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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
二部 夜の帳と水鏡
121/242

20



城内がなんだか少しだけ落ち着きがない気がする。

何かを探すわけでもなく、リュクレスは周囲を見回した。

外郭が落ち着かないのは、将軍たちが出兵しているからだ。各地に散った名無しの一斉討伐に出かけてもう10日経つ。少ない兵だけで常と同じ王都の警備も行っているのだから、それは忙しいだろう。

いつものようにフェリージアのもとに向かうと、硬い顔をした彼女に王妃のもとへ行けと促された。彼女の今までにない緊張感の理由がわからなくて、リュクレスはぼんやりとした不安を抱きながらも、王妃の部屋へと向かう。

こっそりと片隅で談笑する使用人、すました顔ですれ違う廷臣たち。

綺麗な立ち姿で、姿勢よく巡回する近衛騎士。

変わらない宮廷内の日常が、そこにある。

いつも違う空気は気のせいかも知れない。ただ、心の中の不安が違って見せているだけなのだろう。

見上げれば、いつもと変わらず精霊たちが天井を泳ぐように優雅に舞っていた。

綺麗に磨かれたスレートと大理石の格子柄の床には中央に絨毯が敷かれているが、リュクレスは使用人達の歩く廊下の端、剥き出しの床の上を好んで歩く。絨毯より転びにくいのだ。

硬い床にかつかつと、ゆっくりとした軽い足音が小さく響いた。

階を上がり、最奥に向かうに連れて人気は少なくなり、内装は華美に、豪奢になってゆく。

花の木彫りが美しい装飾の扉。

王妃の部屋には、王夫妻が待っていた。

王妃の傍に立つ王のその顔はとても険しく、部屋の中に漂う張り詰めた空気に、リュクレスは無意識にタンポポのペンダントを握り締める。

「なにか、あったんですか?」

じわりと形を成して胸に広がる不安。

それは人払いされ、彼らの前に自分だけが残されて、さらにいやでも増してゆく。

どくどくと、煩いほどに心臓が音を立てる。

息の詰まる沈黙に、リュクレスが耐え切れなくなる寸前、ようやくアルムクヴァイドが重たい口を開いた。いつもの茶目っ気はなく、その顔に苦渋が滲んだ。

「ヴィルヘルムが怪我を負った。今日の午後には運ばれてくるだろう」

怪我…運ばれて…?

祈るように胸の前で組まれたその手が、小さく震えていた。

大した怪我でないのなら、彼は自分の足で帰城するはずだ。そうしないのであれば、…そうできないのであれば。

リュクレスの胸の奥に冷たいものが滴り落ちた。

地面そのものが揺れ動くような不安定さに、踏ん張りが利かない。

顔色を蒼白にして、今にも崩れ落ちそうな娘に、アルムクヴァイドはそれ以上の情報を与えることを躊躇った。アルムクヴァイドとて冷静ではいられないのだ。

崩れ落ちたこの娘を支えられるか、自信がない。

だが、沈黙は余計に不安を煽るだけだろう。王はずるい方法だと知りつつも、医者の名を出した。

「城の医師はおまえも知っているヤン・フェローだ。彼に任せておけば大丈夫だろう。しばらく、堪えてくれるか?」

何もできないもどかしさ。案じることしかできない情けなさ。もう二度と逢えないのではないかという…不安、恐怖。それを分かっていて、耐えろと望む。

リュクレスはただ、無言で頷いた。

宝石の瞳は酷く不安定に揺らめいたが、それでも涙をこぼすことはなかった。

ただ、少しだけ縋るようにルクレツィアを見つめ、

「王妃様…祈りを捧げてきても良いですか。少しだけでも、良いのです」

懇願するように頭を下げた。

ルクレツィアは痛ましそうな光を浮かべ、そんなリュクレスを抱きしめる。

「侍女の仕事のことなら気にしないで。今は、将軍のことだけ、自分のことだけを考えて?」

「…ありがとうございます」

包み込む細くしなやかな腕、柔らかな身体が与えてくれる、その優しさと、暖かさに無性に泣き付きたくなる自分を堪えて、リュクレスはゆっくりと王妃から身体を離した。







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