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「立ち話もなんですね。座りましょうか」

リュクレスはヴィルヘルムに促されて、ソファに座った。深く沈み込むようなそれを、そういえばいつの間にか苦手だと思わなくなっていた。立ち上がる際、当たり前に差し出される手。

その手の持ち主は左隣に座ると、人目を憚ることなく、リュクレスの腰に腕を回して彼女の右手を捕らえた。そうすると、引き寄せられ男の右腕の中にすっぽりと身体を包みこまれるような姿勢になる。

かぁっと顔を赤くして、彼を見上げるとすました顔がそこにあった。

「君が話を聞きたいと言ったのでしょう?ほら、逃げない」

「で、でもっ…なんだか…近すぎませんか…?」

間違いなく、近い。

近いが、向かいに座るソルもチャリオットも態とらしいくらいに視線を逸らして、それに対しては答えてくれない。唯一、視線を合わせてくれる男は離れる気などないようで、

「私は丁度良いですよ?」

硝子越しの灰色の瞳をゆっくりと細めた。

逃がす気はないと、言葉でなくどこか獰猛なその瞳が語る。

「あのー、そろそろ話を始めても良いのでしょうか、将軍」

あらぬ方を向いたまま、棒読み口調のチャリオットは、ヴィルヘルムがちらりと投げた同意の視線を受け取って、ぽりぽりと頭を掻いた。

「えーと。雁首揃えてここに集まった理由はね、お嬢さんに報告があるからなんだけど」

「お前は報告したらさっさと帰れ」

一刀両断でばっさりと切って捨てたのはもちろん冷酷非道な上司である。

「ええっ!あれ?さりげなく酷くない?」

かなり真面目に話を戻そうと思ったのに、それはないだろうと、チャリオットは本気で泣きそうな顔をした。先ほどの抱擁を、将軍はまだ根に持っているようだ。

「調子に乗るからでしょう」

重ねるように、遠慮なく傷に塩を塗りこむのは彼の従者だ。付き合いが長いだけあって3人のやりとりには忌憚がない。

「リュクレス嬢、助けてっ。ふたりが虐める~」

「え、えっと…。よしよし?」

呆然としながら見守っていたリュクレスは、唐突に助けを求められて驚きつつも、手を伸ばして、身を乗り出したチャリオットの頭を慰めるように撫でた。

「うう、お嬢さんだけが優しい…」

年上なはずなのにチャリオットは時々孤児院の子供たちを思い出させる。

お調子者の悪戯っ子の彼らが大人になったらこんなふうになるのだろうかと、リュクレスはなんだか微笑ましくなって、戸惑いはいつの間にか、ほんのりとした笑みに変わった。

ふわりとした柔らかいそれは、陽だまりの心地よさによく似ていた。

ヴィルヘルムはふと呟いた。

「君が笑うと花が咲く」

「…え?」

白い雪原の中、雪の下から芽吹く花のように。

「殺風景な部屋の中でさえ、花畑のように彩鮮やかになる。眩しいくらいだな」

リュクレスだけが、その言葉の意味を理解できない。


朝日に照らされた銀色の世界に、雪の中から逞しくも慎ましく顔を覗かせる。

雪解けの露に濡れるその姿は瑞々しく、美しい。

春が来ることを告げる、その花を見つけた時の感傷にも似た思い。


殺伐とした世界で生きてきた男たちにとって、その長閑さは手を伸ばすことを躊躇うほど大切にしたい憧憬であると。

彼女の戸惑いを知っていて、ヴィルヘルムはただ穏やかに微笑むと、チャリオットに先を促した。

「今、ドレイチェクに留まっている理由は知っている?」

「ええと、なにか結果待ちだと、ヴィルヘルム様が。それ以外はよくわかっていません」

「そうかぁ。将軍はお嬢さんにもあんまり説明しないんだ?」

「結果が出れば自ずと分かることを、先に話したところで不安を煽るだけでしょう」

「細工は流流っていうからなぁ…。将軍のやり方だから仕方ないよね」

「ひとつずつ、話します。まず、この国を取り巻く現状から」

ヴィルヘルムはそう言うと、準備されていた羊皮紙の地図を広げた。

そこには歪な三角形のような形の大陸が描かれていた。向かって左上にオルフェルノ、北の海に面して、中央にスナヴァール、オルフェルノの左下にプロムダール、右下にアルタフス。スナヴァールの向こうにある国々はリュクレスでは名も聞いたことのない国々の名が並ぶ。

