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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
二部 夜の帳と水鏡
119/242

18



秘密の通路を使ってヴィルヘルムの執務室にやって来たソルは、不機嫌な雰囲気を隠しもしなかった。

将軍の前に揃うのは、チャリオットとソルの二人だけ。

いつもであれば、ここにベルンハルトが加わるが、そうでないのならば、個人的な理由。リュクレスのことなのだろうと、言われる前に予想がつく。

「お嬢さんのこと?」

同じように思ったチャリオットが先に口火を切ると、ヴィルヘルムが頷いた。

「怪物の正体がわかった。カフェリナの王族だ」

「わぉ。自分で自分の国を滅ぼしたわけ?」

「そういうことだな」

瞠目するチャリオットだが、彼自身も故国を見捨てた男だ。驚きはしても、信じられないとは思わない。しかし、その情報源があの女となれば、少し話は違う。

「あの女狐の言葉を信じるの?」

「…あの女の覗き趣味には辟易するが、リュクレスに幸せになって欲しいと思っているのは真実のようだからな」

「覗き?」

「リュクレスが笑っていたから手は出さない、そうだ」

「つまり離宮のお嬢さんを見守ってたってこと?うわー、すげー。ソルも気がつかなかったの?」

「…残念ながら逃げられたんです」

気がつかなかったわけではないと、言外に付けられた言葉がしかしどこか弁解めいているのはソルとしても不本意なことだったからなのだろう。

「ボルセウス家の養女が俺とアルに恨みを抱くのはわからないでもない。ボルセウス伯を討ったのは俺たちだしな」

7年前、オルフェルノにとってスナヴァールは今以上に強敵であった。

国力も、兵の数も、何もかもが比較にならないほど差は歴然としており、正面からぶつかったところで、到底勝ちようなどなかった。どの国も、多勢に無勢のオルフェルノに勝機など見出してはいなかったはずだ。

だが、オルフェノの国民だけは心折ることなく、諦めることをしなかった。

不撓不屈の国民を率いたアルムクヴァイドが前線を支え、ヴィルヘルムは地の利を活かし、側面からの奇襲を繰り返しては隊列を混乱させ、分断していった。時間、場所を予測させず、そらを読み、機を捉えた強襲は、スナヴァールに休む隙を与えず疲弊させることに成功し、侵攻の足を止めさせるだけに止まらず、名だたる将の多くを戦死または負傷させ、かの国を撤退に追い込んだ。

何処からともなく現れ、屍を築いては去っていく、返り血と土に汚れ、吹雪を味方につける峻烈なる姿が、どれほど敵国の兵たちに恐怖を、味方の兵には畏敬を抱かせたのか。これが、ヴィルヘルムが冬狼と恐れられるに至る所以となった。

激しい戦場のそのただ中に、彼、ボルセルウス伯も将として参戦していたのだ。今であれば、話し合いという手段を選ぶこともできただろうが、あの頃は同じテーブルに着くことなどできはしなかった。彼の戦死は、スナヴァール撤退の呼び水となった。

ボルセウス伯は人格者であったと聞いている。

家族人としては温厚な男であり、頼もしい夫であった。彼の妻は訃報を聞きそのまま鼓動を止めたという。

一人残されたマリアージュがそれ以降どのように扱われたか。

それは、何も知らなかった無垢な娘が、狂気を纏い婀娜めいた王の愛妾になっているその事実だけで、語られずとも想像はつく。彼女は弄ばれる度に心を壊してゆき、今の彼女になったのだ。

