Ⅲ
この話には魔法があります。この話では戦争しています。この話は魔法を魔法を使い、戦争を生き抜く、一人の女性のお話です。
テアは最前線ベースキャンプから本部のある城内へ空間転移したその足でリトス国王 ウェールン・ゼノタイム・カルセドニーのいる玉座の間へ向かった。もちろんリトには宿舎で休むように言いつけてから。
「いつもご苦労だな、テア。三麗華の一角を落としたそうじゃないか」
開口一番の陛下のいたわりの声はいつものこと。だからこそ次に出てきた言葉に素直に驚いた。
「情報が早いですよ、陛下。……ルーシャですか?」
テアが率いている小隊のリト以外の三人のうちには自他共に認める情報通で、実際に諜報部隊にも属しているルーシャ・クリコソラという魔導士がいた。ルーシャならば〝グルク〟という名を聞くだけで彼が三麗華の一人であるわかったのであろう。報告を頼まない方がよかったかなと考えていると、ウェールンが喋り始める。
「うむ、向こうには申し訳ないが、良いことだ。何しろこちらも残る二人の内一人落とされてしまったところだったしの」
「……あの、お喜びのところ申し訳ないのですが一つ訂正を。おそらく三麗華は落ちてないかと思われます」
非常に言いにくそうにテアが言う。しかしそのことに対し、落胆の様子は見られない。
「そうか、しかし深手は負わせたのだろう? ならば十分じゃ。命まで奪うことはない」
国のトップらしからぬ言い草。しかし敵を討つことよりも命のほうを優先するウェールンの考え方をテアは尊敬し、自らにも課している。敵を討つことを己が使命としていた五貴石の一人のドドスは生ぬるいと言っていたが、王の言うことをどこか尊重していたところもあったと、実際に側近として一緒に戦場に出ていたジーリンが話していたのを思い出す。
「……陛下、セレティアが亡くなったことで一週間ほど喪に服したいのですが」
「うむ、そうだな。最近テアには休む暇がなかったな。いいだろう喪に服すがいい。その方がセレティアも喜ぶ。しばらく我々は守りに徹しよう」
ウェールンはテアが言外に申し出たことも受け取ってくれた。そのことも含んだ感謝の言葉を述べ、玉座の間を後にした。次の向う先はセレティアの元。
城内の霊安室の中でも立派な場所の個室の一室にセレティアはいた。部屋に入ると遺体が腐らぬようにと施される魔法の特殊な冷気のせいで吐き出す息が白くなるほど寒い。遺体以外は凍らせぬ冷気だがそれでも真冬のように寒い。しかしその部屋の中にセレティアのほかにもう一人いた。
「……リリシア」
部屋の隅にうずくまるようにいたのはリリシア・カーネリアン。セレティアに拾われリトと同じように兵士となり、側近としてセレティアの元にいた魔闘士の女性。そしてテアもまたリリシアを妹のように可愛がり、リトも姉のように慕っている。歳はリトよりも十ほど上である。
「テア様?」
テアの声に顔を上げる。テアの姿を認めるとその大きな瞳からボロボロと涙を流し、また顔を腕の中に隠してしまった。嗚咽と共にくぐもった声が聞こえてくる。
「申し訳ありません、セレティア様はワタシをかばったばかりに敵の攻撃を受け、重症の身になり、そして……」
嗚咽で聞こえなくなる。しかしその先は言われなくてもすでに報告を受けたこと。
「顔を上げてリリシア。私は別にお前のことを責めに来たわけじゃないよ」
リリシアの前にしゃがみ、眼の高さを合わせる。そして頭を撫でてやる。その頭はとても冷たくなっていた。リリシアは震えながらゆっくりと顔を上げる。目を真っ赤にし、嗚咽を我慢するその姿は見ていてとても痛々しい。唇の色も赤よりも紫に近くなっていた。いつからこの部屋にいたのか容易に想像がつく。
「リリシア、あなたがこんなに泣いていたらセレティアも悲しむよ。セレティアはあなたを泣かせるためにかばったわけじゃないでしょう? 最後の言葉は聞けなかったの?」
テアはリリシアの涙をぬぐいながら静かに諭す。リリシアも落ち着いてきたようで震えが収まってきた。
「……自分の分も生きてほしい、と。それから」
テアをまっすぐに見つめる。
「テア様のことを頼むと言われました」
その眼にはまた涙か浮かんできた。しかし必死に止めようとしている。
「そう……」
目の前のリリシアのことを抱き締めた。セレティアめ、と恨めしく思いながら。
「ほんと、セレティアは人のことばかりなのだから」
