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秋も深まり、南の庭園に植えられた広葉樹は赤く色づいていた。薄青の霞むような空との色彩がまるで水彩画のように繊細だ。
今回、王妃の茶会は庭園の一角にある「水の散歩道」に準備されていた。
名の由来はそこに建造された噴水にある。
花の妖精フローラを模った大理石の彫像が受水盤を支え、そこから滴り落ちる水が水面で弾ける。水飛沫が跳ねるその周りには、まるで水を受けて咲いたような花の彫刻。陽光を受けて輝くその様子は、涼しげであり、そしてどこか幻想的でもあった。
その噴水を中央に真っ直ぐに整備された広い散歩道に、白い絹のクロスをかけた丸いテーブルがいくつか点在して配置され、その上には宝石のようなお菓子が並ぶ。
「外ではこれが最後ね。流石にもう寒くなるから」
「中だと、どこで行うんですか?」
「王妃のサロンよ。いくつか部屋はあるのですけれど…蝶の間が一番多いかしら」
カナンはそう言ってから、配置の気になるところを使用人に伝えて直させた。
リュクレスはその姿を背後から見て、何がどう変わったのか考える。
「…人の立ち位置…かな?」
王妃の立つ位置から、人が重なり合ってしまうと相手の行動が把握しにくい。人の姿が重なり合わないように配置を考えて、テーブルの位置を変えたのだろうか。
にこりとカナンが笑う。
「正解です。近衛達も居ますが、距離がある。彼らが駆けつけるまで、私たちが王妃を守らなければなりませんから」
「……王妃様はそんなに命を狙われたりするんですか?」
「いいえ。ですが、いつ何時何があるかなんてわかりませんから」
不安げなリュクレスに、カナンが安心させるようにそう言えば、彼女はほっとしたように微笑んだ。
「よかった。王妃様は怖い目に遭っていないんですね」
(ああ、この子は…王妃の心配をしていただけなのだわ)
てっきり、王妃の壁になることを怖がっているのかと、カナンは思ったのだが。
リュクレスはその誤解に気がつかず、違う国からきたルクレツィアがこの国で悲しい目に遭っていないことに安堵した。
「足の方は大丈夫?」
「な、なんとか。少し膝がカクカクしていますけど」
膝下まである黒い侍女服は揺れる膝を隠して分からないだろうが、少し情けない顔でリュクレスは笑った。大した時間じゃないのに、午前中のダンス練習の負荷が足に来ている。
侍女たちは黒服だ。黒いワンピースの襟元は大きく丸く開いて、下に着ている白いブラウスと黒い細めのリボンが胸元を飾る。腰の締まったスカートは機能性を重視し、あまりひらひらとはしていない。
修道院のトゥニカのように簡素ではないものの、それでも黒く動きやすい服装はリュクレスを安心させる。
「少しすれば治りますから。それより、もう一度おさらいをさせてください」
もうすぐ来賓が来て、王妃が登場する。
華やかな、茶会。そこは女の戦場だ。
武器は言葉と頭脳。そして美しさ。
カナンは優雅に笑みを浮かべて頷いた。
黒い侍女服を纏っていても、どこか艶やかな女性は、好戦的な光を瞳に浮かべている。
「ええ、戦闘準備は用意周到に。…参りましょう?」
リュクレスの役目はルクレツィアの後方支援。
そして、カナンは王妃の剣であり、盾のようだ。凛然とした眼差しをどこかで見たことがあるような気がして、ふと脳裏に閃いたのは。
「カナンさんは、将軍様みたい」
「え?」
驚きを榛色の瞳は瞬かせた。
「決めたことには一途なところ、とても強い意志。王妃様をすごく大切に思っているところ」
真っ直ぐに見つめる透明な眼差しが、どこかカナンを動揺させた。
子供のような信頼。王を、王妃を、そして将軍さえも揺らしたのだろう、それ。
ああ、これかと冷静に思う。
弁解じみた思いが胸に沸く。
一方的な信頼なんて押しつけでしかないはずなのに。
「…王と将軍のような、信頼があるわけではないわ。私の場合はもっと現実的な理由よ。この国を平穏にしたい。スナヴァールとの確執をこれ以上生みたくない。そのために、王妃には無事でいてもらわなくてはいけない」
王妃のためだなんておこがましいことを言うつもりはないのだ。
はっきりと言い切れば、リュクレスは宝石のような瞳を柔らかく細めた。
「それは…どこがいけないことですか?どんな理由であろうとも、カナンさんは王妃様を守ろうとしている。それに、王妃様をわかろうとしているもの。いつか、王様と将軍様以上の信頼だって生まれるかもしれません。女の子の友情は固いもので…わっ」
「ええ、本当に」
言い終わる前に、ふんわりと背後から腕が回されて、白い長手袋に覆われた手がリュクレスを抱きしめた。
背中に触れる柔らかさ、視界の隅に揺れる薄紅の髪にその正体が王妃本人だと知れる。
まだ驚いたままのカナンはそんな王妃にまた驚く。
「大丈夫、私たちは出会ってまだ1年ですもの。王と将軍が親友になるまで5年かかったそうです。…だから、これから時間をかけて信頼を築いていきましょう。きっと、お互いを大切にしあえるわ」
女性にしては背の高いルクレツィアは、お気に入りのぬいぐるみでも抱きしめるような無邪気さでリュクレスを抱きしめながら、顔だけをカナンに向けて、菫色の瞳を和ませた。
「仲の良いお友達になるばかりが、つながりではないですもの。共闘してくださるカナンとは良い戦友になれると思います。安心して背中を預けられますもの」
抵抗もせず、抱きしめられたままのリュクレスが「羨ましいですね」と言えば、嬉しそうに王妃は頬ずりせんばかり。
「もちろん、貴女とももっと仲良くなりたい」
ルクレツィアは覚悟を決めたのだ。この国で生きることを。そして王妃として、いや、ひとりの恋をする女性として、愛する人が戦地に赴くことがないように、自分にできることをしようと決めた。それは義務感でなく、責務でなく、個人的な感情だけれども。それでも、押し付けられたわけでも、犠牲精神のもとでもない行動で、他の人たちの幸せも守ることに繋がるのだから。
女性は恋をして、愛を知って強くなるのだ。
「どこか、一皮むけたというか、吹っ切れたように感じてはおりましたが…お強くなられましたね」
少しだけ言葉を無くしたように沈黙をしていたカナンが感慨深そうに呟いた。
「周りの人に恵まれたから、かしら?ふふふ、これが終わったら、みんなでゆっくりおしゃべりでもしましょうか」
ルクレツィアが楽しそうにそう言うから、カナンも本来の柔らかさで微笑む。
「…たまには、いいですね」
人の心が近づく。
穏やかな空気に挟まれて、リュクレスは思わず破顔した。