王への、そして将軍への憎悪は容易く消えるようなものではないだろう。

「それでも、あの女は俺に長生きしろと言った。あの子のために、だがな」

「なるほど。…お嬢さんって自覚ないけど、すごい浄化作用だよね。ね、将軍?」

言わんがことを理解して、ヴィルヘルムは流した視線だけでお調子者を威圧する。

「ま、ま、それはさておいて。彼女が狙われている理由はわかったんです?」

慌てて話の先を促すチャリオットに、ヴィルヘルムは眼光を緩めもせず首を振る。

「……不明だ。ただ、どうやら彼女の母親に関わるらしい」

思わぬところに繋がって、ソルもチャリオットも意外な事の成り行きに驚いた。

「母親?」

「もしかすると、リュクレスの出生に関わるのかもしれない」

彼女の出生は明らかだったはず。

「出生って…彼女はルウェリントン子爵とアリシアっていうノルドグレーン伯のところの侍女の子供なんでしょ?…まさか、子供の取り替えだとか?」

「それはないだろう。あの眼は母からの遺伝だそうだから」

非常に珍しい藍緑の眼。同じ瞳を見つけることのほうが難しい。

「…ということは」

「ダフィード・ルウェリントンの髪の色は金色だ。そして、彼女の母も明るい栗色だったそうだ。リュクレスは母親の家系が黒髪だと、聞いていたそうだが…」

「まさか、父親が別にいるとでも?」

意味ありげなことを言っておきながら、ヴィルヘルムはあっさりと首を振った。

「…さあな。憶測にすぎない。リュクレス自身はダフィードと直接会った事はないから、違和感がないようだが、容姿のどこにも接点がないのは確かだな」

ルウェリントンは、リュクレスを認知した時も代理人を立て、一度も彼女とは会っていない。

「でもさー?おかしくない?子爵はお嬢さんのことを調べて、認知したんだろ?似ても似つかない、自分の子じゃないかもって思った庶子を認知なんてするかな?」

それでなくても、平然と差別し、平民を人間とも思わないような男だ。

「…種無しだったのでは?彼と妻の間に子はいません。愛人も多く抱えていましたが、どこにも子がいない。彼はその可能性を隠すために、リュクレスを認知した」

それまで話を聞くだけだったソルが無表情で口を開いた。

だからこそ、認知した唯一の子供であるはずなのに、あっさりと道具として使えたのではないか。

「ありえるな。母親の方も父親の存在を娘にすら話していないということは、隠そうとしていた理由があるはずだ。ソル調べてくれ。あまり大っぴらにはしたくない」

「なんで?もしかしたら、犯罪者の子供かも知れないから?」

チャリオットは、不快に思われることを知っていてさらりと尋ねる。試されること自体は不愉快だが、それがリュクレスを心配する配慮によるものと理解できるから、ヴィルヘルムも怒ることをしなかった。

「…リュクレスを傷つける者ならば、そう言う言葉を選ぶからだ」

彼女は誰にも咎められるような生き方はしていない。出生のせいで彼女が責められるなど、絶対にさせる気はない。

「なるほど、ごめん」

チャリオットは素直に謝罪を口にした。

本来であれば護衛はソルに任せたい。しかし、諜報や情報収集といったものはソルの領分である。彼が適任なのだ。

そうとなれば、ヴィルヘルムが護衛に回すのはチャリオットになる。

「んー、面倒くさそうだけど、お嬢さんのためだし、頑張ろうかな」

「ソルも出来るだけ急いでくれ。ギルドのおかげで情報は大凡揃った。名無しを一掃後、怪物の行動の予測がつかない」

「やっぱり、俺が行くんですね。…はあ。わかりました」

初めからそれを予想して、ソルの表情は渋いままだ。

「それにしても、ギルドって、やっぱり敵に回さない方が吉だね。情報が早いなぁ」

「情報も彼らにとっては商品だからな。それに今回は一般市民が商品として扱われている。彼らにとっても他人事じゃない」

ヴィルヘルムはチェルニだけでなく、他のギルドにも情報を流した。

ギルドは商人や傭兵たちで繋がっている。交易都市として他国との交流の最も深い商人たちに、自国民が誘拐され、他国で売買されている実態を伝えた。次に攫われるのは自分の家族かも知れない可能性を示唆し、家族や己の大切な人達を守るために無関心ではいられないように、人心を巧みに誘導していった。

その上で、将軍は他国の商人を捕らえた。罪状は、人身売買。オルフェルノは奴隷を認めていない。国民の誘拐は犯罪であると人身売買の組織を、明確に糾弾した。

将軍が味方につけようとしたのは、国民だった。

もとより団結力に優れ、相互扶助の精神に長けた国だ。他人事だと思わせないことは、国内でも闇ギルドの活動を大きく制限することに成功した。

国外に連れ出される前に出来るだけ、救出したいと思うのは同じ国の国民として当然の気持ちだ。その情報きもちを無為にしたくはない。

「あのさ、掃討作戦は将軍も出るの?」

少し考え込んでいたようだったチャリオットが、ぽつりと将軍に尋ねた。

「当たり前だろう」

「うん、まあ、そうだよね」

「何か言いたそうだな」

らしくもなく、歯切れの悪い言い方に、ヴィルヘルムはチャリオットを見る。

「うーん、考え過ぎかもしれないけど、ふたりが離れている間になんか仕掛けられそうな気がするんだよね」

「そのために貴方が残るんでしょう」

「そう、なんだけどね」

どういうつもりだと、ソルが胡乱な眼差しを向ければ、チャリオットは誤魔化すように笑った。

「仕掛けるならば、リュクレスの方だとマリアージュが言っていた。王城内の警備を強化させるが、あとは、チャリオット。…頼んだ」

チャリオットは目をぱちくりと瞬かせた。将軍から頼むとお願いされたのは初めてだ。

しばらく彼の顔をまじまじと見つめ、それから。

「お任せを」

チャリオットは場違いなほどに破顔して、綺麗な敬礼を将軍に返した。






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