表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
二部 夜の帳と水鏡
136/242

35



「ここからなら、グランフェルトの領地の方が近いか」

ヴィルヘルムは少し考え込んだ様子を見せた後、行き先を決めたらしく、安心させるようにリュクレスに微笑んでから手を伸ばした。軽々と身体を抱き上げ、馬の背に乗せる。

馬上の高くなった視界で、ヴィルヘルムの視線を追うように、少女は屋敷の2階の窓を見上げた。

窓辺に人影はない。

屋敷の中に居るはずの、リュクレスを娘と呼んだ男は、今何を思うのだろう。

姿の見えない男を思い浮かべ、その姿を探すようにリュクレスは視線を泳がせる。

どこを探そうとも、彼は窓辺に姿を見せはしなかった。

一抹の寂しさが、胸に去来する。

もっと、ちゃんと、話をしてみたかった。

彼がどんな人だったのか、リュクレスは全く知らないから。

彼のことも、母のことも、もっと聞きたかった。

ふたりがどんな出会いをして、共にどんな時間を過ごし、そして、リュクレスを授かったのか。

…お互い想い合っていたのに、どうして一緒に居られなかったのか。

聞きたいことは、たくさんあった。本当に、たくさん。

けれど。

その機会は決して訪れないだろう。

きっと、彼は二度とリュクレスの前には姿を現さない。

…彼の言葉は、別れの挨拶に他ならなかったから。

リュクレスがヴィルヘルムに視線を戻すと、彼は軽快な動きで馬に乗り、彼女の身体と共に手綱を引き寄せた。

「ヴィルヘルム様。怪物って、一体なんのことですか?」

「…どこでその名を?」

ヴィルヘルムの声が、本当に少しだけ、硬くなる。

「あの人が…こんな所に怪物がいるとは思わないと」

遠慮がちに答えるリュクレスに、彼は納得したように「なるほど」と小さく呟いたが、その答えを返すことはしなかった。

「そうですか。…その話はいずれ、また。まずは、ここを離れます。休めるところへ向かいましょう」

代わりに返された言葉にヴィルヘルムの気遣いを感じて、リュクレスは声を詰まらせる。

「…でも…、あの…」

彼が、謝罪を求めていないのはわかっている。それに甘えてばかりいたくないと思っているのに。リュクレスは謝罪を口にしようとして、怖気付く。物言いたげなリュクレスに気がついていないはずはない彼が、しかし、言いかけた言葉を静かな声音で遮り、言わせまいとするから。リュクレスはどこかほっとして口を閉ざした。

背中にヴィルヘルムの温度を感じることに安堵しながら、反面、落ち込む気持ちに歯止めをかけることができない。

(何をしているんだろう…ヴィルヘルム様に、迷惑をかけただけ、だなんて)

黒髪のあの男の人の言葉が真実であったのなら、ヴィルヘルムを殺そうとしたのはリュクレスの父親なのだ。


傍になんて、居てはいけなかったのかもしれない。

こんなふうに守られてなんて、いてはいけないのかもしれない。


…それなのに、離れたく、ない。

やっぱり、傍にいたいと、願ってしまう。


「余計なことは考えないで、ただ景色でも見ていなさい」

ぐいっと、身体が引き寄せられた。それでなくても馬上である。密着する身体をさらに引き寄せられて、隙間などどこにもないくらいの近い距離。馬の揺れと落ち込む思考に気を取られていたが、ヴィルヘルムの吐息と心音に気づいてしまえば、気持ちは一気にそちらに向かってしまう。右手で手綱を引いて、左手は逃がさないとでも言うように、リュクレスのお腹に回されたまま。寒さをあまり感じなかったのは、ヴィルヘルムの外套に包まれて、リュクレスはすっぽりと風から守られていたからだ。

ヴィルヘルムの愛馬は白い息を弾ませて、颯爽と駆ける。

空は厚い雲に覆われ、白と灰色が重なり合って濃淡の陰影を作り、僅かに薄くなった雲のカーテンの向こうが少しだけ明るかった。

灰色の空と丘の流線に向かって伸びる白い道。先が見えない、それだけでどこか不安になる。まるで、自分のことみたいだ。

リュクレスはぐったりとして目を閉じた。考えることも、悲しむことも、…色々とありすぎて、出来もしないのに、投げ出してしまいたい気持ちになる。

…気持ちが悪い。

冷や汗がうっすらと、額に浮かぶ。長い乗馬に、慣れない身体中がどことなく痛んだ。

顔から血の気が引いていくのがわかる。冷たくなっていく手のひらに、リュクレスは自嘲した。

(なんて弱い心だろう)

ヴィルヘルムに拒絶されることが怖くて、身体が先に弱ってる。こんな姿見たら、ヴィルヘルムは怒ることすらできなくなってしまうのに。

(本当にずるいなぁ)

冷たい空気を吸って、吐いて。目を開けば、目眩が襲う。

ヴィルヘルムの言うように景色を見ていることすらできなくて、リュクレスは瞼を閉じると背中を彼に預けた。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