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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
三部  黄色い薔薇の、花言葉
152/242

6



「お久しぶりです。フェリージア殿下。こうして話をするのは初めてですね」

にこりと柔らかい笑みを浮かべてそう挨拶するのは、この国の守護神。

眼鏡に飾られた目元は涼しげで、綺麗な顔立ちは貴公子然としてとても優美だった。

差し伸べた手の甲に口づけを落とすその所作も洗練されて隙がない。

身につけているものも騎士とか軍人というには武骨さを匂わせず、落ち着いた服装はセンスを感じさせる。確かに上質の紳士だが、彼は戦いを厭わない荒々しさも持ち合わせているのだ。その落差は魅力的にも映るが、逆に警戒も抱かせる。

気圧される訳にはいかないと、元来の負けず嫌いが出たフェリージアは、つんと顔を上げ、尊大な態度を崩さず、ソファに腰掛けた。彼は、彼女の内心を正確に読んでいるのだろう、穏やかな笑みを絶やさぬままに、許可を得ると向かいに座る。

「挨拶ならもう結構よ。お話があるそうですわね」

回りくどい会話は好まない。フェリージアの意志は彼にも通じたようで、男はゆっくりとした口調で、けれど単刀直入に話を始めた。

「同じ賓客である、フメラシュの公女殿下はご存知ですか?」

先日の晩餐会で挨拶ならしている。将軍も参加しているのだから、知らぬはずもない。となれば、求められているのは彼女への感想か。

「…私、あの方嫌いよ。無邪気で無垢でとても綺麗な、守られるためにいるようなお姫様」

むすりと、顔をしかめ、王女は素直に言い切った。

「そうですか」

「悪かったわね。どうせ、私は性格悪いわよ」

僻んでいるわけではないが、そう取られても仕方がないことは、フェリージアとてわかっている。容姿がいくら整っていようとも、己が守りたいと思わせるような姫でないことは自分が一番理解しているのだ。そうやって比べられることも慣れている。

…慣れているが、慣れているからといって不快に思わないわけではない。

不機嫌な王女に、将軍はその端正な面立ちに僅かばかり苦笑を浮かべた。

「あの子は、貴女がとても優しい姫だと言っていましたよ?」

具体的な名を言わない「あの子」というのが誰を指すのかフェリージアにも簡単に思い浮かんだ。

「…本当に、将軍の大切な子なのね」

表情を改めて、王女は将軍を見た。

ルクレツィアからはここだけの話と言われていたから、実際に確認したことはなかった。

あの侍女は決して自分からは将軍のことを話はしないから。

「ええ。とても大切で、愛しい恋人です」

「惚気かしら?」

「暢気にそういうことが出来る状況であるならばいくらでも。けれど、今は少し立て込んでいます」

「…ご多忙な将軍が、それでなんのご用?」

「さすが王妃の妹君でいらっしゃる。前置きが不要で助かります」

嫌味を綺麗に返してくる将軍に、イラっとしてこめかみが痙攣する。以前であれば、ここで癇癪を起こしていたのだろうが、精神的に落ち着くと沸点も幾らかは高くはなるらしい。

「…さっさと話をどうぞ」

むすっとしながらも話を聞かないという選択をしない姫に、ヴィルヘルムは瞳を和らげた。

「私に縁談が来ています。貴女の嫌いと言ったあの姫との」 

ぎょっとして、目を見張った。なんのつもりだと、表情は自然と険しくなる。

「は?…ちょっと、まさか受ける気じゃないでしょうね?」

「まさか」

「そうは言っても、一国の公女からの求婚を断るのは、それほど簡単なことではないのでなくて?」

「そうですね」

「それでも、断るの?」

淡々と受け答えをする男に、フェリージアはますます不満げな表情を浮かべた。

けれど。

「私が愛するのはあの子だけです。誰であろうとも彼女以外と結婚する気はありません」

「……」

男の表情は変わらず冷静で、その声音にも熱は籠らない。それでも、決然とした言葉は、動かしようもない信念のようなものを感じさせた。

「相手国にはすでに、断りはお伝えしてあります。ですが、穏便に、それも早急に片付けるために、スナヴァールの王女である貴女の協力が欲しい」

眼鏡越しの灰色の瞳は真摯に、王女への協力を求める。

それは、あの侍女への誠意。いや、これは、愛というべきか。

フェリージアは込み上げるものを抑えるのに苦労する。溢れたそれが、口元を緩ませた。

こそばゆいような、歓喜。あの子が本当に大切にされていることが、嬉しい。

隠しきれない喜びをそれでも、誤魔化すように咳払いをして。

「将軍なら高く売れるわね。我が国でも、ほかの国でも。フメラシュ公国以外の国だって」

「そのようです」

複数の国が、将軍に姫を降嫁させる動きを見せれば、オルフェルノは国同士の均衡を考えて、どの国の姫も選ばないという選択がしやすくなる。その状況で、無理を通そうとすれば、フメラシュはオルフェルノだけでなく、他の国の心象も悪くすることになるだろう。

