか危険かもしれません」

「フォロイ…どこかで聞いた名前だな」

「エイブラハム・ドートランド・フォロイ、かの有名な黒の伯爵の末裔ですよ」

その男は、毒草の研究のために、千人以上の農奴を犠牲にし、その手は毒で黒く染まっていたと言われる。故に黒の伯爵と呼ばれた。彼の存在があってこそ、現在のフメラシュの薬草研究が進んだと言っても過言ではないが、彼の行いが倫理を欠いた残虐な行為であったことは事実だ。

「調べてみてよかったかもしれません。この侍女は初め毒見役として、公女の傍に置かれた娘です」

毒を判別する能力、転じてそれは毒に精通しているということだ。

ソルの目に警戒の光が浮かぶ。ヴィルヘルムの表情も険しいものになった。

「…表立って侍女の荷物の検査をするのは難しいな。ソル、秘密裏に探らせろ。彼女の監視も怠るな。この国で、万が一にも被害が出るのは許されない」

その標的がリュクレスならば尚更だ。

「毒見役たちにも注意喚起をしておけ。…毒の生成も出来るのであれば、原材料になるものも、手に入らないようにスヴェライエ内への入城制限と、荷物の確認を徹底させる。薬草園の周囲の警備も強化しておいたほうがいいだろう」

「了解しました。リュクレスの警護は引き続き俺が継続してもいいですか?」

「他の誰かに任せる気はないだろう?」

「はい」

「ならば、任せる」

そう言って、立ち上がったヴィルヘルムにソルは視線を上げる。

「どちらへ?」

「フェリージア王女に助力を願ってくる。いくら無神経な公女でも、大国の王女が相手となれば、無下にはできないだろうからな」

「確かにあの姫ならば、堅固な壁となって守ってくれるでしょう。頼りがいありそうですね」

高慢な様でありながら、その実フェリージア王女には差別意識があまりない。王族には珍しいほどに対等に人を見る。そして、懐に入れたなら身分など関係なく不器用なほど親身になって、その相手を守ろうとするだろう。


不器用な人間ほど、リュクレスの虜になる。


それは、何でもないことのように自分の駄目なところを受け止めてくれるからだろうか。欠点を欠点として捉えず、自分でも知らなかった自分の本質を見つけて、大切にしてくれるからだろうか?強制することなく、自分で前を向く力を、傍にいるだけで与えてくれる彼女の存在はとても貴重だ。

だから、主の男女問わずに向けられる嫉妬とその不安については、狭量だと思いながらも納得してしまうのだ。

性別など関係なく、彼女の傍にいることは心地よいと思ってしまうから。

自分の力を信じる力になってくれる彼女を欲しいと思ってしまう、から。


「主も大変ですね。愛される彼女を持つと」


それこそ、その怜悧な美貌で女性など選びたい放題だったの男に、ソルはのんびりとそう言った。

その愛しい娘に避けられていると知っていて。


ヴィルヘルムの背後の空気にぴしりと亀裂が入った。


音さえ聞こえそうなほど凍えた冷気を纏った主に、ソルはさらににっこりと普段であれば絶対に見せることのない笑顔を見せる。

二人以外の者がこの場にいたら、彼らの頭上に威嚇する狼と黒豹のにらみ合いが見えた、かもしれない。

ソルは、リュクレスの護衛をしているのだ。彼女が何に悩み、何を怖がっているのか知っている。

自分が、リュクレスのその不安を取り除けるのであれば、どれほど良かっただろう。

彼女に、「大丈夫ですよ、主には貴女だけです」と伝えても、リュクレスは泣くのを我慢した顔で、無理をして笑っただけだった。

慣れない嫉妬は、ドレイチェクで見せたような甘えをリュクレスから奪ってしまった。我慢を強いるのは誰でもない、彼女自身の感情だから、ソルにはどうすることもできない。

どうにかできるのは、ここにいる男だけなのに、全く彼女の葛藤の原因に気づいていないのだから、兄としては彼の鈍感さが非常に忌々しくて度し難い。

「誰かに奪われたくなければ、ちゃんとあの子を見てあげてください。何に悩んでいるのか、ちゃんと考えて。じゃないと、いつまでたっても、逃げられ続けますよ」

それでなくとも、女性関係ではろくでなしなのだから。

ずけずけと歯に衣着せぬ物言いに、ヴィルヘルムは今更だが、ひとつのことに気がついた。

「あの子が俺を避ける理由を知っているんだな?」

「それ、本人以外から聞いたら軽蔑しますからね?貴方がらしくもなく、動揺しているのと一緒で、あの子はもっと恋に慣れていないんですから。戸惑いも不安に思うことだってあるんです。ちゃんとあの子の言葉を聞いてあげてください。いいですか?周りが見守ってくれている間にどうにかしないと、本気で結婚なんて出来ませんからね?」

何人に駄目出しをされると思っているのだと、目の据わったソルに、不承不承で頷きながらも、ヴィルヘルムは自分の行動を正当化するように言い返した。


「だが、会えないことには聞くことも出来ない。彼女に危険があるかもしれないのに、傍にいられないどころか、避けられるのは…俺が我慢できない。多少の強引さは大目に見ろ」


そうして、業を煮やした狼は、愛しい娘を強引に捕らえたのだ。









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