第2章 タカシの夢はお笑い芸人? (その28)
事実でないことを言えば、それは「嘘」になる。
だが、事実を伝えなかったからといって、それが「嘘をついた」のと同列で非難されることはない。
それが孝の基本的な考えだった。
高校生ともなれば、日々、いろんなことがある。
毎日同じように学校に通っているが、厳密に言えばどの一日をとっても他の日とまったく同じな日はない。
同じクラス、同じ教師、同じ科目でも、前日と今日は明らかに違う。
授業の内容がすんなりと理解できる場合もあれば、まったく頭に入らないこともある。
授業中に指名されて、正解を答えられるときもあれば、間違ったことしか答えられないときもある。ときには、質問されている内容すらも分からなくって、ただ黙って立ち尽くすことだってある。
友達関係でもそうだ。
仲が良かった奴と、僅かな意見の相違が元で喧嘩に発展することだってある。
逆に、今まで殆ど口を利かなかった奴とあることがきっかけで急激に親しくなることだってある。
それでも、そうした、言わば「日々の些細な出来事」をこうして父親に報告をするようなことはしない。それが普通だろう。
確かに、幼稚園や小学校の低学年の頃には、帰ってくると母親代わりをしてくれていた祖母から「今日は楽しかったかい?」と水を向けられて、その日あったことを事細かに報告をしていた記憶もあるが、小学校生活に慣れた頃からは、そうした問いにも答えなくなっていた。問われることへの煩わしさが芽生えたためだろう。
そして、その延長線上に今日がある。
「今日あったこと」のすべてを誰かに言うことなど考えたこともないし、それを言わないことで誰かに責められることなどありえないことだとの認識があった。
「つまりは、お爺ちゃんやお婆ちゃんに隠し事をしているという罪悪感が生まれてたんだな。」
父親は、そう言葉を置き換えてくる。
「罪悪感?」
孝は、その言葉が自分に向けられているように思えて、どうしてか身構えた。
(つづく)