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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
二部 夜の帳と水鏡
112/242

15



仕切り直しとでも言うように、リュクレスは丁寧にお辞儀をした。

カナンに教わった通り、スカートを摘み、膝を軽く折る。

「王妃様からの言いつけで、将軍様にお届け物をしに来ました」

その場に広がったのは、沈黙だった。

(あれ?何か間違えた?)

まごつくリュクレスに、一拍置いて、ベルンハルトはため息を一つ。

「…名前で呼んでやれ」

「でも、お仕事中ですし、ちゃんとわきまえないと」

真面目な顔で言う、娘の言葉は正論だ。実にまともな事を言っている。公私混同せず、仕事に向かい合うその謙虚で誠実な姿勢をベルンハルトは好ましいと思う。

だが、上司たる悪友は彼女の前でははっきり言って大人ではない。やれやれと肩をすくめられて、困惑するリュクレスの隣には、思い切り人の悪い顔をした男が彼女を見つめているから。

ベルンハルトはもう一度、大きくため息をついた。

「さみしいことを言わないでください」

「わっ」

耳元に囁かれた低い声に、リュクレスは飛び上がらんばかりに驚く。

「婚約者にそんな遠慮は不要ですよ」

なぜだろう…

にっこりとその笑顔が有無を言わせない何かを醸し出す。

「…逆らわない方がいいぞ」

そう言って苦笑しながら二人を見守る副官はどうやら助けてはくれなさそうだ。

恐る恐る、ヴィルヘルムを名で呼ぶとようやく穏やかな雰囲気に戻って、リュクレスはほっと胸をなでおろした。

あ、そうだ。

「えっと、ヴィルヘルム様、これ王妃様からお預かりしてきました」

そこにあるのはスナヴァールの現状を知らせる手紙。

灰色の瞳が鋭くなったのを、目敏く感じとって、リュクレスはそっとそれを差し出す。

柔らかい雰囲気は変わらないままだが、彼の意識がそこに移ったことを感じるから、やっと慣れ始めた所作で、リュクレスはもう一度膝を折る。

「では、私はこれで戻りますね」

「ええ、ありがとうございました」

ふんわりと笑みを浮かべたヴィルヘルムに感じるささやかな違和感。リュクレスはまじまじと彼を見つめた。

「……」

「どうしました?」

「あの、…少しだけ、時間をお借りしてもいいですか?」

ヴィルヘルムを見上げて言うリュクレスに男たちは少しだけ驚いて、それから笑いながら頷く。

「いいですよ」

「おう、ではな」

ベルンハルトが手をひらひらさせて部屋を出ていくと、ヴィルヘルムは不思議そうな顔をして娘を腕の中に囲う。

控えめな娘が、無為にヴィルヘルムを呼び止めるはずもない。

「どうしました?」

じっと見上げてくる大きな目が、まるでこぼれ落ちそうに見える。

「ヴィルヘルム様、頭痛いですか?」

「…なぜ?」

「眉間に少し皺が寄ってます」

その言葉にヴィルヘルムは目を少し見開いたが、視線を落したリュクレスは気がつかなかった。ごそごそとポケットを探ると、膨らみのある小さな布袋を取り出す。

「休んでほしいけど、きっとそれは無理なんですよね?…これを」

手のひらに乗せて、ヴィルヘルムに差し出した。

「これは?」

渡された匂い袋からはすっと爽快な匂いがした。少しだけ引き攣るような痛みが引いていく。

「頭痛や、過度の緊張を和らげるポプリです。…気休めにしかならないかもしれないけれど、ないよりはマシかなって」

そう言って気遣うように見上げる眼差しに、苦笑する。

「良く、気がつきましたね」

「ずっと、見てますから」

心配そうに、恋人は手を伸ばしてヴィルヘルムのこめかみに手を当てた。

「疲れるとヴィルヘルム様ここをグリグリしているでしょう?」

手当という言葉があるように、その少し冷たい小さな手はヴィルヘルムを癒そうとするようにそっと触れたまま。ヴィルヘルムは喜色を浮かべ、その手を取り手のひらに口づけを落とす。身を案じられる面映ゆさに、らしくもなく一瞬口ごもる。

「…心配してくれてありがとうございます。無理はしませんから。笑ってくれませんか?君の笑顔が見たい」

甘い接触にふわりと頬を赤らめるリュクレスは、希うような彼の言葉に。

綻ぶように柔らかく微笑んだ。

その表情に腕の中に抱きすくめ、ヴィルヘルムは彼女の頭の上でため息を漏らす。

「…自分でお願いしていてなんですが、失敗したな」

「?」

「このまま、返したくなくなってしまった、な」

「…!ヴィルヘルム様」

困ったように名を呼ぶだけのリュクレスは、それをダメだとも、いいとも言わない。

そっと背中に回された手が、ぽんぽんと宥めるように背を叩くから。

子供のようなのはどちらかと、苦笑い。ゆっくりと、身体を離す。

「充電完了です。君も、そろそろ戻らないと、王妃に心配されてしまいますね」

たぶん、ヴィルヘルムが帰さなかったと気がつくだろうが。

穏やかな表情に戻った恋人に、ふんわりと笑ってもう一度、スカートを摘み、膝を折って成果を見てもらうようにリュクレスは礼をする。

「ヴィルヘルム様、仕事頑張ってください。…でも出来るなら、ちゃんと休憩してくださいね?」

「はい」

今度こそ、リュクレスは王妃のもとへ戻っていった。

去ってゆくリュクレスの後ろ姿を何となく見送り、後で出てきたヴィルヘルムに、ベルンハルトはからかい混じりでにやりと笑う。

「で、中で何していたんだ、このスケベ」

「お前と一緒にするな。…ちゃんと休めと心配された」

側にいる副官は概ね仕事量を把握しているが、ヴィルヘルムの仕事量は段違いに多い。

いつ休んでいるか不思議に思うほどだが、侍女として王妃の側にいるあの娘にそれを伝えているはずもない。

「調子悪かったのか?」

「少し頭痛がな。ただの寝不足だ」

「よくわかったな、あの子」

「…だな。この話はここまででやめておこう。これ以上、お前も俺の惚気話なんか聞きたくないだろ?」

「……惚気る気か」

「ははっ」

将軍の怜悧な瞳は変わらず、けれどその表情は無駄な力を綺麗に抜いて殺伐とした雰囲気を一掃していた。

彼女の存在は冬狼にとってどういうものかと思ったが、優しくなったが切れ味も鋭くなった。国の平穏を己のために守ろうと、一歩離れたところがなくなったから。

リュクレスの持ってきた手紙をぴらぴらと振って、歩き出す。

「執務室に戻る。1時間後に、王のところで」

「了解」

冬狼は守るものを得て、初めて本当の守護者となったのかもしれない。

それは、この国にとっても悪くないことのように思えた。






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