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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
三部  黄色い薔薇の、花言葉
157/242

幕間  恋に恋して、その先に  前編

ドレイチェクからスヴェライエに戻った後くらいの、アスタリア視点のお話です。


「なんだか、騒がしいですわね」

「フメラシュ公国の公子様と公女様がいらしているのです。ご兄弟揃って、とても麗しいご容姿で、まるで絵本の中のお姫様と王子様のようですもの。とても素敵ですわ」

頬を赤らめて彼らを見つめるその眼差しは、憧れというには少し熱が籠り過ぎている。まるで恋をしているような侍女たちにアスタリアは首を傾げた。

「麗しい方々なら、それこそ見慣れているでしょうに。ルクレツィア様もとてもお美しいですし、目の保養なら王も将軍も十分に鑑賞に足るのじゃなくて?」

「言葉が悪いのですけど、これがまた、毛色が違うといいますか…」

うっとりと目を輝かせる侍女たちになんとなく相槌を打ちながら、実際に彼らを見たアスタリアは、「ああ、なる程」と納得した。王や将軍の決然とした在り方は、その存在自体に重厚さをもたらして、侍女たちにとって距離があるように感じてしまうのだろう。それに比べ、フメラシュの公子たちはどこか身近な魅力的を持った人物なのだ。

誰にでも気さくに話しかける彼らは、とっても親しみやすさを感じさせる。

(品位はあるけれど、要は威厳が足りない、ということね)

アスタリアは年下に興味はない。それに、10代の頃から責任をもって己のなすべきことを行う王と将軍を近くで見て育ってきた彼女としては、公爵であるの父の元、まだ庇護下にある彼らが、どこか軽率で頼りなく見える。

その行動も、その瞳に宿す色の深みも。

しかし、王城の浮き足立つ女性の多さといったら、アスタリアが思っていた以上だった。

「…貴女もなの?エステル」

呆れた声が出ても致し方ないだろう。

「ええっ!だって格好良いじゃないですか。遠くから見る分には楽しいですよ」

目をキラキラさせて公子を見つめるその瞳は言葉通り本当に楽しそうだ。

「あら、遠くからでいいの?」

「当たり前ですよ。実際傍にあんな方がいたら、肩が凝って仕方ないです。遠くで格好良いねーって騒いでる位がちょうどいいんです。見慣れない美形で目の保養、ちょっとした楽しみってやつですよ」

あっけらかんとしてエステルはそう言ってのけた。

なる程、そういう言う楽しみ方もあるのか。暢気な彼女にはどろどろとした男女の火遊びなどと言う発想は欠片もないようだ。

お気に入りの同僚達が彼らの外見に本気では踊らされていない様子にアスタリアはほっとする。

そして、エステルの言葉を少し可笑しそうに聞きながら、王妃やフェリージア王女とともに笑うリュクレスをそっと横目で眺めた。

邪気のない笑顔はまるで子供のようにあどけない。

アスタリアの頭の片隅には、今朝のヴィルヘルムとのやり取りが思い出されていた。








人気のない訓練場に、彼はいた。


早朝の人のいない時間を、ヴィルヘルムは自分の鍛錬の時間に当てている。

アスタリアはそれを知っていた。なぜか、ということには目を背けて。

静かに剣を振る姿は、一騎士だった頃と変わらない。

ずっと、彼は変わらなかった。…彼女と出会うまでは。

「なぜ、あの子なのですか?」

名無し討伐で負傷したヴィルヘルムが、姿を消したリュクレスを追うように王城を離れると、ほどなくして将軍は怪我の療養のため領地に戻ったのだと伝わってきた。

彼が王城を離れていたのはたった2週間。それでも、アルムクヴァイドが王位を戴いてから、将軍が己の都合で彼の元を離れるのは初めてのことだった。怪我は浅く、毒も無事解毒されたというのにわざわざ領地に引っ込んだ理由など、アスタリアには彼女が原因としか考えられない。

そこまでの価値が彼女にはあるのか?

