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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
二部 夜の帳と水鏡
127/242

26



「さようなら。探さないで、忘れてください」

自分勝手な言葉に羅列。


怒ってくれてばいい、呆れてなんて失礼なやつだと軽蔑してくれればいい。そうしたら。

きっと悲しみは少なくて、済む。

リュクレスはヴィルヘルムを残し治療室を出ると、王城の外に向かった。

門番の兵士は早朝の外出に少し訝しむような顔をしたが、落し物をしてきたのだというと、納得して通してくれた。

「そう言えば、届け物は間に合ったのか?」

「はい、ありがとうございました」

悲しい気持ちを隠して、門番にむかい、リュクレスは笑った。

気にかけていてくれたのだろうか?

薬草を探しに外に向かったあの時も、彼が当番だったのだ。

「泥だらけになって探してきた甲斐があって、よかったな」

強面な顔に朗らかな笑みを浮かべて、詳しいことを知らない男はただ、一生懸命だった娘の行為にそう言ってくれた。

「…はい。よかった、です」

助かって良かった。…本当に、良かった。

「無くしもの見つからなかったとしても、あまり暗くならないうちに帰れよ」

「はい」

彼は純然たる厚意で、心配をしてくれている。

それが、嬉しい。

…戦争はやはりダメだ。彼も、ヴィルヘルム様も、戦場に向うから。

手を挙げる門番に見送られ、スヴェライエに架かる石橋を渡り、森へと向かう。

手折られた白い花が転々と、森の奥へと続いていた。

花を追い黒い森に入り込むと、だんだんと周囲が深く暗くなっていく。

後ろを振り向けば、木立の隙間から見える湖に黒い木々が影を落として、照り返す白い湖面に手を伸ばすように見えた。

混迷する周囲の国々と平穏を望むオルフェルノ。

どこか暗示的めいたその景色に、どうか捕まらないでと、リュクレスは願った。

前を向き直り、暗がりを進む。白い花を目で追うのが少し困難になってきた頃には随分と森の奥までやってきていた。

「来たな」

薄暗い森の中。

細い幹にもたれ掛かり、闇に沈み込むようにして黒髪の男はそこにいた。

陰鬱さを内包し黒衣を纏うその存在は、輪郭さえ漆黒に混じり合い、金色の瞳だけを昏く光らせる。

震える足を叱咤し、リュクレスは真っ直ぐに男を見つめた。

「…約束は守ってくれますか?」

「将軍が倒れたことは伏せよう。今後、俺が彼に危害を加えることはない。さあ、手を取って」

男の首肯に水面のような瞳が一度だけ波紋を浮かべ、少しして鏡のように静かになった。差し出された手に小さな手が乗せられる。

「契約は成立した。これで俺のものだ」

初めて男の声に感情が交じった。

僅かながらに浮かんだそれは歓喜というのが最も近い。

その言葉に、リュクレスの片方の瞳から一筋だけ透明な涙がこぼれ落ちた。

身勝手な自分。

この選択をしたのは自分なのに、ヴィルヘルムから、離れたくない。

ヴィルヘルムに私のものだと言われたときは、あれほど嬉しかったのに。

男の言葉を拒否出来ない悲しさと悔しさに。

それでも、灰色の瞳が温かく輝くならそれでいい。

リュクレスは祈るように目を閉じた。


生きていて。ヴィルヘルム様。

例え逢えなくても、約束を違えた私を憎んでも、忘れても構わないから。

だから、どうか。

生きていてください。


手を引きながら男が尋ねた。

「何故泣く?」

どうして?

その質問に悲しくなる。

なぜわからないのだろう?

声が詰まりそうになるのを堪え、リュクレスは声を絞りだした。

「…心があるから」

彼らにとって道具や人形のようなものであっても、人、なのだ。

感情があって、それを受け止める心がある。

「君が自分から俺の手を取ったんだ」

咎めるように男は言った。選択したのは、リュクレスだと。

だが、その選択肢しか与えなかったのは…目の前の男だった。

リュクレスは肯定も否定もせず、ただ、目を伏せた。それが男を怒らせることになるかも知れないと分かっていても、「はい」とは答えたくなかった。

男は強引に手を引いて、黒い森に隠されていた馬車に、娘を乗せた。

抵抗をしないことに、彼は一先ず満足をしたようだった。

半年前のような直接的な恐怖を感じないのは、彼の目にあの下卑た眼差しがないからだろうか。もしかしたら、悲しさに心が麻痺してしまっているからかもしれない。

昏く沈んだ瞳が望むものはわからないが、そこにリュクレスを蔑むような色はない。けれど、彼は意志のある人間としてリュクレスを見てはいないように思えた。

リュクレスに目隠しを施すと、男は何かを染みこませた布を口元に当てた。

ツンとする刺激臭に危機感を覚えリュクレスは反射的に抵抗した。身体をよじり、男の手を剥がそうとするが、逆にぐっと口元に押し付けられて、思わず深く息を吸い込んでしまう。

ぐらりと重くなる頭、けぶる思考。

―――連れて行かれてしまう。

抗いたい想いは、意識とともに沈んでゆく。

沈んだ意識の中、誰かが聴かせるかのように、曇りのない声が届いた。


「…笑ってくれ、アリシア」


(…アリシア…?私は…アリシアでは、ないのに)

そんな疑問が形になる前に、リュクレスの意識は頼りないほどあっけなく途切れた。







薬で意識を手放した娘を座席に寝かせば、車内には車輪の転がる音だけが静かに響くだけとなった。

男は向かいの席から規則的な寝息を漏らす娘を眺めやる。動きやすいように作られた侍女服には必要のない膨らみはない。身に着ける娘のその細さは隠されることなく、黒い色がまた頼りないほどの線の細さを際立たせていた。

呼吸とともに小さく動く肩、小さく膨らむ胸。あどけない表情は決して穏やかとは言い難い。それでも、柔らかなまろみを帯びた頬は薄らと色付き、その唇は花びらのようだ。

面影が重なる。首をかしげる動作も、その口調も。

真っ直ぐに見つめるその円な藍緑の瞳。

…手に入れれば、脳裏に浮かぶあの微笑みが見られると思ったのに。

だが、娘は笑わない。

宝石のような藍緑の瞳は、溶けるように和らぎはしなかった。

「本当に仕方のない人ね」

口癖のようにそう言って、それは許しの言葉。

「アリシア…笑ってくれ」

そう言って男は静かに、黒髪の娘の頬を撫でた。


美しい年上の女だった。

困ったように囁いて肩を落とし、藍緑の瞳を細め口元に手をやって、おおらかに笑う。

月明かりに、軽やかに踊るように身を翻し、水鏡のような瞳に綺羅々と光を瞬かせて。

逃げるわけでもないその細い腕を捉えた記憶。


その造作はよく似ているが、余りにも子供のように幼げな容貌は出会った頃の彼女よりもずっと稚い。その頬にかかる髪も、彼女のそれは光に当たると淡く輝く栗色だった。

共通点を見つける度に、相違点を感じしまう。

ゆったりと、男は頭を振った。黒い髪が乱れる。

彼女との逢瀬。突然の別れ。消えた彼女を見つけることができず、男は彼女を諦めた。

同じ瞳を持つ娘を見つけたのは運命だ。

乱れた黒髪の隙間から、どろりと澱のような暗い光が娘をとらえる。

若かりし頃の男は、飛んでいった鳥を探すことをしなかった。

この娘は閉じ込めて、鳥かごに鍵をかけよう。

こんどこそ。逃がさない。


この娘が―――ならば尚更に。







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