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「で、誤解は解けて、丸く収まった、というわけね」
やれやれ、と肩を竦めたフェリージアに、リュクレスは申し訳なさそうに頭を下げた。
「心配をかけて申し訳ありませんでした。ヴィルヘルム様から、フェリージア様がとても心配してくださったと聞きました」
「そ、それは…貴女の様子がおかしかったから…よっ。でも、まさか、犬も食わない痴話喧嘩だったとは思わなかったわ」
はじめは焦ったようだったフェリージアの声は、けれど、最後の方はどこか呆れて聞こえた。リュクレスは慌ててそれを否定する。
「え…喧嘩じゃないですよ?私が勝手に嫉妬してしまっただけで、ヴィルヘルム様は全然」
(…嫉妬されて、将軍、さぞ喜んだことでしょうね)
会心の笑みを浮かべるあの男が目に浮かぶ。
彼ばかり喜ぶのは不公平だ。少しくらい彼の格好の悪いところを暴露しても良いだろうと、フェリージアはにやりと笑った。
「何言ってるの、貴女に避けられて、相当物騒な気配を背負っていたらしいわよ、将軍」
「え?」
「騎士達相手に、稽古に託けて憂さを晴らしていたのですって。この間なんて手加減もなく相手するために、複数対で対人戦していたらしいわよ?」
「そんな…危ないじゃないですか」
「…ぼこぼこにされたのは、もちろん相手の方だから。この場合心配するなら将軍の相手をさせられた騎士たちに、よね?」
リュクレスは何も言えず、困った顔をした。
「大丈夫よ。将軍も大きな怪我をさせるようなことはしないわ。筋肉痛と擦り傷程度でしょう。安心なさいな」
鍛錬を怠ることはないが、多忙なヴィルヘルムが兵士たちの相手をすることは珍しい。
英雄である将軍に手合わせしてもらったと、青痣を作った当の兵士たちは嬉々としているそうだから、脳筋とは空恐ろしいものだ。
ちなみにこの情報は、副官ベルンハルトから齎されたものである。
鬱憤が晴れるまではリュクレス身が危険だから、狼に近づけないようにと警告を受けていたのだが、結局無駄になってしまった。
…王城の中で襲われるようでは避けようがないではないか。
全然我慢が効かないじゃないの、将軍。
愚痴を零したくなるフェリージアだったが、困りながらも、恥ずかしそうにはにかむ少女を前にして、仕方なくそれを飲み込んだ。
だって、リュクレスが本当に幸せそうだったから。
そんな顔を見てしまえば、怒ってなんていられない。
こみ上げる微笑みを隠して、フェリージアはすました顔を作った。
「でもまあ、貴女が幸せそうだから…いいわ。許してあげる」
彼女が笑えるよう、手助けできたことが嬉しい。
誰かの為に何かをすること、それはフェリージアにとって初めての経験だった。
けれど、それを素直に言い出せないあたり、意地っ張りの性格は健在で。
王女の拙い優しさが、リュクレスのじんわりと温めて、声を詰まらせる。
リュクレスはゆっくりと深呼吸をして、柔らかな感謝を王女に向けた。
「フェリージア様、ありがとうございます。大好きです」
その言葉に、フェリージアは表情を作ることも忘れて目を見開いた。
こぼれ落ちそうな新緑の瞳が、瞬く。それから、その顔が見るも見事に真っ赤に染まる。あまりにも鮮やかな変化にリュクレスがぽかんとして、それから。
本当に嬉しそうに声を上げて笑った。
こらえきれず、フェリージアは手を伸ばし、小さな侍女を抱きしめる。
ありがとうはこちらのセリフだと、声にして言いたいのに胸がいっぱいで声が出ない。
欲しかったものは、その柔らかい笑顔。
王女として自分に何かやれることはあるのか、温室育ちの自分がだれかの幸せを願い、それを叶える力になれるのか、ずっと不安だった。
けれど、彼女がそばにいると、できる気がするのだ。
なにかしてあげるのではなく、なにかしたい。
だれかの幸せを願うことは、お仕着せの厚意ではなく、自分に出来ることを探す、自分探しのようなものかも知れない。
自分の中の優しさや、思いやり。
自分でない誰かのことを憂い、その幸せを望む。
そんな感情、フェリージアは自分が持っていると知らなかった。
姉の教えてくれた王族としての尊厳と民を思う心。
そんなに難しいことではないのだと。
この腕の中にいる娘を思うように、会うこともないであろう、けれど、そこで生きるスナヴァールの民たちを思えればいい。
こうやって泣いて、笑って支え合える国であるように。
フェリージアは知らず頬を濡らした涙を拭って自分を受け止める柔らかい少女に感謝を返す。
それは、嗚咽混じりで、ひどく聞き苦しいものだったけれど。
リュクレスは何も言わず、王女をぎゅっと抱きしめ返した。
王女が帰国するまで、あと一週間。
リュクレスの嫉妬編終了です。リュクレスが恋愛に慣れていない人でよかったね、将軍(笑)
将軍への駄目出しは、次章にご期待下さい(笑)




