我儘なヤマアラシ2
ようやく王宮での生活に慣れ、侍女の服も少しだけ様になってきたリュクレスに、ある日ルクレツィアはすがるような心持ちで頭を下げた。
「か、顔を上げてくださいっ」
おろおろと慌てたような声がルクレツィアに顔を上げさせる。困惑の色合いを見せる藍緑の瞳に、事情を含め頼んだのは、妹フェリージアの世話係だった。
リュクレス自身がまだ、誰かの助けを必要とする状態だとわかっていながら、それでもルクレツィアには彼女以外の適任者を見つけられない。
「ごめんなさい。せっかくここに慣れ始めたばかりだというのに」
心苦しさに美しい顔に苦悩を浮かべる王妃に、幼げなその娘はゆるゆると首を振った。
菫色の瞳に向けられる、慈しみ深い透明な瞳が柔らかく解ける。
「いえ、私で役に立てることなら、何でも言って欲しいです」
「…ありがとう、リュシー」
頼めば決して断らない性格だと分かっていて、お願いすることはとてもずるい。そんな罪悪感を軽くしてくれる無邪気なほどの笑顔に、ルクレツィアは苦笑してしまう。
一週間前、スナヴァール第2王女フェリージアが母国から遊学の形でやってきた。正妃だったルクレツィアの母は弟を産む際に弟と共に命を落しており、ルクレツィアにとって兄妹というのは全て母親の異なる側室の子供だ。その関係の希薄な妹が、何故かルクレツィアを頼りオルフェルノにやってきた。
受け入れることに拒否はしなかったものの、スナヴァールの思惑を王と将軍が警戒するのは無理もない。
お会いしたかったなどと作り笑いを貼り付けたフェリージアの目が、やはり笑ってなどいなかったから、嫌な予想に拍車がかかる。…だが、仮面のように空々しい笑顔の中で、揺れ動く葛藤をどこかに感じたからこそ、逗留の許可を王に願い出たのだ。
ルクレツィアには妹が何を迷っているのかわからない。
わかるのは、彼女が混迷の中でその苛立ちを外にぶつけているという事だけ。
それは彼女にとっても、周囲にとっても良いことだとは思えない。
「妹姫様がいらしてから、しばらく経っていますよね?今までは誰がお世話を?」
リュクレス自身はフェリージアと直接面識はないが、王妃付きという立場上、妹姫が遊学に来ていたことは知っている。当然の質問に、ルクレツィアは申し訳なさそうな顔をした。
「侍女はいるの。あちらから連れてきた者達と、こちらで準備した者と。…けれど、皆の手に余ってしまっているようなの。…我儘がすぎて」
「…はぁ」
それはある意味すごいことだ。貴族の我儘に慣れている侍女たちを屈服させたわけだから。
「ただの我儘であったのなら、早々にスナヴァールへの帰国を促そうと思っていたのだけれど…」
「ルチ様は妹姫様に何か目的があると思っているんですね?」
「ええ。あの子の心の中に。何かを見つけるために此処に来たように思うのです。どうして、ここだったのかわからないけれど。もし、妹が私を頼ってきたのであれば、力になりたいと思う。けれど、距離が測れなくて…リュシー、協力して頂ける?」
リュクレスはにっこりと、安心させるような笑顔をルクレツィアに向けた。
「私でよければ喜んで」
「ごめんなさい」
「お友達が困っていたら、助けになりたいと思うことは当たり前のことじゃないですか。謝罪なんていらないです」
それこそ、手伝えることが嬉しいのだと朗らかに、リュクレスは言う。
別段特別なことではないのだ。
困ったときはお互い様であって、友達に頼りにされて嬉しくないはずがない。
「あの子が怒って、不興を買ったとしても私が執り成します。だから、気にしないで。何か困ったらすぐにいいに来て下さいね?」
「はい」
そうして、リュクレスはフェリージアの侍女になったのだが、初っ端の出会いから王女は鮮烈だった。
「きゃーっ!!」
挨拶に向かった侍女長のティアナとリュクレスは、悲鳴と中から聞こえる物の飛び交うような荒々しい物音に顔を見合わせて、慌てて扉を開いた。
悲鳴がすすり泣きに変わり、軽い金属音を最後に、静かになった部屋の中。
そこは惨状と言って差し支えない状態が広がっていた。
床に散乱したティーセット、陶器のカップは割れ、溢れたお茶が絨毯に染みを作る。そして、煌びやかな髪飾りが、至るところに散らばっていた。落としてしまった風ではなく、投げつけたのだろう、ソファに突き刺さったものまである。部屋の隅には怯えて涙ぐむ侍女の姿。そしてその起点には仁王立ちをして肩を怒らせたうら若き女性が一人。薄紅色というよりは紅味の強い情熱的な髪を結い上げ、新緑の瞳は爛々と輝いていた。白磁の肌は怒りに紅潮し、場違いにもリュクレスは彼女の美しさに見蕩れてしまう。すらりとした身長はルクレツィアとあまり変わらず、年齢は、リュクレスと同じだと聞いたが、そうは見えずとても大人びて見えた。
部屋を見回し、ティアナは深くため息をつくと、フェリージアをじっと見つめた。
「フェリージア様、王妃の妹君とは言えこれは些か戯れが過ぎましょう。貴女の国ではどうか知りませんが、我が国では侍女も、同じ人間として扱われます。お忘れになられますな」
厳しい声に、自分が言われたわけでもないのに、リュクレスは胸が痛んだ。
王女に棘隠さず容赦のない言葉を告げ、ティアナはすぐ視線を外すと泣き崩れる侍女たちに部屋の外に出るよう伝える。だから、フェリージアの瞳に傷が浮かんだのを見たのは、きっとリュクレスだけだった。
その瞳の色に、リュクレスは緊張が解けた。しゃがみこみ、髪飾りをひとつ拾うとフェリージアの元に向かう。
貴族と侍女の距離、それより一歩だけ前に出る。そして、髪飾りを差し出した。
「お国からお持ちになった大切なものなのでしょう?大切にしてください」
「……」
フェリージアは答えない。ただ無遠慮な侍女を睨みつけただけだった。小さな手の上の髪飾りを奪い取る。たった、それだけの行動に、リュクレスはほっとして、にっこりと子供のように笑う。
「すぐ、他の物も集めますね」
王女は無言だった。気にせずに、リュクレスは言葉通りひとつずつ丁寧に拾い集める。だが、拾った物の中には、叩きつけられた衝撃で壊れてしまっているものも幾つかあった。
「捨てて」
残念そうなリュクレスに、王女はただ一言そう呟いた。
その頃には、フェリージアの表情に怒りはなく、嵐のような混乱ともどかしいばかりの後悔を見つける。曇った新緑の瞳。
(ああ、この瞳だ。ルチ様は、きっと、これが晴れることを望んでいる)
とても綺麗な緑の森が、霧に覆われるのをリュクレスは勿体無く思う。怒りでなく、空が晴れ、霧が晴れればその新緑はどれほどに瑞々しく美しく輝くのだろう。
怒って、人を、物を傷つけて。そして、誰よりも一番自分が傷ついている。
この人は、とっても不器用な人なのではないだろうか。
リュクレスは両手に不要と言われた髪飾りを持って、その部屋を退出した。