老練なフメラシュ公がそんな選択をするとは思えない。

「わかったわ。協力しましょう」

フェリージアは満足げに承知した。

「それから。もうひとつ」

「…まだ、あるの?」

重ねられた言葉に、胡乱な眼差しをむければ、眼鏡越しの目が細められた。

「どちらかといえば、こちらが本当の願いです。貴女だからこそ頼みたい。リュクレスを守ってほしい」

「…どういうこと?」

「あの子が私の婚約者であることを、公女は知っています。私はどうとでも対応できますが、リュクレスにあの姫を近づけたくない」

「あの子が、身を引いてしまうとでも?」

将軍は静かに首を振った。その瞳に浮かぶ皮肉げな光。

「いいえ。貴女も言ったでしょう。無邪気で無垢で、守られることが当たり前な姫だと。無垢で純粋…二人を表現する言葉は似ているようでいて、本質は全く異なるものだ。あの姫に無神経にあの子を傷つけられたくはない」

「…似て非なるもの」

「そう。貴女には人を見る目がある。私の言う意味がわかっていただけますね?」

姫の無邪気さは、特権階級ゆえの傲慢だ。辛いことも、我慢も知らず、傷ついたことなどない。故にふわふわと優しく在れる存在。無意識にそれを感じ取って不愉快に感じたのだ。

…ああ、確かに自分が選ばれないとは、彼女は思ってもいないだろう。何不自由なく育ち、手に入らなかったものはない。選ばれない理由を考えもせず何故と、その疑問をきっと、リュクレスに投げかける。自分が傷つけられることには大げさなくらい反応するのに、人を傷つけることにあの手の人間は酷く鈍感だ。

無知な無垢さは、無神経と同義語で、時に残酷だ。

「あの子が立ち向かってくれると知っているからこそ、彼女を傷つけるとわかっている人間をみすみす近づけたくないのです」

その言葉に、フェリージアはひとつ疑問を浮かべた。

「何故、私に付けられることは反対しなかったの?控えめに言っても、私はあの子を大切に扱いはしなかったわ」

「そうですね」

遠慮の欠片もなく、きっぱりと、ヴィルヘルムは肯定した。王女の綺麗な柳眉が顰められたのを見て緩く笑う。

「何度か、本気で止めたくはなりましたが…あの子が笑っていましたから。彼女の心をちゃんと貴女は受け止めていましたしね。少々やり方は不器用だとは思いましたが」

「…悪かったわね」

感情がそのまま表情に出るフェリージアは我儘といえば聞こえは悪いが、嘘のないその性格は不器用で好ましく、真っ直ぐで清々しい。

「彼女への対応を見れば貴女がどんな方かわかります」

彼は柔らかく微笑んだ。

「貴女はわざと人を傷つけることはしなかった。八つ当たりにいつも後悔をしているのが見えてしまえば、リュクレスが見守っているのに口は出せません」

「…やはり、守られていた?」

「ええ、彼女のやり方で、精一杯守っていましたよ。途中から非難するような視線は減ったでしょう?」

「……」

「貴女が困っているだけだと、周囲も気がついたのですよ。侍女たちへの対応に本当はただ不器用なだけだとね。貴女方が共にいる姿はどこか微笑ましいものに変わった」

「…そういう守り方もあるのね」

「知らぬうちにそうやって守られているから、彼女には頭が上がらない」

将軍が滲ませた何かに、フェリージアは気がついた。その言葉はフェリージアだけに向けられたものではなさそうだ。

「…もしかして、将軍も?」

守るべき娘に守られている情けなさ、戸惑い、けれどそれ以上に、大きく胸を占めるのは…温かな喜び。

彼は微笑んだまま。けれど、その瞳はとても優しく変化した。

「気がつけば守られていますよ。情けない話ですが。ですから、私も彼女を大切にしたいのです」

フェリージアはじっとヴィルヘルムを見つめていた。彼の灰色の瞳の中に隠されることのない愛情を見る。

望むものを見つけて、彼女はすっと綺麗に背筋を伸ばした。

その瞳に凛とした強い意志を浮かべると、

「わかりました。あの子を守るために私も戦いますわ」

宣言をするようにそう告げる。

スナヴァールの第2王女は、傲岸不遜なふりをして微笑んだ。


それから、綺麗に整った片眉を釣り上げる。

「…ところで将軍、あの子に何かした?」






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