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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
二部 夜の帳と水鏡
130/242

29



「さようなら」


小さく囁くその声は愛する者の声だった。

悲しげな声音が紡ぐ、離別の言葉。俯き、振り返ることもなく去っていく娘に手を伸ばそうとして、届かないその距離に、動かない足に、ヴィルヘルムは焦燥を募らせた。

呼び止めようにも、声が出ない。

伸ばそうとする手も、追いすがろうとする足も、もう存在していない。

そのことに愕然とする。

去ってゆくその背中は頼りなく、…どこかで泣き声が聞こえていた。


それは、リュクレスを失う夢。


「…っ!」

目を覚ますと、見知った天井があった。

滅多にはないが、それでも、この部屋に世話になることがなかったわけではない。王城の治療室であると分かり、ヴィルヘルムは正確に自分の状況を把握する。ゆっくりと硬直した身体から力を抜くと、小さな寝息が聞こえて、少しだけ頭を上げる。寝台の端に頭を預けてくったりと眠るリュクレスの姿があった。

手の届くところに彼女がいることに安心してほっと溜息を漏らす。

離れてゆくあの後ろ姿はただの夢だ。

「つっ…!」

上半身を起こそうと右腕を突いた途端に響く痛みに、ヴィルヘルムは声を押し殺した。

…ああ、そう言えば剣が掠ったな。

痛みは大したことはない。数針縫った程度だろう。だが、この身体の重たさは明らかに。

「毒か」

「リュクレスに感謝するんだな。解毒が遅ければ死んでいたかもしれん」

ぼそりとした呟きに返るその声に、ヴィルヘルムは顔を上げた。視線の先には、入口の扉の前で腕を組んで立つヤン・フェローの姿。その顔はひどく不機嫌だ。

「寝る間も惜しんでまる二日、お前の看病を続けていたんだ。流石に疲れただろうよ」

リュクレスはふたりの会話にも目を覚ますことなく死んだように静かに眠っている。

ヴィルヘルムは視線を落とし、手の甲でそっとその柔らかな頬を撫でた。

「ヤン」

「気になることがある」

幼馴染は険しさを隠しもせず、ヴィルヘルムの呼びかけを遮った。


…嫌な予感が、蜘蛛の糸のように絡みつく。


触れられる位置にこの温もりがあるというのに。

胸に巣食う言いようのない不安に、反応するのが遅れた。

それでも感情は仕舞い込み、冷ややかなほど静かな眼差しで、ヤンに答える。

「…なんだ」

「解毒剤を持ってきたのは言ったとおりリュクレスだ。だが、…毒の種類をこの娘はどうして知っていたんだろうな?」

そう、リュクレスは知っていたのだ。ヴィルヘルムが王城にたどり着く前から、彼を蝕む毒がヒュバルであると。わかっていたからこそ、クラハグサを持ってきた。

だが、あの時、王城内の誰ひとりとしてヴィルヘルムが受けた毒に対する情報を持ってはいなかった。

ヤンでさえ、ヴィルヘルムが受けた毒の特定はできていなかったのだから。

では、彼女はどこからその情報を得たのであろうか?

その答えはヴィルヘルムの命を狙ったものに通じる。

「……」

「別に、こいつが裏切り者だなんて思っちゃいない」

ヤンはそう言いながら、泣きそうな顔で必死になったリュクレスを思い出す。

泥だらけになって必死に薬草を持ち帰ってきた彼女が、毒など使うわけはない。

だが、だからこそ、別の意味で危険なのだ。

「初めから…、俺の命が目的ではなかったということか」

ヴィルヘルムはじっと眠り込む恋人の顔を見つめる。

狙いはリュクレスだ。マリアージュの言うとおり、相手は思う以上に卑劣だった。

リュクレスを手に入れるために、ヴィルヘルムは利用された。


「俺の命と引き換えに何を取引したんだ?リュクレス」

眠り姫の頬を撫で、彼は問う。そこに、応えは…ない。






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