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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
一部  恩返し
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箱庭の日常1



麗かな春の日差しに、眠気を誘われそうな穏やかな昼下がり。

視界には風景画の様な緑の庭園。植栽と自生の植物が花壇の可愛らしい花と調和して、長閑でどこか愛らしい。ひらひらと花弁の様に舞う蝶々は花の蜜を求めてやって来たのか。

周囲を囲む黒い森が、どこかこの小さな庭を守る垣根の様だ。

ゆっくりとした時間の流れに、

「あふぁ…」

コレクトは、つい漏れた欠伸をかみ殺す。

慌てて周りを見回せば、花壇の傍にしゃがみ込んでいた少女と目が合った。決まりの悪い思いに頭をかけば、少女は可笑しそうに笑みを浮かべた。その笑みが無邪気なものだったからつい、コレクトも笑い返してしまう。彼女は立ち上がると、籠を抱えてぺこりとお辞儀して屋敷の中へと戻っていった。

リュクレス・ルウェリントン嬢

この屋敷の主人であり、コレクト達近衛騎士の護衛の相手である。

酷く細く小柄な身体に、化粧っ気のない童顔な顔は妹とそう変わらないような年齢に見えるが、実際は16歳であるという。

騎士であるコレクト達にも尊大な態度を取ることなく、貴族にしては控え目な印象のあるその娘は、王の愛妾という立場にある。

初め、愛人を護衛するという役目を上司から言い渡された時には、反発と不快感しか、感じていなかった。だから、彼女に接するときにもその態度は明らかだったように思う。けれど、彼女がそれに対し何か言うことはなかった。

仕方ないと諦めている様な微かな苦笑を浮かべるだけで、態度を改めることも謝罪も求められることはなく、ただ遠巻きに接する騎士たちに控えめな挨拶をするだけだった。

王以外の男性と必要以上に接することを禁止されている娘。

長閑な時間の流れるこの箱庭の中で、愛人である少女と、王が準備した使用人たちは皆、一定の距離を保っている。

それはどれだけ人が居ようとも、彼女が孤独であるという事で。

視線が合うことはあっても、話すことはない存在。けれど、毎日の様に庭に出て、無邪気に笑う姿を見れば、初めの不快感などとっくに消えてしまっていた。





「アルバさんいますか?」

「ここに居ますよ」

扉をノックする音と少しおいてから聞こえてきた声に、料理長は材料庫から顔を出した。扉を開けて立っていたのは幼げな面立ちの少女だった。厨房の常連である彼女はいつものように籠を両手で抱えている。少し丸みを帯びた大きな体を揺らして歩み寄ると、アルバは柔和な顔に笑顔を浮かべて、籠の中身を覗き込んだ。中には庭で世話された野菜類と可愛らしい白い花。

「今日も豊作ですね」

えへへと嬉しそうに笑うリュクレスと言う名の少女は籠ごと中身を差し出した。

最近では恒例になってきた食材提供に、アルバは相好を崩し、その中身を受け取る。

てっきり室内に飾るための花かと籠に白い花束だけを残すと、少女はアルバと花を交互に見て、それから花を取り出した。

「アルバさん、この花も使ってください」

「花、ですか?」

きょとんと、見たこともない白い花を手に受け取る。

アルバは貴族の出身であり、仕事も貴族相手でしかしたことが無い。だから、自生の植物を今まで料理に使う機会はなく、知識はあまり持っていなかった。だが、この屋敷に来て、リュクレスが食用だと言って持ってきたものは間違いなく、とても美味しく食べられる自然の恩恵であったから、アルバは彼女の持ってくるものを非常に楽しみにしていたし、とても興味も持っていた。

「はい。これ、リアムディスっていう食用の花なんです。このまま、生でも食べれるから、サラダの飾りだとか、あと、素揚げしても美味しいんですよ」

ふむと顎に手をやり、彼は片手で花びらを摘まむと口に入れる。

スッキリとした酸味と甘み。

「ほう。面白い味ですね。お菓子に使ってもよさそうだ」

「実は、それを期待してました」

リュクレスは顔を輝かせる。素直な反応に、アルバも顔をほころばせ、

「ではご期待に沿えるものをお作りいたしましょう」

大げさに礼をして見せる。

リュクレスがとびきりの笑顔で頷いた。

静かな厨房の中に鈴のような笑い声。

開けられたままの窓の向こうに、青い鳥が一羽飛んできて、いつもの定位置の枝に止まる。まるで彼らの会話を聞いているかのように、小さく笑うように囀った。




小さな庭園に東屋はなく、細やかながら、庭の片隅に大きな傘と小さな二人掛けの木製のベンチが設置されている。日向ぼっこが好きなリュクレスにと、いつの間にかソルが準備してくれたものだ。その場所は、リュクレスの憩いの場になっていた。

