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晩餐会が行われたのは、煌びやかな蝶の間だった。


金細工の多い王宮の中で、この部屋だけは銀や白金で纏められており、眩いばかりの美しさは、華美な豪奢さよりも品の良い繊細さを感じさせる。

名の由来でもある銀や宝石で精巧に造られた蝶たちが、壁や天井で羽を休め、または飛び立たんがばかりに羽を広げている。シャンデリアの水晶が輝き、光がその姿を揺らめかせて、ゆらゆらとした陰影が、無機質な蝶たちに躍動感を与えていた。


その蝶たちに劣ることのない輝きをたたえて、アリューシャは微笑んだ。


元より美しい金髪は、香油で艶やかさを増し、乙女色の愛らしいドレスは、繊細な彼女を花のように飾る。胸元で煌くのは、大粒のピンクダイアの首飾り。

ふわりと香る匂いは、蜜のように甘い。


侍女たちの力作である。

可憐な姿で現れた公女を、その場の誰もが感嘆で迎えた。

まとわり付く視線を笑顔で躱し、アリューシャは兄とともに冬狼将軍のところへと向かう。スカートを品良く摘み上げ、流れるような動きで彼の前へと歩み出れば、彼はアリューシャを見つめて、にこりと微笑んだ。

玲瓏たるその笑みに、のぼせ上がる様に顔が熱くなる。

(やはり、とても美しい方)

女性のそれとは全く違う美しさ。

初めて彼を目にしたときから、アリューシャはその姿に魅了され続けていた。


その愛しい人が、今、目の前にいる。

恋に落ちた少女が好きな人を前にして、彼以外何を優先出来るというのだろう?


アリューシャは、柔らかなその声に自分の名が呼ばれ、愛を囁かれることを、うっとりと夢想しながら、右手を彼に差し出した。


彼はその逞しい腕でエスコートをしてくれるかしら。

本の中の王子のように膝をついて、甘い告白をアリューシャに囁いてくれるかしら?

彼に大切に愛されて妻として過ごす毎日を想像するだけでふわふわと雲の上にいるような心地になる。


彼は優雅にアリューシャの手を取って長身の身体を折り、その甲に口元を近づけた。触れるか触れないかのその行為に、さらりと紺青の髪が流れる。

顔を上げた彼は一歩後ろに下がり、片手を胸に当ると二人に対し、恭しく礼を施した。

「ようこそ、オルフェルノへ。この度の滞在が、両国にとって実りの多いものとなるよう、願っております。私たちも、そのための協力は惜しみません」

柔和で完璧な微笑み。その口上は簡潔で、無駄に飾り立てることもない言葉が、逆に、知性的な雰囲気を醸し出す。ヴィルヘルムとの面識のあるクラウスが、親しげな様子それに答え、穏やかに会話が始まると、アリューシャは拍子抜けしたようにその場で立ち尽くした。


(…それだけですの?)


社交辞令のような挨拶一つ、彼がアリューシャに与えたのはたった、それだけ。

何も、お話のような劇的な展開は何一つ、起きなかった。


眼差しも、言葉も、何もかもが、足りない。


(それともこれが男女の駆け引き、というものなのかしら?)

兄と話すヴィルヘルムを見つめる。彼らは貿易に関する小難しい話をしているようだった。

これでは口も挟めない。

(クラウス兄様達の話すことは難しすぎて、私にはわからないのに)

彼女の開くサロンで話されるのは、華やかで楽しい、例えば新しい流行の話だとか、誰かの恋の行方、想像力を掻き立てられる知らない国の話、そういうものだ。

国を担うのは男の仕事。女性は宮廷の奥で華やかに咲き誇ればいい。

公妃であった母も、政治に関わることなく、ただ華やかに、宮廷生活を謳歌していた。

もう、何年も前に亡くなってしまったが、アリューシャはそれを見て育ったのだ。政治に関心を持つことなどなかったし、ましてや、自分がそれに関わろうなどとは、一度たりとも考えるはずもなかった。

それでなくとも、彼女には有能な双子の兄たちがいた。

アリューシャはただ、王宮の奥で、花のように咲いていれば良かった。

美しい宝石や流行のドレスを選び、楽の音に耳を傾け、ダンスを習い、恋やお菓子の話をして、のんびりと優雅に過ごすのがアリューシャの日常。

同じ宝石の話でも、兄の話すような政治的な話など無粋だと思っているし、興味もない。

笑顔で受け答えをする兄を恨みがましい目でこっそりと睨み、アリューシャはつまらない話が早く終わることを祈っていた。


早く、着飾った美しく可憐な自分を、ちゃんと見つめてほしい。

その美しい声で愛を乞い、アリューシャの名を呼んで欲しい。


だが。

期待に胸を躍らせる彼女の思いをよそに、話が一段落すると、それを待っていた他の者たちに場を譲るように、将軍は一礼を残してクラウスの前から去ってしまった。

晩餐が始まり席に着いてしまえば、国王の傍に座る彼との距離は遠い。落胆を隠して、近しい席の貴族から投げられる話題に適当に相槌を打つものの、話がわからずアリューシャはふんわりとした微笑みを返した。それだけで、会話が止まり、うっとりとした溜息で終わることを、アリューシャは経験上知っている。


見つめた先で、王に耳打ちをした将軍が、席を立った。

視線がさりげなく流され、一瞬だけ、交差した。


(ああ…)


赤く染まった頬が、熱を持つ。

ふっと彼に微笑まれ、放心している間に、気がつけば、将軍はその場を後にしていた。


付いてきなさいということだと、アリューシャは分かってしまった。


「ふふ」

嬉しさに、とろりと微笑みが溢れる。

「アリューシャ?」

突然小さく笑った妹に、兄が怪訝な顔を向ける。

嬉しそうなアリューシャは、内緒話でもするようにクラウスに囁いた。

「将軍が私を呼んでいるわ。行ってきますね、兄様」

「アリューシャ…」

「そんな風に心配しなくても、大丈夫ですわ。きっと、彼は私を幸せにしてくれます」

清々しいほどに、迷いのない妹に、クラウスは違和感を覚えた。


縁談は無くなったと伝えたはずだ。では、あの微笑みはなんなのか。



宮廷の奥で大切に育てられた、深窓の姫。

無邪気で、無垢な優しい妹。そのはずなのに。


クラウスは漠然とした不安を感じながら、可憐な守るべきはずの妹の背中を見送った。








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