体の芯まで冷え切っていたリリシアにとって程よく温かいテアの温度に安堵し、せっかく抑えていた涙も自然と流れてしまう。
しばらくそのままだったか。テアの温かさがセレティアに移っていく頃、テアが口を開いた。
「私のもとに来るかい? リリシア」
リリシアは呆けたような顔でテアを見つめる。いきなりのことで言葉の意味を理解しきれていないのだろう。
「私と共に、一緒に戦わないかい?」
本来ならばテアは戦いで大切な者を喪った者に一緒に戦おうと言ったりしない。その者の戦う理由が復讐になるのを恐れて、だ。しかし今回リリシアの様子を見て、この子なら復讐に生きたりしないと、妙な確信が胸の内にあった。かつて自分が最愛のグレイが死んだ後、復讐を目的に剣を持たなかった時と同じように。
「戦っても、いいんですか?」
リリシアの瞳にわずかだが光が宿る。それは決して復讐に目覚めた狂気の光ではなく、自分にはまだすべきことがあるということを発見した意志の光。
「戦ってほしい。……正直言うと、もう兵士の数が少ない。有力な兵士に前線を降りられてこれ以上戦争が長引くのは避けたい」
涙に濡れながらも、それでもリリシアは決意を固めた顔で頷いた。リリシアはテアの言葉の真意を読み取ってくれた。戦争を終わらせる。それはこの世界の誰しもが思うことで、五貴石たちの、つまりはセレティアの願いでもある。
リリシアのテアの隊に入るという話は滞りなく行われた。隊の人数は原則五人までだが、それは三人いる魔闘士のテアとリトの他のヴァルトが新たに他の隊の隊長になることで、五人におさまった。
テア達は実質休戦の一週間をそれぞれ思い思いに過ごした。
新たに進撃を言い渡されたのは、その更に一週間後。テアが休戦を申し入れた二週間後だった。
「国境付近までは空間転移をして、そこからは歩いていく。森は避けて草原……リベルレントの草原を横切ろう。隠れられないが、それはアントス国側も同じこと」
テアの立てた作戦を聞きヴァルトを減らした三人とリリシアが頷いた。
「では、それぞれの準備を整え夕刻、日の沈みきる前に城門前へ集まること。では解散」
お互いの意見交換の後、テアの締めの言葉で解散を告げると、リト、リリシア他の二人が話をしながら作戦室から出ていく。テアもリトと共に部屋に戻ろうとしたところリリシアに呼びとめられた。
「どうした? リリシア」
「あ、の……。ワタシは本当にテア様の隊に入ってもいいんでしょうか?」
ひどく思いつめたような顔をして、何を聞くのかと思えば。
「何だ、リリシア、二週間前に約束したこと、もう忘れてしまったのか?」
顔に笑みを浮かべ、リリシアに近づく。
「忘れてはいません。でも本当にいいのかと思って……ヴァルトさんもテア様の隊じゃなくなって。新しい小隊を編成するならワタシが隊長になっても……」
「確かにリリシアも十分経験を積んだ魔闘士だから小隊の隊長になってもおかしくない。でもリリシアよりヴァルトの方が経験を多く積んでるってこと知ってた? そういう要因とかも含めて考えればリリシアよりもヴァルトが新たな隊長になる方が理に適っているんだ。その点はヴァルトも承知していた」
それに、と続ける。
「私はまだまだ心配だよ、リリシア」
リリシアは当惑顔で首をかしげる。テアはリリシアの頭に手を置く。
「だからね、セレティアが亡くなってまだ二週間だ。自覚はないだろうがリリシアは相当いろんな意味で疲れている。そんなリリシアが目の届かない所にいるのは心配だ」
「ワタシは……頼りないですか?」
リリシアの言葉に黙って首を振る。
「違うよ、そうじゃない。私の我儘だ。リリシアをそばに置いておきたいっていうね」
悪戯を成功させたような幼い少女のような笑みを浮かべ、片目をつぶる。それだけの行動だが、リリシアの胸にはポッと暖かいのが宿る。
「……テア様」
「だから本当ならドドスが死んだ時にはジーリンを、グレイが死んだ時にはソウイを手元に置きたかったが、ジーリンはジーリンで、一人で立ち直っているし。逆にソウイは塞ぎ込んでしまって外にすら連れ出せない状況だ。だから、」
わかった? とリリシアに確認する。リリシアの表情は作戦会議中よりもずっと明るいものになった。それを認めるとリリシアの頭に置いていた手を動かし、ちょっと乱暴に頭をなぜる。
「じゃあ、また夕刻に」
はい、というしっかりとした返事を背に受けつつテアはリトを連れ作戦室を出る。今夜からの作戦のため今日はどこにも寄らず部屋に帰ろうとした。
