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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
二部 夜の帳と水鏡
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3



「お久しぶりですね。ノルドグレーン伯爵。王城に来られるとは珍しい」

席を立ち、ヴィルヘルムはにこやかに来客を迎え入れた。

ノルドグレーン伯爵は品行方正、謹厳実直を絵に書いたような人物だ。

仕事熱心で、滅多に領地から出てくることもなく、社交界にも積極的には顔を出さず、一部では偏屈者だとさえ言われている。実際には領地のことに心を砕き、真面目に領主としてノルドグレーン領を愛する貴族には珍しいまでの高潔な人物なのだが。

鈍い金色の髪には白いものが混じり、光沢を霞ませる。60代も半ばを過ぎ、年輪を重ねたその顔には深く皺が刻まれているが、矍鑠として、全身に滲む厳しさが侮りを寄せ付けない。

彼の人となりはヴィルヘルムの好むところであり、年長者として敬意を持って接するにふさわしい人物であると思っている。

礼を尽くす将軍に、ノルドグレーン伯爵は落ち着いた物腰で丁寧に礼を返した。

「ご無沙汰をしております。多忙な時間を割いてもらい申し訳なかった」

「いえ。私に何か御用だとか」

今回の登城の目的は、ヴィルヘルムとの面会であるという。

別段親しいわけでもなく、顔を知り、お互いに尊敬の念を持って接するに値する人物であると、そう評価する程度の間柄だ。

ヴィルヘルムとしては、伯爵の目的を明確にしたかった。

「仕事というよりは、個人的な話なのですが…リュクレスという娘をご存知ないだろうか?」

「リュクレス…ですか。その娘が何か?」

「…個人的なつながりなのです。当家の恥を晒すようなものだが、その娘には何の罪もない」

思慮深い瞳には憂いが浮かぶ。

現体制では、親類縁者の類に罪人の罪が及ぶことはないが、一昔前は家族諸共爵位さえ失うことは希ではなかった。

「なるほど。続きを」

彼の言わんとすることを理解して、ヴィルヘルムは先を促した。

「彼女の所在と安否を確認したいのです。」

「何故とお聞きしてもよろしいか?」

さも、好奇心に囚われてというような軽い調子で、ヴィルヘルムは尋ねた。

「先日処断されたルウェリントン子爵は覚えておいでか?」

「もちろん」

「彼は私の義理の息子にあたります」

「それも、存じております。けれど、彼の罪は彼だけのものだ。貴方方には何の関わりもないことは、こちらでも調査済みです」

ノルドグレーン伯爵の懸念を汲み取り先んじて彼の不安を否定した。

「ありがたい。あの男は、…見下げ果てた男でしてな。私の娘の侍女に非道な行いをして子を生さしめた。捨て置いた子供が、年頃の娘になったと知ると、道具として扱った」

「……」

「私は、あの男が子供を認知するといったとき、ようやく人の心が芽生えたのかと思ってしまったのです。父親として己の責務に目覚めたのだと。…リュクレスの居場所をあの男に知らせてしまった」

伯爵がその面に苦渋を滲ませた。そこにあるのは深い後悔。

「教会の司祭から手紙が来た時にはすでにあの子は連れて行かれた後だった。ずっと、探しておったのですよ。このアズラエンに来ていると、ようやく掴めたのは最近のことです。そして、その情報に貴方の名前がちらつく。オルヴィスタム卿、娘を本当にご存知ないか」

重々しい口ぶりで、ノルドグレーン伯爵は鋭い目を向ける。

物腰も柔らかに、おっとりとヴィルヘルムはその視線を受け止めた。

「その娘を見つけて、貴方はどうされるおつもりか」

「娘の望む通りに。修道院に戻りたいと願うのであれば、そうさせてやりたい。私の娘もただ心配しているのです。彼女が泣いていないか、辛い目にあっていないか。本当であれば、当家で世話をしてやりたい」

「それほどに、娘に執着する理由はなんなのです?義理の息子の不徳を、肩代わりしているつもりですか?」

「…それも確かにある。だが、それよりも、彼女は私にとっては孫のようなものなのですよ」

「ほう?」

「娘オクタヴィアとその侍女であったアリシアは子供の頃から本当に仲の良い姉妹のようでしてな。私も本当の娘のように思っていた。娘が、ダフィードに嫁いだ時も一緒に着いていってくれたのです。非道な男から娘を守り、あの子はあの男に陵辱された。娘には隠して、気がつけば腹に子がいた。アリシアは子供が、あの男にどの様な目にあうのか、聞かなくてもわかっていた。だから、娘の元から辞して、市井に戻ったのです。我が家にと再三戻ることを勧めたが、あの子は頑として首を縦に振らなかった。私は、時々彼女たちの状況を確認して見守ることにしました。あの、戦争までは」

