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ヴィルヘルムが、フメラシュの公女をまともに見たのはこの場が初めてだった。

グランブランド王国で彼女の方はヴィルヘルムを見初めたようだが、大きな国の夜会の場で、会話も交わしていない姫ひとりをさすがに彼も覚えてはいない。

華やかな淡色のドレスを纏い、時折夢見るような眼差しを向けてくる公女を、柔らかな表情で隠しながらヴィルヘルムは冷静に観察していた。

リュクレスを知る前の彼であれば、その結婚がオルフェルノにとって有益かどうかだけを重視し判断をしただろう。女性としてみるには、公女はヴィルヘルムの好みとはかけ離れているが、彼女の後ろにあるものだけを見るならば、それは何の問題にもならない。政略結婚などというものは得てしてそんなものである。

そこに個人の感情は介入しない。


(そうだとしても、この結婚はないな)


ヴィルヘルムは切り捨てるように結論を出した。

一言で言うならば、公女は無知な子供、だ。晩餐会や、夜会は貴重な情報交換の場である。その情報をどう活かすかが、その後の国益に繋がる。正使であるクラウス公子はそれをよく理解している。妹の美しさに口数の多くなる貴族たちから情報を引き出す話術などは素晴らしいものだ。だが、その話題の渦中にいる本人と言えば、ただ微笑んで相槌を打つだけ。

あれでは、首振り人形と変わらない。

使節団の代表の一人としてではなく、ただ、個人的な思いを向けてくる彼女に、一目惚れが事実であり、本当に恋を追いかけてきただけなのだ、ということもわかった。

しかしその裏で、この縁談が恋愛などという甘い感情のみで申し込まれたものではなく、政略的なものが含まれていることは明らかだ。そうでなければ、公女ともあろう立場の女性を自国ならばいざ知らず、他国の一貴族に降嫁させることなど有り得ない。

彼女だけが、それを理解していない。

だからこそ、周囲の会話に耳も傾けず、彼女は一心にヴィルヘルムを見つめるばかりなのだろう。

この時点で公女自身に外交や社交能力を期待できないのは明白だった。


では政治的価値はどうか。


彼は、それも否と判断した。確かに西大陸の交易の拠点として、フメラシュは重要な拠点となり得る。フメラシュでしか精製技術を持たない貴重な薬も、姫の身に付ける高価な輝石以上に価値がある。だが、今後の不安材料が大きすぎる。フメラシュ公は信頼の置ける賢君だが、次期公爵であるルシウス公子の代になっても鉄壁の外交を続けられるかは彼の力量次第。如何に才能に溢れた後継者とはいえども、年若い彼が父と同じように領土を守っていくのは至難の技だろう。万が一にもフメラシュを取り囲む力の均衡が崩れるようなことがあれば、妹である彼女はどう動くか。援軍を頼むか、はたまた、亡命を受け入れるように望むのか。それはオルフェルノを戦いに巻き込む火種になる。公女としての責務よりも、己の恋愛感情を優先した彼女が、軽率な行動を起こさないとも限らず、この国オルフェルノのために己の感情を納める覚悟があるようには到底思えなかった。

「優しい妹なのですよ」と、クラウス公子が妹を褒めると、彼女は恥ずかしげに俯いて、おずおずと甘い微笑みを浮かべる。周囲が恍惚としたその笑みも、流される視線も、笑顔の裏で辛辣な評価をしていたヴィルヘルムにとって何ら心動かされるものではなかった。

美しいだけのものなど、他にいくらでも知っている。

ゆっくりと和やかに進む会話に相槌を打ちながら、ヴィルヘルムの心はそこにはいないリュクレスを思った。


惚気だと言われようが、恋は盲目と言われようが仕方ない。


彼にとって、最も美しく、心惹かれて止まない女性は、まだ幼さを残すあの柔らかな娘だけなのだから。

早くあの娘を抱きしめたいと望むのに。

今もってなお、彼女はヴィルヘルムのもとに現れない。

王妃からの定例の文書も、リュクレスではなく、他の侍女が運んでくる。

避けられているのではとの思いは、もう気のせいだと誤魔化せなくなっていた。

他の事であれば、今までどおりどこまででも冷静で居られるのに、彼女のことになると途端に胸が焼け付き、感情が波打つ。

なぜ、リュクレスが避けるのか、ヴィルヘルムにはわからない。

ベルンハルトに話したように、公女との結婚話に身を引こうとしているのなら、そんなことを許すつもりはない。

(まだ、俺の手からすり抜けるつもりか?)

控えめなあの娘が、身分差に身を引いてしまうことを懸念して、秘密裏にいろいろことを処理しようとしているというのに、それが逆に彼女を不安にさせたのならば本末転倒もいいところだ。


これが終わったら、捕まえに行かなければ。

柔らかな娘の微笑んだ顔を思い出し、堪らなくなる。


膨らむ感情を吐息とともに外へ吐き出して、ヴィルヘルムはアルムクヴァイドに小さく耳打ちをした。

「…当座の問題を片付けてきます」

王はその意味を理解して頷き、その場を離れることを許可する。


その表情はどこか呆れを含んで、少しだけ苦い。

蒼天の眼が向けられているのは件の公女だ。


「明日の朝議は紛糾するかな」

「貴方の結婚話ではないのだから、どうでしょうね。ただ、何か言ってくる者は出てくるかもしれません」

「ルーウェリンナを呼んでおく」

「そうしてください」

歓談の席を立ち、視線を流して警備に目配せをすると、ヴィルヘルムは広間を出た。

熱心な眼差しは、ヴィルヘルムの背中を見つめていることだろう。

公女からの視線は、どれほどに鈍感であっても気がつきそうなほど熱の籠ったものだった。彼女はきっとこの機会を逃すことなくヴィルヘルムを追いかけてくるはずだ。


予測ではなく、それは確信だった。


席を立った目的は、公女と話をするためではなく、あの場から、彼女を退室させるためだ。

すでに敏い者ならば、公女の来国の理由が噂通りであると勘付いたはず。

深読みされて、ヴィルヘルムが他の縁談を断った時期との関連性を見出されでもしたら、いい迷惑だ。下手をすれば、彼女に取り入ろうと動く者や、逆に、他国に将軍を取られてはならないと突っ返した身上書を改めて送り始める者たちさえ出かねない。

王もそれを憂慮しての先ほどの言葉だ。彼が呆れるのも無理はない。

折角、公子が水面下で縁談を白紙に戻したというのに、その気遣いを彼女自身が水の泡にしようとしているのだから。






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