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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
二部 夜の帳と水鏡
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我儘なヤマアラシ4



「気は、済みましたか?」

ゆったりとソファに座る姉はあいも変わらず美しい。

霞むように柔らかな薄紅色の髪、輝くばかりの白磁の肌に、神が手ずから作ったかのようなその容色。菫色の瞳がフェリージアを見つめる。

つっけんどんになりそうな自分が、けれど随分冷静になっていることに気がついた。

「どういう意味でしょう」

「この国に、私に、貴女は何かを探しに来たのではなくて?何かを考えること、何かをなそうとすることはとてももどかしいことだから、貴女の苛立ちも理解はできるのだけれど」

姉は気がついていたのか。唯の我儘で国を出てきたのではなく、何かを探しに来たのだと。

だから、何も言わず好きなようにさせてくれていた?

相変わらず、この人は聡明だと思う。皮肉げに笑うフェリージアを、ルクレツィアは厳しい目で見つめた。

「いい加減にしなさい。貴女の欲しいものは、誰かに与えられるものではありません。自分で掴み取らなければならないものです。いつまでも、あの子に甘えないで」

「なんのことでしょう?」

「貴女の傍に付けた侍女です。貴女の無いものねだりに、あの子はいつまででも付き合うでしょう。あの子は、貴女が優しい人だと言っていましたから」

「…確かに言っていましたね。持ち上げるのが上手だわ」

「使用人を道具や物ではなく、貴女は人として扱った。それは、貴女の素晴らしい資質ではなくて?」

「!」

「言葉だけではありませんよ。あの子は、実際に道具のように扱われたことがある。だからこそ、貴女と接した時に私も知らない貴女の良さに気がついた。あの子にとって、お世辞でもなんでもなく、貴女は優しい人なのでしょう。何かに苦しんでいることにも気がついているから、貴女が心安く在れるよう、一生懸命に尽くすのです。阿るわけでも、へつらうわけでもありません。あの子は、たぶん、誰よりも貴女を認めている」

どうしてだろうか、泣きそうなほど心が痛む。

「…ただの侍女に認められてなんになるというのですか」

「その言葉は本心?」

「……」

「王女としての自尊心と、民を思う慈愛と、貴女はどちらも持っているわ。それは、誰かが与えられるものではない、かけがえの無い素晴らしい資質だわ。それを、彼女は感じている。為政者としての王族を信じてくれている。その信頼を、貴女はどうしたい?」

優しく、姉が問いかける。ルクレツィアはずっと、フェリージアを見守っていてくれたのだ。探しに来たものは、今、手に届くところにある。

湖のような優しい眼差しが、人を知らぬ間に和ませてしまう微笑みが浮かぶ。

ぽろりと涙がこぼれた。

「…応えたい。応えたいです、姉さま」

優しいと、自分ですら否定していたものを受け入れて大切にしてくれたその思いに、応えたい。彼女に笑ってもらえる自分でいたい。

ルクレツィアは静かに微笑んで、フェリージアを抱きしめた。

「答えを貴女が見つけてくれて嬉しい」

柔らかに包み込まれるその温かさに、フェリージアはようやく、自分の欲しかったものを理解した。

王族にかけられた期待。

国民から向けられるその視線を真っ直ぐに見つめ返すことのできる、その信念。

王族として持つべき覚悟とそのあり方を。

姉の姿に、多分、ずっと憧れていたのだ。

けれど、それを未熟な心は受け入れられずに、苛立ちとして発散していた。



「良かったわ。これ以上は、将軍がもたいないでしょうから…」

ほうと片頬に手を添えて安堵の息を漏らした姉に、フェリージアは首をかしげた。

「え?」

「貴女にリュシーを独り占めされて、将軍の機嫌が非常に悪いの」

「…リュシー?あの侍女のこと?」

そういえば名前も知らなかった。

ルクレツィアは唇の前に一本指を立てる。

「ここだけの話ですよ?彼女は将軍の大切な人なのです」

「将軍…冬狼将軍?!」

あまりの驚きに、思わず目を見開いて大きな声で問い返す。

しいと、それをたしなめ、姉は頷いた。

「ええ。とても大切にしているから、今回のことに彼はキリキリしているでしょうね」

背中に走る戦慄はきっと気のせいじゃない。

「…私、無事に国へ帰れるのかしら」

「さっさと帰してくださると思いますよ?とても独占欲の強い方だから」

「はぁ…」

「侍女長から、あの子が貴女のことを好きだと言っていたと聞いて、臍を曲げていたようですわ」

「あの子が私を好きといっても、好きの種類も違うでしょう?」

信じられない思いにそう姉に問い返せば、彼女は生ぬるく笑った。

返事は聞かなくてもわかった。

(…それでも許せないのね)

女性でも嫉妬の対象になるのか、侮りがたし将軍。

というか、心が狭すぎではなかろうか。

「…なんでしょう、想像していた将軍との落差に頭がついていかない…」

無意識に口元が引きつる。

「大丈夫。基本的には想像通りでしてよ?彼女が関わる時だけ、彼は唯の男性に戻ってしまうようだけど」

頬に手を当てたまま、品良く微笑むルクレツィアが少しだけ不満そうな顔で言った。

「リュシーの献身は将軍に注がれていますもの。誰よりも感じているのは彼でしょう。いつか、二人が共にいる姿を見ることがあればわかりますよ。見ている方が恥ずかしくなるくらいに大切に想い合っていますから」

何とも言えない表情で微笑む姉に、フェリージアはふと疑問に思う。

「何故そんな娘を私の侍女に付けたのですか?」

「彼女は私を助けてくれた人なの。大切な友人で、幸せをくれた人。だから、貴女もきっと助けてくれるのではないかと…結局私もあの子に甘えてしまったのね」

苦笑するルクレツィアに、フェリージアはようやく、姉が完璧な存在でないと、そんなのは自分の劣等感が生んだ妄想だったのだと実感することができた。彼女だって、誰かに助けを求めることがあるのだ、誰もが助け合って前に進めばいいのだとようやく心に落ちる。

姉のようにはなれないと、自分にいらだちを感じていたけれど。

自分の良いところをちゃんと見ていてくれる人がいる。

それだけで、心はこんなにも軽く、前を向くことができる。






霧の晴れた新緑の瞳が、部屋に戻って一番に見つけたもの。

気難しい王女の部屋にそっと届けられた髪飾り。

目に飛び込んできたそれに触れようとして、手が震えた。

捨てられたものだと思っていた。…捨ててといったのは、自分だった。

父から直接貰った数少ないもの、それが持ってきていた髪飾りだった。

二度と見ることもないと思っていたフェリージアの宝物。

大したことでもないのに言われた言葉に過剰に反応して、気がつけば箱の中の髪飾りを侍女たちに投げつけていた。

…壊れてしまったとして失うのは自分のせいだと諦めた。

こうやって無くすことに慣れてしまった自分に、大切なものを自分で大切にすることを、あの侍女は初めから伝えてくれた。

そして、彼女は言われるまま捨てるのではなく、髪飾りを修理に出してくれていたのだ。

割れてしまった玉も、折れてしまった飾り意匠も丁寧に直されている。新品ではなく、僅かに残る些細な傷が、代わりのない父からの贈り物であると知らせるから。

声を殺して、フェリージアは泣いた。

フェリージアが大切に出来なかったものさえ、大切に扱ってくれた。

それは、本当はちゃんと大切にできる人だと信じてくれているからだ。言葉にされない小さな侍女の信頼に涙が止まらない。



嬉しくて泣いたのは、初めての経験だった。

 





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