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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
一部  恩返し
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王が黒い森に愛人を囲っている。

そう外で噂されるようになる頃には、リュクレスが屋敷に来て3ヶ月が過ぎていた。

屋敷内は使用人や警備の騎士など人が増えているため、どことなく賑やかだ。

実際のところ人が増えたところで、リュクレスに接するのはソルと侍女のマリアネラ、料理長のアルバほか数人程度だ。愛人という立場上敬遠されているようでもある。


「ソルはこのままこの屋敷に居ますから大丈夫ですよ。安心しました?」

ヴィルヘルムの言葉にリュクレスは安堵で息を吐き、それから大きく頷いた。屋敷に必要な人員が配置されれば、もしかしたらヴィルヘルムの従者として、ソルが本来の仕事に戻ってしまうのではとの不安は、ヴィルヘルムに気が付かれていたらしい。

「ソルは従者と言っても、存在自体をほとんど知られていませんから、彼が此処に居ても、私が干渉していることに気が付かれる可能性はほとんどないでしょう」

ヴィルヘルムはリュクレスに向かい、にこやかな口調で話を続ける。

「君は気にしなくてもいい。ここでの仕事、ソルもまんざらではないようですから」と、人の悪い笑みを浮かべた主人を、いっそ清々しいほど綺麗に無視したソルは、やれやれと言った風情で頷いた。

仕方がないという風を装って、けれど、その表情がそれを裏切るから。

ヴィルヘルムの言葉が真実であるとリュクレスにも感じてしまう。

ちらりと、ヴィルヘルムを見れば、彼はリュクレスにだけわかる様に片目を瞑って目配せをする。口元に浮かんだ笑みが、リュクレスも伝わってしまって、慌てて口元を隠して誤魔化した。

「何処に耳があるかも知れません。計画のことは、屋敷の中でも誰にも口にしてはいけませんよ。何人かは計画を知っていての護衛ですが、誰なのか教えるのはやめておきます。貴女は嘘が吐けなさそうだから」

そんな会話もあって、リュクレスは屋敷内で皆との一定の距離感を不安に思うことなく過ごせている。

ソルは家令としてこの屋敷に居てくれる。直接的な関わりは減ったものの、気配りは相変わらずで、細やかだ。


庭に出ることも少なくはないが、屋敷内ではどうしても過ごす事の多くなった2階の居室で、リュクレスの定位置は見晴らしの良い窓辺だ。大きな窓で日当たりもよく、敷かれたラグがソファよりもリュクレスにとっては居心地が良い。

ラグを準備したのはもちろんソルだ。

眼下に見下ろす庭は、新緑の青が目に鮮やかで、花も花壇に明るく色を添えている。

絵本の挿絵のような小さな世界を黒い木立が囲む。

上から見ると余計に、この庭と屋敷が切り取られた世界であることを実感する。

だが、黒い森の離宮はリュクレスにとって、囚われる檻ではなく、守るための腕のように優しい場所だった。

ヴィルヘルムの思いやりも、ソルの優しさも、宝物のように大切で。

マリアネラやアルバと、段々親しくなって、触れ合えるのが嬉しくて。

屋敷で働く人達とも敬遠されながら、それでも視線が合えばお互いにたどたどしく笑顔を返しあい、静かにほんのりと温かい交流を深めていたから。

小さな世界の毎日は、窮屈でも、退屈でもなくて、ただひたすらに穏やかで温かい。

まるで、この日向の様に。

窓の外は明るく、少し開けられた窓からはそよ風が入り込み、リュクレスの黒髪を揺らした。

…風に乗り、花の匂いがふわりと香る。

それは、外から届いた。

手元の花瓶に活けられているのは白い花。花弁は大きくカップの様に丸く花は膨らんでいる。可愛いその花に匂いはほとんど感じない。

匂いの少ないその花を選ぶ理由は、ヴィルヘルムに移る残り香を気にしてのことだ。

王から香るべき匂いがヴィルヘルムから香ることは、よろしくないだろう。

だから、せめてその姿が、心を癒すようにと、部屋を飾るのは匂わぬ花を選んだ。


窓の向こう、黒の森から馬車がやってきた。

こぢんまりとしているが、綺麗な光沢を帯びたその馬車が、手入れの行き届いたものであることは遠目からでも明らかだ。

お忍び用ではあるが、間違いようもなく、王家の馬車である。

屋敷の前で止まったそこから降りてくる体格の良い男性。

フードで顔を隠しているが、歩く姿には威厳がある。

彼は、少しだけ窓の方を見上げた。フードに隠されて視線は合わないのに、口元に笑みが浮かぶのだけは窺える。

視線を戻し、男が正面玄関に向かうのを確認して、リュクレスも立ち上がった。

手に持っていた花瓶を日差しを避けて卓に置くと、部屋の扉に向かう。

「王がお見えの様ですね」

ティーセットをテーブルに準備しながら、マリアネラはにんまりとリュクレスを見た。

花を生けるリュクレスの邪魔をしないように、声を掛けることもなく、時機を見計らっていてくれたのだろう。

彼女は、リュクレスより6つ年上だという。人生経験の差からか、はたまた性格のせいか、彼女にはいつもからかわれたり、冷やかされたりと、動揺させられることが多い。けれど、困らせられることはなくて、とても美人なのに、いつも砕けた話でリュクレスの緊張を解いてくれる。

静かに見守ってくれているのに、今もからかう気満々の笑顔に、リュクレスは苦笑いするしかない。

「ええ。えっと、いつも様に二人にしてもらえますか?」

「もちろんでございます。どうぞ逢瀬をお楽しみください」

婀娜っぽい仕草でそんなことを言われるから、リュクレスは顔を真っ赤に染めた。

「何時まで経ってもリュクレス様がそんな風に初々しいから、王も3日と開けずにこちらに通われるのでしょうね」

「ええと…」

「ふふ。動揺する姿もお可愛らしい。でも、これ以上は王様に怒られてしまいそうですから、私はこれで失礼いたしますね。」

赤い顔の少女がまだ動揺しているのを、楽しそうに目の端に捉えながら、マリアネラは艶めいた笑みを浮かべ、タイミングよく扉を開けた。


数歩先に在る質の良い外套を纏った黒衣の男。フードの下の表情がどのような感情を浮かべているのか、マリアネラには見ることが出来ない。

身を端に寄せ、迎え入れた王と入れ替わる様に、綺麗な所作で礼をして部屋を辞する。


閉まりかけの扉の向こうで、男がリュクレスを抱きしめるのが見えた。

閉ざされた扉はもう、二人を映すことはない。

王は、本当にリュクレス様がお好きなようだ。侍女の私には全く目もくれない。

いや、彼女しか見えていない。


「なんて一途な妄執かしら」


零れ落ちた小さな一言は、誰にも拾われることなく廊下に消えていった。



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