「この大陸の列強といえば大陸中央のスナヴァールと、東のエトリブラです。エトリブラに関してはスナヴァールが倒れない限りは我が国への侵攻は考えられません。まあ、現在の王は尊厳王と言われるとても高潔な御仁ですから、それこそ、こちらが卑劣な行為にでも及ばない限り戦いにはなり得ない。そして、スナヴァールとの関係も王妃との婚姻によって良好なものとなりつつある。先の王暗殺未遂の首謀者である宰相は更迭され、現在政権を握るのは国王と穏健派だ。あちらは今内政に集中したいようですから、条約を破棄してまで攻めて来ることはないでしょう。盟約は確かなものになっています。」

「で、オルフェルノの南にあるアルタフス、あ、俺の母国ね。ここは今、君主が病床にいて他国に干渉する余裕はあまりないんだ。代わりに政治を動かしているのは宰相なんだけど、この人、将軍並みに性格悪くてさ~、…いや、嘘です。冗談はともかく頭のいい人だから、オルフェルノの王様を買っているみたい。戦争するより仲良くやっていたほうが、国の利益になることを理解してるよ」

チャリオットは地図上に指を置いて、安心させるようににっこり笑った。

「そして西南に位置するプロムダール。隣接する国の中では唯一奴隷制のある国で、現在周辺同盟国の中では最も情勢が不安定な国です」

そこで言葉を切ると、ヴィルヘルムはリュクレスの様子を伺った。彼女は相槌を打ちながら話について来ているようだった。

「その火種となっているのがその奴隷制度です」

「奴隷制度…人が売られたり、買われたりしているんですね?」

「ええ。彼らに保証された人権はない。所有され、時に暴力的な支配を受ける」

リュクレスの表情が曇る。それでも、彼女は自分の感情を口にはせず、じっと耳を傾けることに集中していた。

「我が国は、この国の民がこの国を守りたいと思って戦うから強い。それはスナヴァールや、アルタフスも同じです。だが、プロムダールでは前線で戦うのは奴隷たちです。故に兵の士気は低い。それを知っていた前王は国防に奴隷を使うことはあっても、悪戯に侵略をしようとは考えなかった」

「今の王はちょっと考えが足りないんだよね」

ため息混じりにチャリオットが首を振る。

「残念ながらそういうことです。少し話が飛ぶように感じるかもしれませんが、先に隣の大陸の話をしましょう。この東大陸の西の海を渡ったところにもうひとつ大陸があります。かの大陸には残念ながら奴隷を使わない国はありません。そして、その中の一つにカフェリナ王国という国がありました」

ヴィルヘルムの言葉に、リュクレスは首をかしげた。

国の話をするのに過去形なのは違和感がある。

「今はないんですか?」

「ええ、ありません。カフェリナは滅びました。2年…いや、もう3年前になりますね」

「もしかして、その原因もその奴隷制度、ですか?」

「そうです。その国は、奴隷を働かせて国力を維持していました。何故なら、外貨を稼ぐために、自国民すら国外に売り出していたから」

「…え…?」

余りにも衝撃的な言葉に少女は耳を疑い、目を見開いた。

「酷い話です。王や諸侯たちにとって、国民はただの国の資源でしかなかった。国を支える基盤であり、国民がいるからこそ、国が成り立つとは思っていなかったのでしょうね。…そんな状況が長く続くはずもない。決起した奴隷達に市民も乗じ、起きた反乱は国を焼き尽くした。未だに収束すること無く、あの国は乱れたままです」

「流石に、ね。海を隔てたこっちの大陸や南の大陸にさえもカフェリナの愚行は嫌悪された。でも、同じ奴隷制度を持つ国は、侮蔑しているだけでは済まなくなってきたんだよ。だって、奴隷たちはどの国でも多かれ少なかれ不満を持っているんだから」

渋い顔をしてチャリオットが相槌を打ち、ヴィルヘルムが言葉を繋いだ。

「統制力のある荘園主は奴隷の使い方も上手い。考えることもなく、ただ言われるがまま生きるというのは、ある意味、楽な生き方でもある。虐げられることなく、最低限生活を保証してくれる領主の元で、唯々諾々と従属している奴隷たちもいる。そんな彼らにとって奴隷制はそれほど悪いものではないのかもしれません。ですが、そんな環境にいる奴隷たちは少ない。多くは不満を、あるいは憎悪をもって奴隷という立場に貶められていると感じているはずです。その彼らが、カフェリナの反乱を知ったとしたら…」

「自分達もと、考えると思います。…それが、プロムダールの火種に繋がるんですね?」

「正解。お嬢さんも知るとおり、将軍は誘拐事件の解決と、国内外の人身売買の抑止に動いていたわけだけども…その延長線上で他国の奴隷制廃止にも知恵を貸していたりもする。ちなみにプロムダールにもね。奴隷が国の負担になり始めていた国にとっては渡りに船の提案だから、オルフェルノは結果として外交上の成功を得た。だから、いくら将軍が負傷したってバレたところで、今オルフェルノに戦争を仕掛ける国はない。現に、ほら」

