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「お優しい将軍…。大丈夫ですわ。私が、お相手の方にちゃんとお話を致します。私の願いですもの。必ずや聞いてくださいますわ」


その言葉に、無関心だったヴィルヘルムの中で、初めて彼女への感情が生まれた。

自分の意思が通らないはずがないという根拠のない自信は、彼女の中では当然のもののようだ。

彼女が望めば、相手が、婚約者という立場から辞すると本気で信じている。

欲しいと思ったものは手に入り、選んで欲しいと思えば選ばれた。

それがまかり通って生きてきたのだろう。例外があるなどと思いもしない。


男は表情も変えず、ただ、穏やかに優しく。

けれど、彼女を受け入れはしなかった。


「…例え貴女に先に出会っていたとしても、私は彼女を選びますよ」

ヴィルヘルムの声が硬質さを帯びる。

守られることが、優先されることが当然の姫の傲慢さ。柔らかく、繊細なその姿に、庇護欲を感じることはない。ただ、毒舌を浴びせることもなく、背を向けて去らなかったのは、貴賓として丁寧に扱った手前だ。

愛おしい娘も、こんなふうに守られるだけならば、きっと安全でいられるだろうにと、頭の片隅で思う。

だが、そうであればきっと、心など動かされなかったに違いない。

庇護したいのは、柔らかで繊細なのに、誰かを守る強さを持った野の花だ。

甘いだけの柔らかい姫など、いらない。


「何故ですの?」

本当にわからないようで、公女はとても不可解そうにきょとりと小首をかしげている。

(貴女に、彼女のような価値はないからですよ)

思いを口には出さず、ヴィルヘルムは優雅に微笑んだ。

「私にとって、婚約者は唯一無二のあの娘だけです。誰も代わりにはならないし、彼女以外要らない」

「私は魅力的ではありませんか?」

私のほうが魅力的ではありませんか、と言外に告げる彼女は、控えめなようでいて、諦めというものを知らないらしい。

「貴女の行動は、ひとりの女性をないがしろにする行為であると理解していますか?」

ヴィルヘルムの言葉に、公女は驚いたように首を振った。

「まあ、とんでもないですわ。そんなつもりはありません。その娘が引き下がれば、私と貴方が幸せになるのですもの。その者も幸せに決まっているでしょう?」

ころりと微笑む彼女は、混じりっけのない無邪気さを滲ませて、そう言った。


…嫌悪感に吐き気がする。


とても自己中心的な考え方だ。だが、尚悪いのはそれを全く認識していないことだろう。

自分のその行動が相手を不幸にすることだと、何故、気がつかないのか。

その問いかけが無為であることを、男は冷然と理解していた。

この娘は自分以外の幸せには関心がないのだ。

どれだけ周囲を傷つけようとも、彼女は決してそれを見ようとはしない。

その気がないのだ。

例え目の前に、誰かの不幸があろうとも気に留めすらしないだろう。

ヴィルヘルムにとって、一番、幸せになって欲しくない輩だった。

関わりたくもない。


これほど無意識で無神経な悪意の塊を、リュクレスに近づけたくない。


甘く甘く、彼女の容姿のように甘やかして、人を育てたのであれば、こうも相手の心を無視できる人格が育つのか。

そうでありながら、彼女は自分のことを誠実で、慈悲深いと思い込んでいる。

優しく、慈愛に満ちた存在であると、疑いもしない。


迂遠に断っているつもりはないが、彼女を相手にしていても無駄だと、ヴィルヘルムは悟った。

「自分の魅力を十分に知っておいでならば、その魅力に惹かれるものを選びなさい。私は貴女に魅力を感じません。…どうか、部屋にお戻りを。迎えを寄越します」

言い募ろうとする公女を冷たい一瞥で押しとどめ、ヴィルヘルムは付いてくることを許さずにその場から離れた。

その足で、彼は別室に待機するフメラシュ公女の護衛騎士のもとへ向かう。


(誤解などという、可愛いものではないな。あれは)


兄であるクラウス公子から、事の成り行きは彼女に伝わったと聞いていた。

会場に入る前の睨みつけるような騎士の瞳。彼の言動からもそれは確かだ。

…だが、公女のあの恋する眼差しは、傲慢なほどの自信にあふれ、どこを探しても失恋の傷など見当たらない。

彼女を見て、ヴィルヘルムの中に沸き上がったのは危機感だけだっだ。

公女は、将軍に婚約者が居ようとも、諦める気などない。未だに求婚者のつもりであり、いやそれどころか恋人でも見るかのようなあの眼差しには、己が選ばれないという不安はどこにもない。

あれはリュクレスを虐げるだろう。


それが、ヴィルヘルムをひどく不快にさせる。




晩餐の場で聞いた甘やかな声に、そう言えば甘いものは好きではないのだと、男は唐突に思い出した。







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