「リドニアレールの惨劇…ですか」

「多くのものを失いましたな。民も、古くから大切にしてきた街の遺産も…街やあの田園の景色が戻るまで随分と時間がかかりました。そして、取り戻せないものも多かった。

アリシアもその一つ。彼女が亡くなり、その娘の所在が確認出来たときには、リュクレスという娘は、修道院で己の居場所を見つけていた。自分の名を明かさずに養子に来ないかと誘ったこともあったが、あっさりと断られました。…結局私はあの親子を見守ることすら出来ずにいる」

わだかまる後悔、それはヴィルヘルムにも経験のあるものだ。時間が経っても苦さは消えることもなく、胸の奥を苛む。

「一つ腑に落ちない。貴方はダフィード・ルウェリントンが非道な男と知っていて、何故自分の娘を嫁がせたのです?」

「…アルムクヴァイド王の治世しか知らない貴方にはわかりますまい。王権を王の周囲の貴族が振りかざしていた頃のことを。あの男は裏で多くの貴族と繋がっていた。それを利用して、王命として娘を差し出させたのですよ。奴の功績を讃え、娘を与えるようにと。拒否すれば、それはそのまま領民に皺寄せが行く。娘はノルドグレーンのために嫁いだのです」

領主として、彼とその娘は領地を守ることを優先したのか。

なるほど…と、ヴィルヘルムは静かに息を付き、緩く笑った。

「リュクレスは、無事です」

「本当ですか」

初めて伯爵の緊張の線が緩んだ。

それを感じて、ヴィルヘルムはその言葉を笑顔で肯定しながらも、けれど望みを断ち切るように言い切った。

「ええ。ですが、貴方に渡すことはできません」

「…何故?」

「彼女は私が妻にと望む娘だからですよ」

その言葉に、一瞬気色ばんだ伯爵が目を瞠った。

「姓すらもない、市井の娘を本当に娶るつもりか」

なんの気まぐれかと、伯爵の語気に不信感が滲む。

それを笑みで返して、ヴィルヘルムは傲然と言い切った。

「横槍は入れさせない。何人たりとも、邪魔をさせる気はありません。貴族であろうとなかろうと、構わない。私はあの子があの子のまま私の傍にいるならそれでいい」

「身分の差を気にしませんか」

「しませんね。彼女を幸せにするために私の地位と権力を全て活用するつもりですから」

権力が、あの娘親子を不幸にしたのであれば、その全てを使って幸せにしてみせる。

「あの娘を…幸せにしてくれますか」

ぽつりとノルドグレーン伯爵が尋ねた。それは、切実な懇願に聞こえていた。

幸せにしてやりたいと望みながら、どうしていいか分からず、結果後悔ばかりしてきた伯爵に、ヴィルヘルムは確固たる意志を持って頷いた。

「幸せにします。…私ばかり幸せされては男として情けないですからね。…ただ、あの娘が、私のことを想って身分を気にすることがあるのなら。ノルドグレーン伯爵、協力を願えるだろうか」

「当家の養子として迎え入れればよろしいのかな」

「ええ。お願いできますか」

「是非もないが。何故、初めからそうしない」

将軍は綺麗に笑んで見せた。その灰色の眼は情熱のほの暗い光を宿す。

「私の独占欲ですよ。貴方にとっては孫のような娘と聞いてしまったならば余計に。本人に逢えばそれこそ、彼女を好きになるでしょう。実家ともなれば、帰っておいでと言われたらあの子は断りきれませんからね。帰る場所は私の所だけで十分です」

きっぱりと言い切る男は、己で自覚のある通り、独占欲の塊のようだ。

「逃げる場所さえ与えないつもりか」

縛り付けるような将軍の言葉に伯爵は憤りを感じた。

「逃がす気はないので。だが、逃げ出させるようなこともしないと誓いますよ」

穏やかな笑みに、怒りは削ぎ落とされる。肩透かしを食らったように、伯爵は肩を落とした。しばらくして、口を開く。

「リュクレスと逢うことは叶いますかな」

「調整しましょう。ああ、そうだ。もう一つ、協力頂けますか?彼女のために」

「…なんでしょう」

「後ろ盾になっていただきたい。これから彼女は王妃専従の侍女として、王宮に上がる予定です。ですから、ノルドグレーン伯、貴方からの紹介とさせて頂けないでしょうか」

「何故貴方がなられない?」

「彼女が私の妻となるまでは、出来るだけ私の庇護にあることは知られないほうがいいでしょう。下世話な者たちも多いようなので」

「……貴方が交渉上手なのは聞いていたが、本当のようだ。拒否する言葉が浮かばない」

「褒め言葉として受け取らせて頂きましょう」

順番さえ異なれば違う結果をもたらしたかもしれない。だが、ノルドグレーンは将軍に信用するに足る言葉をいくつか返されている。

純然たる信頼を彼に感じているかと問われれば、間違いなく否と応える。冬狼将軍は穏やかな仮面の下に、冷酷無比な氷の刃を隠し持つ。だが、リュクレスの話をしたときのあの熱は作り物ではありえない。

男に優しさや暖かさなどを期待はしていない。

伯爵は冷酷だが誠実な将軍の「幸せにする」というその言葉を信じたいと思った。






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