チャリオットがにんまりと笑ってリュクレスに見せたものは、他国からの将軍への見舞い状だった。

「一刻も早い貴殿の快癒を祈ります、だってさ」

「君が怖がるようなことにはならないと、これで証明できたでしょう?約束します。恒久の平和は無理でも、もとよりアルムクヴァイド王の望む治世は平穏な世です。侵略させるような隙は見せませんし、侵略が利益にならないと思えば、相手だって仕掛けては来ないでしょう。周囲の国も安定してくれれば、同盟は果たされ平和は長く保てる。私が動けなくとも、戦争など起こらない」

リュクレスはヴィルヘルムを敬慕の眼差しで見上げた。その目は国の守護者として、彼女が恩返しをしたいと望んだ将軍を見つめる眼差しだ。その事実に、ヴィルヘルムはひやりとする。今更、将軍様などと言われても彼女の前ではただの男でしかないのだ。

だから、娘が悄然と肩を落とし、傷を見せたことに醜いまでの安堵を感じた。

「私…子供みたいですね。考えが足りなくて…やっぱり、空回ってばかりだ」

小さな声で呟かれた言葉にはやるせない思いが滲む。

戦争は嫌だった。ヴィルヘルムを失うことも。そう思って彼の元から離れたのに、その行動自体無意味だったと知らされて、リュクレスは虚脱感に肩を落とした。残るのはヴィルヘルムに無理をさせたという自責の念と、自分の無知さに対する羞恥心。

守るだなんて、何をおこがましい事考えていたんだろう。

苦しそうな顔でリュクレスは俯いた。顔向けできない思いに、じっと視線はつま先に落ちる。その様子に、ヴィルヘルムはそうじゃないと含めるように彼女に言い聞かせた。

「君がそういう人だから、私は必死になったのです。いつも誰かの為に自分が出来ることを懸命になそうとする君のために。どうすれば国が安定して、平和が保たれるか、攻められない国にするにはどうすべきか。俺が平和を欲したのは君が理由だ。俺には平和の価値は理解できてもそれを求める感情が足りなかった。君がした選択は、きっと他の誰かも不幸にしない、そんな選択だろう?空回りなどではないよ」

戦争になったら巻き込まれる人がいる。大切な人を失う人たちが出る。

そんなこと、リュクレスは望まないだろう。

彼女が、自分の幸せだけを求めて見て見ぬふりをするのであれば、ヴィルヘルムはこれほどまでに彼女を大切に思えなかったのではないかと思う。辛い思いを知っているからこそ、誰かがそんな思いをしていれば、リュクレスは相手に手を差し出す。見返りだとか、自分の損得というものを抜きにして、ただ、自分の出来ることを探そうとする。

それを身の程をわきまえろと思うのか、彼女の思いを汲みたいと望むのか。

ヴィルヘルムはどちらでもない。そんな彼女らしさを愛するがゆえに、彼女の想いは全てヴィルヘルム自身に向けて欲しい。だからこそ、国の安寧を求めるのだ。

誰よりも自分本位で身勝手なのは冬狼将軍と呼ばれるこの国の守護者自身。

国民たちもそれが理由と聞けば呆れるだろうか?

だが、平穏を望まぬ民はいないはずだ。

それで、何が悪い?

将軍自身は悪びれもしない。

アルムクヴァイドの暗殺未遂を機に、スヴェライエの中は刷新され随分と風通りは良くなった。それでも、全ての貴族が王の、そして、将軍の味方ではない。積極的に敵対せず、安易に策謀を巡らせるような者たちでないだけ、扱いづらいというのが実情である。

だが、単純に味方ばかりでないからこそ、今回のように箝口令を敷いたはずの情報が王城から外に溢れ出す。そして、それに対する周辺国の反応を見ることができるのだ。

将軍負傷の情報に対し他国の反応は二種類。そんな情報は知らないと白を切って沈黙を守るか、リュクレスに見せたもののような見舞い状を出して情報が入っては来たが敵対する気はないという意思表示をするか。実際、開戦の準備などしようとした国はない。

それは、チャリオットの言うとおり、外交の成功とも言えるかも知れないが、西大陸ではカフェリナの反乱の火の粉は既に周辺国に飛び火しているからだ。自国の統制に他国に兵を出している場合ではない現状がある。

どの国も問題を抱えている。


しかし、不穏な国外の情勢など、心優しい娘が知る必要はないのだ。








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