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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
二部 夜の帳と水鏡
113/242

16



いつものように王の居室へと報告へ向かえば、そこには王妃も共にいた。

その時点でヴィルヘルムには何やら嫌な予感を覚える。

大抵において、そういう予感は外れない。

「何か、私に御用ですか?王妃」

伺うような菫色の瞳に視線を合わせると、王妃は上品な笑みを湛えつつ、少し申し訳なさそうに訊ねてきた。

「将軍、リュシーをしばらくの間貸していただけないかしら?」

その声音さえも美しい。だが、許可を求める彼女に向かい、男は無言で片眉を引き上げた。眼鏡越しの灰色の瞳に、僅かにだが剣呑な色が混じる。一言も発してはいないのに、明らかに機嫌が悪くなった将軍に、ルクレツィアは苦笑した。

作り物の穏やかな笑顔よりも、不機嫌そうな彼のほうが怖くはないというのは、少しばかり面白い。

「そう、睨むな」

同じ思いを抱いたのだろう、人の悪い笑みを浮かべて、王が言う。

「…睨んではいませんよ。どういう意味でしょうか、王妃」

「フェリージアのことは聞いていますか?」

「…ああ。なかなか強烈な方のようですね。騎士の中でも話題になっていましたよ」

「騎士の中で?」

「先日、王女の求めた花と、侍女が持ってきた花が違っていたらしく、廊下で花を踏みつけていたと聞きました。よく通る声のようですね」

偶然、癇癪の現場を近衛たちが見ていたのだ。

スナヴァールの第2王女フェリージアは、ルクレツィアの異母姉妹にあたる。

美しい姉妹だが放つ雰囲気はかなり異なる。菫色の瞳は楚々として、霞むような薄紅色の髪とともに奥ゆかしさが薫るようなルクレツィアと、精彩の鮮やかな紅味の強い薄紅の髪に、眩しい新緑の瞳を持つ気性の激しいフェリージア。女性にしては長身の優美な立ち姿はよく似ているが、それ以外共通点を探す方が難しいくらいだ。

「賓客の噂を不用意に口に上らせないよう注意はしておきましたが。…まさか王女にあの子をつけるおつもりですか?」

「ええ。リュシーなら、頑なになっているジアの心を解いてくれるような気がして…」

「もちろん、彼女の意向を聞いてからにする。嫌がればつけない」

アルムクヴァイドのその口添えに、ヴィルヘルムはため息混じりに言葉を返す。

「あの子が拒否するはず無いでしょう」

自分に出来ることがあるなら、まず受け入れてしまう子だ。

「私はあの子を守るために此処に連れてきたのであって、こちらの都合で使うつもりはない」

大の大人が雁首揃えて、自分たちにできないことをあの娘に託そうとする。面目も何もあったものではない。

「ヴィルヘルム」

諌めるように名を呼ばれる。

冷たい眼差しで拒否をするのはヴィルヘルムの感情で、けれど国王夫妻の気持ちとリュクレスの性格を考えると、頭ごなしに止めるわけにはいかないのだろう。

深い溜息がこぼれ落ちる。

「…ですが、友人として、あの子が王妃を助けたいと願うのであれば。私は彼女の意志を尊重しましょう」

ルクレツィアの沈痛だった面持ちが、ほのかに浮上する。

「あ、ありがとう、将軍」

意外そうな顔をしながらも、口角を引き上げたアルムクヴァイドにヴィルヘルムは釘を刺すのを忘れなかった。

「ですが、目に余るようならば、止めさせますよ」

「ええ」

もちろんですわと、王妃が頷いた。

(また、会う機会が減ってしまうな)

落胆を胸に隠し、改めてヴィルヘルムは二人へと本題を口にした。

「王への報告は執務室でしましょうか。まずは王妃に報告を。フェリージア王女の遊学に裏はありませんでした。どうやら、本当に彼女の希望のようです」

「…よかった」

彼女の遊学に警戒したような思惑はない。本腰を入れて自国の立て直しに着手し始めたスナヴァールに、他国に干渉するつもりはないらしい。調べても、スナヴァールに何の目論見も見つからなかった。