アスタリアにはわからない。将軍に尊敬を抱いているからこそ、将軍が職務よりも彼女を優先したことに多分納得ができなかったのだ。

彼女は優しい、害のない娘だ。だが、不利益を与えない代わり、男に何の益も与えない。

ヴィルヘルムは剣を振るのを止め、アスタリアを見つめた。優雅に見える剣捌きとは裏腹に、軽くはない剣を振り続けていた男の額に汗がにじむ。

距離を詰めることもなく、彼はその場で剣を鞘に収めた。

男は何も言わない。無言で続きを促されていることを感じ、アスタリアは誘導されるように、続けた。

「なぜ、リュクレスなのですか?ルーウェリンナ様であったなら私だって納得できます。ですが…」

ルーウェリンナならば、そう。

諦めも付いた。

聡明で美しく、香る薔薇のように気高い女性。

アルムクヴァイドやアスタリアの叔母にあたる彼女は、年齢的にはヴィルヘルムの一つ上でしかない。前王時代の廷臣たちにも強い影響力を持つ彼女と将軍との関係は実しやかに囁かれており、故に彼は決まった女性を隣に置かないのだと、そう思われてきた。だからこそ、彼はこの年まで結婚話に煩わされることなく仕事に没頭できたという一面もある。

それが、覆された。アスタリアには納得がいかない。

ヴィルヘルムは表面上とても穏やかに、微笑んだ。

「貴女に納得してもらいたいとは思っていません。何を思って彼女を私にふさわしくないと思うのか知りませんが、私はあの子以外に欲しいと思った女性はいない」

穏やかすぎたから、アスタリアは引き際を見誤った。

告げてはならない言葉を彼に告げたのだろう。

「……確かに可愛らしい…ですが子供のような娘です。同情ですか?」

「いや?恋に落ちたのですよ。幼げに見えて誰よりも強く優しい娘に。私に失望するのは勝手ですから、どうぞ好きにしてください」

「……あの子は貴方に相応しくない。釣り合わないではありませんか」

アスタリアは食い下がってしまった。

彼の偽りの穏やかさは綻びを作ることはなく、だが。…その仮面は彼の手で外された。

急速に、周囲の温度が下がった様な気がした。


灰色の瞳が氷の刃のように突き刺さる。


「似たようなものを隣に並べて喜びたいのであれば、勝手にやっていてください。ただ、彼女にその言葉を言ったのなら私は貴女を許しません」

今まで感じたことのない威圧感に支配され、アスタリアは息を飲んだ。心臓を握りつぶされるような感覚に、じっとりと冷汗が流れる。睨むでもなく、ただ、ひたりと見据えられた瞳は一切の感情が削ぎ落とされたかのように静かだった。

けれど、その静謐がはらむのは、無慈悲で冷酷な…殺気だ。

喉の奥に引っかかったように、声が出ない。

「ようやく手に入れた彼女を、俺は逃すつもりはない。邪魔をするなら覚悟してもらおう」

そこで初めて気がついてしまう。狼を怒らせ、敵とみなされたことに。

いつも泰然自若として、物静かな笑みを湛えた冷静な男は、今、獰猛な獣の如く牙を剥きアスタリアを威嚇する。

必死なのはこの男のほうなのかと、愕然として思い知る。

「よく言うでしょう。人の恋路を邪魔するものは馬に蹴られて、とね。私に何を言おうと構わない。だが、あの子を傷つけるようなことをしたならば…彼女と違って、俺は優しくはない。貴女であろうとも、容赦はしません」

その言葉に絶句し、凍てつく凍土の眼差しに背筋を凍らせた。

彼は不言実行の人だ。その人が、言葉を口にしたならば、それは確実になされるだろう。

その意味に、かたかたと全身に震えが走った。

うっすらとアスタリアの中にあった恋など消し飛び、逃げ出したいほどの恐怖に身体は竦む。

この男の傍に居ることなど、とてもではないがアスタリアは無理だった。

受け止めきれない。

ならば、あの娘は?

柔らかいばかりのあの娘にはそれが出来るというの?

それとも、冷酷な男は全てを隠して彼女を囲い込むのか。

「…その恐ろしい顔を隠して、あの子の傍にいる気ですか」

いつか彼女が逃げ出そうとしたなら、この男はどうするつもりなのだろう。

素直に逃がすのか、強引に縛り付けるのか、…それとも。

彼は昏い愉悦を浮かべて、口角を引き上げた。

「彼女は私のこの一面を知っている。なにせ、首を落とそうとしたからね」

「!」

「それでも、彼女は真っ直ぐに自分の心に忠実だった。誠実な目で私を見据えた。…思えばその時、既にあの子に落とされていたのかもしれない。一目惚れだ」

惚気るような言葉なのに、彼の纏う壮絶な冷気に、ぞっとする。


「こんな私を受け止める。さて、彼女をまだ子供だと侮りますか?」







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