ここ1週間冷たい雨が続いたため、外に出ることもできず、ようやく上がった午前中もドロドロの地面では、ドレスを汚すわけにはいかず、外に出ることは憚られた。

午後になってようやく地面も安定してきたから、雨で瑞々しく育った植物を摘みに出てみた。リアムディスが咲いているのを見て、リュクレスはとても懐かしい思いに駆られる。この庭を作った人はリュクレスと同じように田舎で育った人だったのだろうか。見慣れた植物になんだかとても安心した。

いつもなら、庭に出た日には出来るだけその後は室内でじっとしているのだが、長雨に外が恋しくて、つい、憩いの場に向かってしまう。

ソルは本当に、気遣いの人だと思う。

リュクレスの行動がわかりやす過ぎるのかもしれないが、何時の間に準備したのかベンチには厚手の暖かそうな毛布が掛けられ、薄手のクッションが置かれている。

優しい心遣いに、ほっこりと心が暖かくなる。

ヴィルヘルムや王の役に立つために此処に居るだけと思うと、こんなに大切に扱ってもらっていることが申し訳なく、もどかしいのに…とても嬉しく感じてしまう。

ちゃんと、役目を果たして、返すことが出来ると良いと思う。

座って膝の上で本を開く。いつもの様にそれは愛用になっている植物図鑑だ。見知った植物も多い中、交配された花や遠く気候の違う場所に自生する植物は見たこともないから、とても興味深い。知っている植物でも、知らない生態や植物の効用など、興味は尽きない。

文字を読むことに長けているわけではないから、ページの進みは早くない。

ゆっくりと解読して咀嚼して、というのを繰り返す。

「その本好きですね」

顔を上げれば、ティーセットをトレイに乗せたソルが居た。ソルから声をかけてくれることは、人が増えてからは珍しいことだ。家令として、ソルがリュクレスとは距離を取っていたから、リュクレスからも出来るだけ近づかない様心がけていた。寂しいけれど、辛いとあまり思わなかったのは、心配してくれているのがさり気ない行動で分かるから。

そのソルが、話しかけてきているのだから、話しても構わないのだろう。久しぶりの彼との会話にリュクレスは微笑んで頷いた。

「知らないことも多いので、すごく面白いです。…ただ、読めない字もあるから、意味がわからなくて、読むのに時間がかかるっていうのもあるんですが」

「読めない字…どこですか?」

「へ?」

「だから、読めないところは何処ですか?言ってもらえれば教えますよ」

「…いいんですか?」

「良いから言っています。少し時間がとれそうですから」

リュクレスは驚いてしばらく穴が開きそうなほどソルを見つめた。おずおずと、図鑑を差し出すと、いくつかの文字を指し示す。

「この言葉は、何回か出てきているんですけど、意味が分からなくて。こっちのも…」

「こちらは多年草ですね、意味は…貴女の方が詳しそうだ。こちらは、帰化植物、他の地域に移されて野生化し繁殖したものと書かれています」

「ああ、なるほど」

疑問が氷解してスッキリしたリュクレスは、それからいくつかわからない文字を教えてもらう。ソルは呆れることもなく、一つ一つ丁寧に読んで、説明をしてゆく。

そうして、ソルは納得したように

「貴女が苦手なのは専門用語に類する言葉なのですね。さすが物語を読みなれているだけあって、読解力はある。今度、辞書をご用意いたしましょう。そうすれば、今の本ももっと理解しやすいはずです」

そう言って、トレイの上のポットから琥珀色のものをカップに注ぐと、リュクレスに手渡した。今日は紅茶ではないらしい。甘い匂い。

「蜂蜜湯です。今日はまだ寒い。しばらくしたら屋敷に戻ってください」

猫舌のリュクレスに合わせ、お湯が冷めるまでの時間を、字を教えることに使ってくれたのだ。

湯気の立つカップの中の蜂蜜湯はソルの優しさの様に甘い。




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