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夢だとか、愛だとか、希望なんて、今の私には信じようのないものだった。絶望の果てに待つものなんて何もない、と思う。少なくとも、うすいブラウス一枚で雨の夜道を独り歩いている今は、何の希望も持てようとは思わない。自分で作った状況だった。冷たい雨は容赦なく身体を突き刺して、ぴゅうぴゅう吹く風も濡れた服をひどく冷やした。服が肌に張り付く。みじめで、寒くて、哀しくて、悲しくて、寂しかった。なんでこうなったんだろうと思うと、涙がぽろりぽろりこぼれた。どうせ既に顔は雨で濡れているんだから、気になんてしない。
大学へ通うために親元を離れて東京へ出てきたまではよかった。こちらで就職していた兄の家に下宿することになって、3年間は二人で楽しく暮らしていたのに。ある日突然、兄は「結婚するんだ」と言った。今まで二人っきりで暮らしていた家には、新しく兄の奥さんが住まうことになった。私だってもう二十歳を過ぎた身だからわがままなんて言いはしない。だけれども新婚夫婦の暮らす家に独りでひっそりと同居するのはそう気持ちのいいことではなかった。兄の奥さんへの違和感と、兄への後ろめたさと申し訳なささが同時にぶつかり合う。もう高校生やなんかではないのに、悩んだはずみに追い出されてもいないのに家を飛び出してきてしまった。秋の夜は、考えていたよりもずっと寒いものだった。
ぽろぽろと泣きながら考え事をしていると、ふと目の前に公園があるのが見えた。中央のベンチの上には屋根がある。雨宿りができそうだ。慌てて駆け寄った。ぐったりと座り込むと、ほっと心が安堵した気がした。家に、戻りたい。だけれど「大人」としてのプライドと、「妹」としてのプライドが鬩ぎあって私に逃げることを許してくれない。携帯の画面を覗くと、PM11:30と液晶には表示されていた。もう、どうしようもないのに。ふと思い出したフィッツジェラルドの短編のタイトルを脳裏にふわふわさせながら、そっと目を閉じた。眠ってはいけないと思いつつも、やっぱりそのままベンチにもたれ込んだ。
*
「ねーねー」
ん? あれ、友達なんかと、来てたっけ。と、いうか、ここどこだったっけ。やけに冷える肩を抱きしめながら、ふっと閉じていた目を開いてみた。すると流れ込むように記憶は蘇る。そうだ。逃げてきたんだ。明るく輝いていると思った空は暗く澱んでいた。眠りに落ちてしまってから、どのくらいの時間が経ってしまったのだろう。今なお降り続く強い雨も何も先ほどと変わっていない。ただひとつ変化していたのは、隣に私の顔を覗き込むひとがいたことだった。
「え……?」
「だいじょーぶ?」
「あの、誰……ですか」
ああ、ごめん、ときょとんとした顔をしていた女性は納得したように頷いた。ふわりと香水の香りがする。視線を送ってみると、パンツスーツを着て、ヒールの高いきちんとしたパンプスを履いていた。学生なんかではないらしい。私がそんなことに思いを馳せているのはよそに、女性はいそいそと自己紹介を始めた。
「あなたのこと、拾いにきた。自分、お兄ちゃんいてるやろ、その人に頼まれた。んと、で。あれ? 名前、なに?」
「え? あ、あの」
「名前、名前」
「りえ、です」
途端にぱっと彼女の表情は輝いた。ぐっと握手でもするように私の両手をぎゅっと握る。
「あたし、ななっていうん。うちにおいで」
勢いよく叫んだ彼女の目は、まるで宝石であるかのようにきらきらと光っていた。暗い夜空の下、よくわからないけどなぜか私の前に現れた彼女はまるで天使か女神のように見えた。兄が遣わしたとかなんとか言っているが気にはしない。なぜそれほどまでに私が勢いに呑まれているかというと、寒くて寒くて寒くて死にそうだったからである。
設定東京なので言葉は流してください。設定としてはりえちゃん→標準語、ななちゃん→標準語に矯正されつつある関西弁てことで。