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にやりと笑うその顔は、獰猛な獅子の顔。
そこにいるのは、若いからと侮りを寄せ付けることなく、自分のやり方を貫いてきた獅子王本人である。
常が鷹揚であるから、忘れがちであるが、ときに現れるその姿は臣下に畏れを抱かせるに十分なものだった。
声を上げようとしていたものたちは、一様に皆、言葉を飲み込む。
王は彼らを見渡すと、ゆっくりと声を発した。
「教会は身分の差別なく結婚を許している。我が国は、国民とともに国を守ってきた。それは、先の戦いでもわかることだろう。鍬を持ち、畑を耕す農民たちも、商いに勤しむ商人たちも海に生きる漁師たちですら皆、前線に行くことを拒まず、騎士に勝るとも劣らぬほど勇ましく戦い、果敢にもこの地を守った。平穏が戻った今、我らがすることは、彼らが耕す農地を守り、自由に商売が出来る環境を整え、海と暮らす不安定な漁師たちの生活を支え、家族とともに安穏と過ごせる日常を返し、その時間を出来る限り長く与え続けることだろう。国や領地の代表として、誇り高い姿を保つことは必要だ。古き歴史と家名を重んじ、それを高貴に思うことを、咎めとようとは思わない。だが、それと、人を貶めて蔑む行為とは別物である。貴族と平民が手を取り合うことを他の国が侮ろうとも、それがこの国の強み。その誇りを忘れるならば、次こそ、オルフェルノはどこぞの属国に成り下がるだろう」
しん、と室内に静寂が広がった。
中央にいる彼らは、他の領主たちと異なり、戦争に直接参加していない。だが、スナヴァールとの戦争で、多くの貴族が平民たちに助けられ、彼らに背中を預けて戦ったのだ。
変わらずに、貴族という身分を鼻に掛ける者たちも少なくはない。だが、それでも、この国はどの国よりも、国民に寄り添った国になりつつある。
それは、スナヴァールによる侵略が与えた一つの恩恵かもしれない。
追い詰められた分、結束は固い。
それを前線で見ている王と、彼らの認識が違うのは致し方ないだろう。だが、仕方ないと彼らに合わせるつもりは、王にも将軍にもないのだ。
「将軍の愛した娘は、子供の頃、戦場で彼に助けられたそうだ。その恩返しがしたいと、危険を承知で囮役を引き受けた。守られることが当たり前の貴族の女性より、余程に高潔に俺には思えたが、お前たちはどうだ?その高い矜持に見合う何かが、果たしてその胸の中にあるのか、よく、考えてみるがいい」
誰ひとりとして、答えを返さない。
真摯に己を省みる者、王の言葉を肯定して受け取る者、逆に、思うところを口に出せない者もいるだろう。
だが、その彼らも王の言葉を撤回させるだけの反論を持っていなかった。
故に沈黙がその場を支配する。
王は静かに立ち上がり、最後に一言、釘を刺した。
「将軍の婚約者は俺の命を守ろうとした恩人である。加えて、夫婦の中を取り持ってくれた優しい少女だ。その彼女に害をなそうとする者は将軍だけでなく、俺と王妃の怒りを買うことにもなると、心しておけ」
ぐるりと、そこにいる全員の顔を一瞥すると、返事など聞きもしないで王は颯爽と会議室を出て行った。引き止めようとする声はかからない。
全ては予定通り。
リュクレスばかりを特別視させず、彼女が平民のまま、誰からも口を出されず将軍の花嫁になれるよう、外堀を埋めていく。国王夫妻の庇護下にあることは、これで周知されたはず。
それでも、まだ諦めない古い大貴族たちの相手は、ルーウェリンナがしてくれるだろう。
脳裏に花のような少女が思い浮かぶ。
アルムクヴァイドにとって、言葉にしたとおり彼女は恩人である。
あの時、己の暗殺事件が終息し、全てが明らかになった後のこと。
辛い思いをしたはずのリュクレスが、アルムクヴァイドに望んだのは恨み言を吐き出すことでも、見返りも求めることもなく、ただ、感謝を伝えることだった。
「恩返しをする機会を与えてくれて、ありがとうございます。少しでも、私たちの自慢の王様を守る役に立てたのなら、それだけで嬉しい」
目も見えないまま、のほほんと笑ったリュクレスの顔に嘘はなかった。
ヴィルヘルムの気持ちがわからないでもない。
与えたいのに、控えめな娘は何も望まない。
守られた己が、ありがとうと感謝をされる、その歯がゆさは、ヴィルヘルムもアルムクヴァイドも今までに経験したことのないものだ。
何でも持っているつもりだった傲慢な心をへし折るリュクレスの無欲さは、アルムクヴァイドにも衝撃を与えた。
忘れたつもりはなかったが、平穏な国を作ろうとする過程で、どこか、平和を与えてやっているという奢った感情がなかっただろうかと。
今になって、ヴィルヘルムの使った『良心の天秤』という言葉が、リュクレスの本質を言い表していると実感する。
彼女は正義も正論も語らない。
何が正しくて、何が間違いかなど、時と場合立場によっても左右される、とても曖昧で流動的なものだと理解しているのだ。
それでも、単純に自分の心に問い返して、それでいいのかと、振り返ることを思い出させる。
王となり、まだ10年。アルムクヴァイドの治世は、まだこれからだ。
先は長い。
どこかで間違えないよう、彼女との出会いは王としてのアルムクヴァイドにとって、一つの道しるべのようなものになった。
亡くなってしまった者たちのために走り続けてきたが、今、生きている彼女が笑っていられる国を、彼女の反応が自分のゆく道の是非を問う気がするのだ。
ふと自嘲する。
唯の小娘一人に、どれだけのものを背負わせる気だと、自ら突っ込みをいれる。
「流石にそんなに重たいものを背負わせる気はないが…、皆が笑って過ごせる国を作りたいと思ったんだ。だから、笑っていろ、リュクレス。冬狼がお前のそばで微睡んでいられるように」
そうしたら、間違った道を歩んでいないと、確信できるから。




