奢り合い
次の日の昼休み。女子数人とお弁当を食べ終えた時だった。席に着いたまま、弁当箱をカバンに入れていると机の上に紙パック入りのリンゴジュースが置かれた。
顔を上げると
「昨日のストラップのお礼」
「くれるの?」
「うん。食後にいつも飲んでるでしょ?」
いつもと言っても光輝がこの学校に転校してきてまだ三日目だ。
もしかして……わたし、見られてた?
少しだけ感激に似た思いが胸の中で花が咲いた。
「ありがとう。頂くね」
こんな時でも、平静さを取りつくろうとする自分がいた。
(ありがとう嬉しい!)
満面の笑みを浮かべてそう言えばいいのに、光輝への思いが膨らみつつあったわたしは、それを感づかれまいと異常なほど平静さを取りつくろった。
きっと、男からすれば、可愛くないだろうな。
その日、入部していた手芸部の終了時間が思いの外遅くなり、誰もいない校舎内を歩いていると、窓から練習を終えた野球部員たちがグラウンドをゾロゾロ歩いているのが見えた。
その中で、頭が一つ飛び出た生徒を見つけた。
玄関へと続く渡り廊下を歩くと、この時間は営業していない売店に差しかかった。
昼休みに光輝が買ってくれたリンゴジュースを思いだした。
すぐさま玄関で、靴に履き替え、校門へと向かった。
まだ、野球部員はグラウンドを歩いているはず。
校門をでた場所に設置してある自販機で、光輝が今日の昼に飲んでいた缶コーヒーのラベルを見つけてお金を入れた。
野球部員たちが、校門から出て来た。
そんな部員たちから少し離れた場所を歩いて来た光輝が、自販機前で立っているわたしに気付いた。
ゆっくりとした歩調で、部員たちからさり気なく離れ、わたしに近づいて来てくれた。
「あれ? 今帰り?」
「うん。珍しくこの時間になっちゃって。あっ!これ昼間のお返し」
そう言って缶コーヒーを手渡した。
「えっ? お返し? 何それ?」
そう言って、ポケットから財布を取り出して自販機にお金を入れながら
「昼のジュースはストラップのお返しって言ったろ? 何飲む? それのお返しするから」
そう言って、また秒殺スマイルを向けてくれた。
しかも、かなりの至近距離だったので一瞬膝がカクンと折れそうなのを必死にこらえた。
「じゃあ。オレンジジュース」
ガタンと落ちて来た缶ジュースを手渡してくれた。
「家、どっち?」
「こっち」
自宅のある方向に指を差した。
「俺んちはこっち」
光輝が指差した方向はわたしの自宅とは真逆だった。
先を歩いていた野球部員たちも、双手に別れてそれぞれの家に帰って行った。
わたしと光輝は自販機の前で立ったまま、お互い買い合ったジュースと缶コーヒーを飲みだした。
「昨日の続きだけど、これから真樹って呼ぶね。女子にはそう呼ばれているでしょ?」
「うん」
「俺は光輝でいいから」
「そ……そんな慣れ慣れしく呼べないよ」
「はあ? じゃあ、俺だって真樹って呼べないじゃないか」
「そ……それもそうだけど」
「青木って姓に慣れてないしね」
スチール缶を指で撫でながらそう、呟いた。
「分かった。そう言うなら光輝って呼ばせてもらう」
自販機の前を何台かの車が通り過ぎる。わたしと光輝は立ったままそれぞれ買い合った物を口にする。
暫く無言が続いて
「真樹んちは、いつから母子家庭に?」
「うち? うちはまだ、離婚調停中だから、完全な母子家庭じゃないの」
「揉めてるの?」
俯き加減に上から見下ろして来て、その表情にドキンとした。一つ一つの仕草や表情に一々反応するこの心臓をどうにかしたい。
「うん。家のことでね。土地は父名義で、家は父と母名義になってるしさ。そこのとこが上手く行かないみたい。その上住宅ローンは父名義。詳しくはよく分からないんだけどね」
「うちはすんなり別れたけどね。ってそうさせたのは俺なんだけどね」
「え?」
「親父に別の人との間に子供が出来たんだ。信じられる?」
そう聞かれて首を横に振ることしか出来なかった。
「それで、金の掛るT学園を辞めて、母方の実家に引っ越してきたんだ。 あの人には一銭の援助も受けたくなくてさ。高校は、この地域の野球の名門校を調べて、そこのスポーツ優待生目指そうかと思ってる」
そう語った光輝の口は一文字に結ばれていて、野球への真剣さが伝わって来た。
凡人ではない筈だと思った。この中学の野球部員たちが持ち合わすことのない確固たるものが感じられた。
「そう……光輝は凄いね」
そして、わたしはこの時から、光輝のこれからの成長をただ、男とか、好きな人とか、そんなことではなく、一人の才能を持った人間として、見届けて行きたいと思った。