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「準備は順調ですか?」


背後から掛かった穏やかな声に、その場の全員が一斉に振り返った。

話をしていたとは言え、誰にも気がつかせることなく、いつの間にかその場に立っていた人物は、彼らの驚きを気にした様子もなく柔らかな笑顔を浮かべている。

身に着けているのは、深い色合いの紫紺のジュストコールに、光沢のある灰色のジレ。

隙のない貴公子に向かって、師団長を務める年嵩の騎士が敬礼とともに慇懃に口を開いた。

「気づかず申し訳ありません。…しかし将軍、城内で気配を消すのはやめて頂きたい。私たちはともかく、不必要に新米達に緊張を強いるのはあまりよろしくはないでしょう」

「ふむ、考慮しましょう。ですが、あまり意識してやっているわけでもないからね」

気にした様子もない男に、師団長は仕方なさそうに肩を竦める。

「前線に慣れすぎた弊害ですな。…こういう方だ、将軍に我らを試す意図はない。まあ、とにかく。…慣れろ」

「は、はっ!」

苦笑いを浮かべる騎士たちの中で、新米と呼ばれた若い衛兵達が緊張に上ずった声で返事するのを、部外者である金髪の男は白皙の顔に同情の色を浮かべて見つめていた。

現れた油断のならない男は、冬狼と呼ばれるこの国の将軍である。

まだ、城に上がって間もないのだろう彼らにとって、将軍はきっと憧れであり、雲の上の存在だ。その当人に気配も悟らせず近づかれたら、それは萎縮もするだろう。

列強の大国スナヴァールを退けた彼の勇姿は海を隔てたフメラシュにさえ、風に乗って聞こえてきている。


吟遊詩人が好んで謡う華やかな英雄譚、その主人公。

圧倒的不利な立場をひっくり返し、勝利を勝ち取った現代の英雄。


だが、年若い将軍は、想像していたような屈強な男ではなく、体格も彼とそれほど変わらない、端正な容貌の男だった。優雅な振る舞いと穏やかな話し方は、軍人というよりは宮廷人という方がしっくりくる。

考え事に反応の遅れたオルソは、周りの騎士たちから一拍遅れて、胸に手を当て、礼を取った。

「お初にお目にかかります、閣下。私はオルソ・クライエル・ダーエン。アリューシャ殿下の護衛騎士をしております。本日は控えの許可を頂き感謝致します」

「いや。広間に入れられなくて申し訳ない。貴殿の国以外からの貴賓もいるものですから」

「心得ております」

彼らは今、今夕の晩餐会の警護について、最終調整をしていた。

将軍は自らその進捗状況を確認しにしたのだろう。

「警備体制はすでに整い、彼の顔合わせで最終確認も全て終了しました」

将軍に物申した師団長は端的に状況を報告する。

「そうですか。変更点は?」

「ありません。全て、予定通りに」

慣れた様子で淡々と会話を終わらせると、師団長は軽く敬礼をしてから部下と共にその場を去っていく。フメラシュに比べると、その様子はとても気安く見える。

だが、将軍に気にした様子はみられない。

いつのものやりとりなのだろうと容易に想像がついた。

残されたオルソは不躾な視線にならぬようにと気をつけながら、将軍を注意深く観察する。

彼は、戦神の名を冠するような勇猛な騎士にはとても見えなかった。

確かに、細身に見えるその身体が脆弱なものではなく、鍛えられ引き締まっているのは姿勢の良さや動きの機敏さで窺い知ることが出来る。しかし、美しい身のこなしに、品の良い衣装、眼鏡を掛けた知性的なその姿は、戦場ではなく、社交界にこそよく似合う。

なによりも、身に纏う空気と態度が、あまりにも安穏とし過ぎている。

そう感じながらも、どこか侮りを寄せ付けないひりひりとした何かが、オルソの背を撫で警戒を解かせずにいた。


「私に何か用ですか?そんな風に睨まれるだけではわかりませんが」

穏やかな笑みを絶やさない将軍のその台詞に、内心を読まれた気がして金色の騎士は身体を強ばらせた。

「に、睨んでなど…」

言い淀み、彼は将軍とは異なる甘いマスクを少しだけ歪ませる。生真面目な気質のオルソは、金髪に褐色の瞳の明るい色彩と、軽やかな外見に軽薄に見られがちであるが、どちらかといえば四角四面で融通の利かない男だ。

見返す将軍の灰色の瞳には自分の姿が写り込み、彼の言うように、怒りが隠しきれずに炎となって瞳の中に揺れていた。

それは、オルソの胸にふつふつと湧き上がる憤りのせいだ。


…彼が、大切な姫を泣かせた。


冬狼の名を戴く英雄が姫の相手だったからこそ、オルソは己の恋心を胸に仕舞い込み、彼女の幸せを望んだというのに。

将軍は、顔を合わすこともなく、公女との縁談を断った。

いけないとわかっているのに睨みつけてしまうのは果たして私怨か、騎士としての使命感か。

オルソにも曖昧だ。

彼には幾つか将軍と共通している点がある。

年齢、そして伯爵家の次男という出自。自ら進んだ騎士の道。

だからこそ、将軍のように武勲を立て己の功績で叙爵の名誉を受けることがどれほど困難であるか、この若さで一国の将軍にまで成り上がった彼が、どれほど驚嘆すべき能力の持ち主であるか、身に染みてわかる。噂に聞こえた将軍を、他国の騎士ながら、オルソは尊敬すらしていたのだ。

それなのに、彼は市井の娘を妻にするために、我が国の宝である姫を受け入れることを拒み、傷つけた。


そんなことあっていいものか。

フメラシュの誇りを守る騎士として、また、姫の護衛騎士として。

騎士オルソの憤りは正当なもので、将軍は非難されてしかるべきだと。

浅はかにも、そう思い込んでしまった。


その愚かさに気がついたとき、将軍から受ける言いようの無い感覚が恐怖であったことを、彼は後悔と共に知ることとなる。







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