母国に謀略の意思がないことを知らされ、ルクレツィアは愁眉を開く。

「そうでなければ、あの子を近づけさせたりしませんよ。…王女の真意に関しては王妃にお任せします」

「ええ」

姉を慕い、遊学先をオルフェルノ王国に選んだというが、どう好意的に見てもフェリージアにルクレツィアへの思慕は感じない。来訪されて以降の彼女の苛立ちを見ると、彼女の意思とは別に遊学が決まったようにしか見えなかった。だが、そうではないならば。

彼女にはルクレツィアの傍で得たい何かがあるのだろう

「もうひとつ、王暗殺の指示についても、王妃の父君は潔白でしたよ」

コードヴィアの行動は宰相派閥によるもので、スナヴァール国王は真実関与していなかった。彼は、ルクレツィアとの約束を果たすため、国内へと目を向けていたのだ。

長く政務を離れていた王には、宰相たちの行動を掌握し企てを未然に防ぐだけの力はなかった。コードヴィアの捕縛により宰相が失脚し、穏健派の台頭と王の誠実な政務により、スナヴァールは安定を求めて動き始めている。

「父は私との約束を忘れてはいなかったのですね」

人質としての覚悟を持ち、互いの国の平穏のためにオルフェルノにやってきたルクレツィアだったが、この国は彼女を優しく受け入れてくれた。隣にいるアルムクヴァイドを見上げる。この大切な伴侶を、奪おうとしたものは父ではない。故国を省み、民を思うこと、父は約束を守ろうとしてくれている。

父は、ルクレツィアのことを忘れてなどいない。…想ってくれていた。

ルクレツィアはこみ上げる感情に唇を戦慄かせた。堪えきれず涙を零すルクレツィアをアルムクヴァイドは支えるように胸に引き寄せる。

ヴィルヘルムは眼鏡のフレームを軽く押し上げさりげなく視線を外すと、洗練された所作で礼をした。

「報告は以上です。私はこれで失礼致します」

涙を流す王妃を慰めるのは王の役目だ。

ヴィルヘルムは余計な言葉をかけることなく顔を上げると、澄ました顔でアルムクヴァイドに目配せをする。頷きを確認して、将軍は静かに部屋を後にした。




その後、気の強い王女に振り回されるリュクレスが、至るところで転んでいるのを見るハメになったヴィルヘルムは自分の選択を後悔するのだけれど。

リュクレスが穏やかに笑って王女を慕い、我儘な王女が転んだ侍女を気遣って立ち止まり、彼女の笑顔にたじろいでいるのを見つけてしまうと、口を出すことをためらう。

結局、皆の予想通り、リュクレスは王女を懐柔してしまったらしい。

怒りっぽい王女に侍女たちが辟易している中、リュクレスだけがにこにこと笑顔で彼女に接する。侍女長がリュクレスに大丈夫か確認すると、彼女は朗らかに王女のことを好きだと言ったという。

王女の癇癪も、怒りを全部受け止められてしまえば、長続きはしなかったようだ。

返されるのは、思慕と信頼ゆえに見返りを求めない純然とした思いやり。

大らかというか、懐が深いというか…リュクレスの度量の大きさはヴィルヘルムも驚嘆する。

そんなにも我儘を聞くこともなかろうにと思うのに。

リュクレスの心根は相変わらず美しい。彼女は自分のことを平凡だと言うが、あれほどに美しい娘をヴィルヘルムは知らない。

中身の美しさはあの藍緑の瞳を宝石のように綺羅々と輝かせる。

そしてあの包容力に、いつの間にか気がついていなかった傷でさえ癒されていたことを思い知らされるのだ。

「私だけに発揮してもらえればいいのに、ね」

決してリュクレスには見せられない顔をしていると知っていて、男が苦く、緩く笑った。


彼女に魅了されるのは自分だけで十分だ。





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