「テア様」
部屋を出てしばらく歩いたら、一緒に歩いていたリトが何かを思い出したかのようにテアを呼びとめる。
「わたし、ソウイくんのところに行ってきます。先に戻っていてください」
「ああわかった。……ソウイの様子はどうだ?」
五貴石グレイ・ジャスパーの側近であった魔闘士ソウイ・アゲートはグレイが死んでからというものの、自ら心の内に閉じこもってしまった。食事すらまともに取らないその姿は見ていて痛々しい。テアの心配事の一つである。グレイの側近だったから尚更。
「最近やっと自分で食事をしてくれるようになってくれたんです」
「そうか、それは良かった。これからも頼むよ、リト」
久しぶりのいい報告に安堵の息をつく。
リトは、はい! と元気良く頷くと、向こうに引き返して行った。
それを見送ったら、ふとすでにいないみんなの生きている時の顔が浮かぶ。どうもリト、リリシア、ソウイ、ジーリンを見ていると昔の自分たちのことが思い出される。
気付いたら、霊安室の方に足が向いていた。
セレティアに挨拶を終え、部屋を出ると危うく人とぶつかりそうになった。
「すまない、……っと、ライデンか。久しぶりだな」
見上げる先の顔はよく見覚えのあるもの。
ライデン・D・クリソベリル。テアとほとんど変わらない年齢で、最も五貴石に近い男と呼ばれている。グレイの自他共に認めるライバルでもあった。そしてDの名を冠する貴族の出。
「テア……。聞いたぞ、また最前線に進撃だって?」
責めるようなライデンの言葉にテアは笑って返す。
「そういうお前はまた城周りの警備か? 最前線に行けないことで私を責めてくれるな。命の危険が少ないのはいいことじゃないか」
「だからといって、お前が常に命の危険に晒される最前線に行かなくてもいいじゃないか」
肩を掴まれるが、テアの笑みの形は崩れない。
「ライデン、私は五貴石だ。今となっては一人になってしまったが、そんな私が最前線に出なくてどうする。同じ原理でお前は貴族だ。王のいざという時にはその代わりとなって国を背負っていく存在が戦場で倒れるわけにはいかないだろう」
「お前が許せば、俺は喜んで五貴石に……」
「ライデン!」
ライデンの言葉を遮ったテアの表情からは笑みが消えた。
「それ以上言ったら、お前が城周りの警備すらできないように陛下に進言する」
ライデンの表情も固まる。テアの肩を掴む手に無意識に力が入る。テアはそれを表情変えず受けている。
「なぜ、そこまで頑なに。……あの時も、今も」
テアはそっと手をまだ肩を掴む、ライデンの手の上に置く。
「……私の気持ちはあの時からずっと変わらない。ライデンの気持ちは嬉しいけど、駄目なんだ」
テアに笑みが戻る。しょうがないなあ、という笑み。ライデンはこの顔に弱い。本当に昔からテアには勝てない。初めて想いを伝えた時も、五貴石になりたいと言った時も。その顔に押し止められてしまった。
「……あの五人じゃないと意味がないんだったな」
テアは無言で頷く。
「わかった。でも俺に対しては強がるな。……何かあったらすぐに言うんだぞ」
「ありがとう」
ライデンの手が肩から外れるとその足はグレイの霊安室に向かう。ライデンの視線を感じたが後ろは振り返らなかった。
「強がるな、か。……悪いけど、無理だわ」
かつてグレイの霊安室はテアにとって恐怖の場だった。愛する者が冷たい体で横たわり、永遠に目をあけない。そのことがテアには耐えられなかった。しかし、最近はだいぶ落ち着いてその部屋に入れるようになった。
「あなたの死を、受け入れ始めているのかな」
慰霊台の脇に置かれている椅子に座り、横たわるグレイを見つめながら、ポツリと口からこぼれた。その言葉は横たわるグレイはもちろん、誰も受け取ることもなく静かに消えた。
その後、夕焼けに染まる城門に五人は集まった。それぞれの胸の内に様々な思いを秘めながら。
一行は空間転移で国境付近まで移動した。そして国境付近にある村の跡地にその日の野宿を決めた。
一時休戦
タイトルを付けるのならば、ですね。
補足ですが、早くに戦死した一人を除いて五貴石にはそれぞれ側近がいました。みんな戦争孤児で、それぞれのに才能を認められて、育てられた感じです。なので絆は強いです。
五貴石という総称はあくまで始まりの魔闘士五人に付けられたものです。三麗華のように継がれるものではないです。