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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
二部 夜の帳と水鏡
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我儘なヤマアラシ1


「もう!あっち行ってって言ってるでしょう!命令よ!」

苛立たしげに声を荒らげて、フェリージアは言い放った。

その先にいるのは見るからに人の良さそうな幼い姿の侍女だった。

高飛車な金切り声は自分のものながらひどく耳障りだ。それが、更に苛立ちを募らせる。

緑の瞳は怒りに爛々と輝いているはずだ。スナヴァール王族特有の薄紅色の髪は気性を表したかのように紅味が強い。怯える侍女たちにとっては、燃えるように映るだろう。

何時だって侍女たちは、怯えて、まるで腫れ物にでも触るかのようにフェリージアに接する。そうして、こうやって命令だと言えば、大抵はほっとして彼女の元から喜んで去っていくのだ。

だから、困ったような顔をしながらも、まるで怯えることのないその侍女にフェリージアは何処か、戸惑いを覚えてしまう。心奥にぽっかりと浮かぶのは、驚きと、小さな安堵。

けれど、それを素直に認めたくなくて、誤魔化すように彼女の表情は余計に険しくなった。

華やかで、整った美貌なだけにそれは燃え立つように苛烈に映る。

侍女は、その迫力のある威圧感を物ともせず、去ろうとするどころか、ほんのりと柔らかい表情を浮かべて歩み寄ると、手にしていた厚手のショールを広げてフェリージアの肩を包むように覆った。それはフェリージアが気に入っている厚手の肩掛けだ。ずっと抱きしめて持ってきたのだろう、人の温もりが温かい。

気遣うような温かな心配りに、フェリージアは勘違いしそうになる。

侍女のこの心遣いは仕事だからだ。フェリージアは賓客であり、王妃の妹なのだから。

(そんなこと…わかっているわよ)

勘違いしそうな、己が愚かしい。

フェリージアは王女だ。侍女如きにそんな期待を抱くなど、王族として恥ずべきこと。そうやって教育されてきた。

それが上辺でなく、心から理解できたのなら、こんなにももどかしい思いをせずに済んだのに。葛藤は、返事もなく、フェリージアの命令に去る気配もない侍女に八つ当たりのように向かった。

「つっ!!聞こえなかったの?!」

顔も見ず、こらえきれない腹立ちを感情のままにぶつける。

「…私のことなら、庭先の石か何かだと思ってください」

鈴の音のような可愛らしい声は、柔らかにそれだけ言うと沈黙した。

自分を石ころだと思えと、さらりと言い切った侍女にフェリージアは絶句する。

「お前は…!自尊心というものがないのっ!」

我慢できずに首を巡らし睨みつければ、そこにはひどく凪いだ湖のような瞳があった。

声もなく、彼女は微笑んだ。

…柔らかく、稚く、なのに慈しみ深いその笑顔。

そこにいる侍女に卑屈さなどなく、それどころか、とても気丈で、気高くさえ見えた。

ただ、そこに居るからと。

一人にはしないと。

言葉でなく、彼女は態度で示そうとする。

オルフェルノの冬は厳しい。特にこのスヴェライエは氷上故に寒さは格別だった。

灰色の空はいつ白い花を落とすのかわからないほどに重たく、風は身を切るように冷たい。

芯まで凍えさせる寒さの中で、フェリージアは自分の格好と、侍女を見比べた。

癇癪を起こして外に出てきた割に、しっかりと外套を纏い、肩には侍女の持ってきたショール。それに比べて、彼女は王宮内と変わらぬ侍女服のみで、なんの防寒もしていない。

それは、フェリージアを見失わないよう、何も身につけず追いかけてきたからだ。

細い指が、鼻先が真っ赤になっていた。白い息に隠れ、唇は少し紫色をしている。

…人のことを気にしてショールを持ってくるぐらいならば、自分の防寒を考えればいいものを。本当にイライラする。なんのつもりか知らないが、そんな我慢をして私が可哀想だとでも思うと思っているのか。

「さっさと戻りなさい。寒いんでしょ?我慢なんてして私に媚を売ったところで、買ってなんてあげないわよっ」

可愛くない、扱いにくい王女だと思いたければ思えばいい。いつものことだ、気になどしない。

そう思いながら睨みつければ、彼女は少しだけ目を丸くして、頬を緩めた。

「フェリージア様はお優しいですね」

…は?

