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これは、ヴィルヘルムがリュクレスを連れ、怪物の屋敷を離れた後の話だ。
指令通り時間差で王城を立ったバルロスの部隊の頭上を鷹が舞った。
中空を滑るようにして降り立った飛空の伝令がもたらした将軍の手紙には、怪物の所在とその処遇に関してが簡潔に書かれていた。
それを受け、彼らが屋敷に辿り着いた時には、そこはすで火の海と化していたという。
夕暮れの薄闇の中、舐めるような炎が屋敷を包み込み、逃げ出してきたのであろう使用人たちの顔を照らし出す。誰一人言葉もなく立ち尽くし、焼け落ちる屋敷をただ遠巻きに眺める彼らの顔には一様に生気がなく、余りにも無感情で、それは何とも異様な光景であった。
翌日、鎮火した瓦礫の中から見つかったのは、ふたり分の亡骸。
骨すらも、白く脆く崩れそうな老人と、成人男性の死体。黒ずみ灰と化した遺体では怪物のものか判然としないと報告を受けたが、…間違いなく彼らであるとヴィルヘルムは確信していた。
事実、その後闇ギルドの動きは整合性を失った。
怪物と言われる闇商人がいなくなり、繋いでいた中核を失ったことで体系だって動くことが出来なくなったのだ。
怪物の正体が掴めなかったのは、彼らが関わる全ての者たちを徹底して個別に動かしていたからであり、また、ヴィスタリオがギルドマスターとしてではなく、ただの一商人として各々に対し違う顔で接していたからだった。オルフェルノ国内では、闇ギルドだけでなく、合法の商人たちでさえ、彼らの知らぬうちに巧みに計画に組み込まれていた。どう繋がっているのか、全貌を知り得たのは怪物だけ。末端の者たちは自身の仕事以外は何も知らずにいたのだ。
だからこそ、全ての根幹を失った今、仕事は滞り、統制の取れない彼らは失態を重ね始めた。
それほど長い時間は掛からず、誘拐されていた多くの人々が救い出されることになる。
そして、ヴィルヘルムの元には全ての情報が揃った。
ばらばらになった紙片をつなぎ合わせて、出来上がった青写真。
それは、おぞましい計画が明るみに出た瞬間でもあった。
怪物が行おうとしていたこと、それは。
―――愛玩人形の「生産」だ。
監視の厳しいオルフェルノに怪物が来ていた理由。
それは特徴のある色彩を持つものが多く、交易国として人々が行き交うオルフェルノで、実験交配のために人間を捕獲するのが目的だった。
彼らは此処に、市場ではなく、人間用の飼育場を作ろうとしていたのだ。
特徴のある髪色を、その瞳を。
容姿を掛け合わせて、望み通りの愛玩人形を作り出す。
怪物となった男達の目には、人も家畜も変わらずに写っていたのだろうか。
今となっては確認のしようもないことだ。
ただ、とてもではないが、リュクレスの耳に入れられるような話ではなかった。
そして、誘拐された者たちにとっても、その周囲の者にとっても、それは知るべきことではないだろう。知ったところで、誰ひとり救われない。
ヴィルヘルムは、この事実は闇に葬ることに決めた。
だからあの時、ヴィルヘルムは彼女の望みを叶える振りをして、情報を選択して与えたのだ。
闇ギルドの商人であり、この誘拐事件に関わりがあったこと。偶然とは言え、名ばかりの父親であったルウェリントンに次いで、実父も人身売買に携わっていたのだ。
それだけでも、リュクレスにとってはひどく辛いものであっただろう。
父親自身が怪物であり、この兇行に加担していたことを知れば、彼女の弱った心をどれほどに深く傷つけるか。彼女自身は被害者でしかないのに、その罪は重く彼女の上に伸し掛かる。
薄暗くなった室内で、声を落としてチャリオットは天を仰ぐ。
「真面目な優しい子はなんだか損するね。彼女は何も悪いこともしていないのに」
理不尽だと思う。
ただその血を引いているというだけで、彼女が生きてきた道程に全く関わりのなかった男の罪を、彼女が背負い、償う必要なんて欠片もないはずなのに。
だが、そう伝えたところで真実を知ったならば、彼女にそうやって割り切ることなどできはしないだろう。
ならば、初めから言葉を偽ろう。
全てを嘘で塗り固めれば粗もでようが、真実の中に嘘を織り交ぜれば、それは真実味を増して事実のように聞こえる。
ヴィルヘルムは緩く、口角を持ち上げる。その表情は苦い。
「もう少し鈍感であってくれれば、全てを隠し通したのですけどね」
「本当に。リュクレス嬢は思いのほか頭が切れるね」
感心したようなチャリオットに、ソルも頷くしかない。
彼に至っては出会って早々、彼女に自分の感情を正確に読み取られた記憶がある。
「勘のいい子ですからね、おっとりして見えて聡明だ。人の機微に敏いのも理解はできる」
「あの男も自分勝手なものだ。あのまま父親だと名乗らなければ、その血に、あの男の罪に彼女が罪悪感を抱くこともなかった」
苦々しい思いに、ヴィルヘルムは怒りを滲ませた。
娘の幸せを思うなら、最後まで娘と呼んではいけなかったのだ。
名乗っておいて、幸せになれなどと、自分勝手も甚だしい。
その上、あの男が自分の罪をその命で贖ったと知ったなら、リュクレスは悲しみを重ねるだけだろう。
「この秘密、墓場まで持っていってくれるか?」
ヴィルヘルムは二人に向かってそう問いかけた。
その声はとても静かで真摯な響きを持っていた。
アリシアと恋仲にあった黒髪の男と、怪物を繋ぐ線はどこにもない。
つまり、リュクレスと怪物を結ぶ線を知るのは、ここにいる3人…そして、マリアージュだけだ。
リュクレスの幸せを望み、危険を負ってまで情報を持ってきた彼女が、それを話すことはないだろう。
そして、彼らも、きっと。
ヴィルヘルムの視線を受けて、チャリオットは軽い口調で承知した。
「ここで忘れていくよ。俺だってリュクレス嬢には幸せになってもらいたいし。子供には親を選ぶことは出来ないんだしね」
リュクレスが涙するのをチャリオットは見ていたのだ。あの時の忸怩たる思いはまだ彼の中で燻っている。
彼女は一生懸命に生きているだけだ。その幸せを奪う気にはなれない。
ソルも同じ思いでいたのだろう。
ただ、寡黙にも頷くだけだったが、それ以上を必要とは感じさせないほど、言葉よりも鮮やかに、漆黒の瞳はその意思を伝えたのだ。