一瞬、耳を疑う。

我儘な王女、身勝手だと言われたことは数知れず。だが、今までにおべっかでさえ優しいなどと言われたことはない。

「何?」

「フェリージア様は優しい。私は石でいいって言ったのに。ちゃんと人として見てくださる」

「あ、当たり前でしょ?!人と石が同じに見えるほど目は悪くないわよっ」

小馬鹿にでもしているのかと目を尖らせる王女に、なぜか彼女はふわりと笑みを咲かせた。

「ちゃんと、私を人間として扱ってくれる。言葉をいくら荒げても、気遣いはちゃんと伝わるものなんです。…心配してくれてありがとうございます」

両手を胸元で組み、作り笑顔でないその柔らかな表情が、フェリージアの中でなにかを崩そうとする。

雪解けの大地に芽吹く花のような、春を望む思いに似た感傷。

凍ることのない、温かく透明な故郷の泉がはまり込んだみたいな瞳が、ゆるりと溶けるのを目の当たりにして、フェリージアは息を飲んだ。美しい女性は多く知っている。その最たるものは、スナヴァールの宝石と言われた姉ルクレツィアだ。見惚れるような美しさなど、彼女の子供のような容姿には皆無だ。あどけなく、愛らしい、そう可愛らしいだけの侍女に比べれば、鏡に映る己の顔の方がよっぽど美しく華がある。

それなのに、…どこか目が離せない。

揺れ動かされる感情に理由のない敗北感を覚えて、フェリージアはいきり立った。

「気遣いなんてしてないわっ。邪魔だと言ったでしょうっ!そんな寒そうな格好で傍にいられちゃ迷惑よ」

侍女からすれば…それが気遣いでなくてなんだというのだろう。

小さな侍女は、自分の服をまじまじと見つめた。それから、のほほんと笑う。どこか能天気な笑み。

「私は…ここよりも寒いところで育ちましたし、もっと質素な服で生活をしていたので、平気です。フェリージア様は寒いのは大丈夫ですか?」

「平気よ、ちゃんと防寒してきているもの。私はそういうところは抜かりないもの」

「流石ですね」

「…貴女はどれもこれも好意的に変換するのが得意なようね」

「そうですか?」

きょとんと、藍緑色の目が瞬く。

おもねっているわけではないらしい。…素か、この天然。

呆れたような眼差しに気がついたのか、侍女は少し苦笑する。

「すみません、私話しすぎましたね」

フェリージアが帰るまで、本当に帰らず石に徹するつもりらしい。

…自分が何に腹を立てていたのか忘れてしまいそうになる。

視界の片隅にちらつく侍女は、空を見上げていた。いくら寒さに慣れていると言っても、寒さを感じないわけではないのだろう。

小刻みに震える身体は、全身の体温が奪われている証拠だ。

細い身体は、フェリージアと同じ年にはとても見えない。社交界デビューした頃の自分よりも余程小柄で幼いのではないだろうか。富貴な家に生まれたようには思えない、頼りなく痩せた身体。

消え入りそうなその儚さに。

壊してしまった、髪飾りを思い出す。罅割れた藍緑アクアマリンの玉飾り。

「ああ!もう!」

フェリージアは立ち上がった。そして、座り込む侍女にむかって仁王立ちになる。

「さっさと部屋に帰って、温まるわよっ。貴女を見てると私が余計に寒くなるわっ」

怒ったようにそう言って、王宮へと歩き出す。その背をぽかんと見送っている侍女に、王女は振り返って「さっさとしなさい」と叱咤する。

「は、はいっ」

侍女は慌てて立ち上がり、その背中に追いつこうと歩き出した。





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