第1章 爺さんの店は何屋さん? (その5)
正栄ビルという貸しビルのオーナーである町村という人物は、この街では著名な資産家である。
もちろん、正栄ビルだけではない。
この商店街にも3つの貸しビルを保有していたし、同じ市内では30棟ぐらいの貸しビルを持っていると言われていた。
そのオーナーである町村氏自らあの爺さんを連れて会長の店に挨拶に行ったというのだ。
これは只事ではない。
オーナー自身がそうして挨拶に連れて歩いた商店主など、過去にはひとりとしていなかった。
「ああ・・・、どうやら父親の代からの付合いらしい。詳しいことは聞いちゃあいないが・・・。」
会長はそう言うことで、これ以上その関係については話すつもりが無いと伝えた。
「そ、その角田さんが、つい1時間ほど前にご挨拶に来られまして・・・。」
小池のおっさんは、ここに至った経緯を説明しようとする。
だが、その言葉遣いは大きく変化していた。
もう、とても「爺さん」とは呼べなくなっていた。
「おうおう、それは重ね重ねご丁寧なことで・・・。そ、それで?」
「商店会への加入申込書をお持ち帰りになりまして・・・。」
「で、そのときにこれを?」
「い、いえ、これは蕎麦屋の長さんが・・・。」
「ほうほう、そうだったか・・・。如何にも、あの人らしい・・・。」
「ど、どんなお商売なんですか?」
小池のおっさん、とうとうそのことに触れる。
「ん? 本人から聞かなかったのか?」
「ええ・・・、ただ、“お節介を売るのだ”と申されまして・・・。」
「あっはは・・・、そ、それは、上手いことを・・・。お節介をねぇ・・・。」
会長は納得するように、何度も大きく頷いた。
「わ、笑いこっちゃあありません。で、ですから、結局はどんなお商売をされるのか、とんと分かりませんでして・・・。」
小池のおっさんは、額の汗を手で拭うようにして言う。
「ま、そのうちに分かるさ。そんなことより、この引越し蕎麦券、今日明日中に会員さんに配っておいてほしい。」
「あ、はい・・・、そ、それは配りますが・・・。」
「ん? 何か、不満か?」
「い、いえ・・・、そ、そう言うことではなくって・・・。」
「じゃあ?」
「こ、これを配るにしても、会員さんからは、“何屋さんなんだ?”と訊かれると思いまして・・・。」
「ああ・・・、なるほど。でも、そんなことをいちいち言わなくっても・・・。いや、却って、それを言わない方が良いんじゃないのかな。
この蕎麦を食べに長さんの店に行けば、すぐにでも目に付くだろうから・・・。」
「そ、そう言われましても・・・。」
小池のおっさんは抵抗する。やはり、事前に知っておきたいらしい。
そうでなければ、商店会の専務理事としての顔が立たないとでも思ったのだろう。
「言うなれば、“昔ながらの茶店”ってところだろう。」
「ちゃ、茶店?! き、喫茶店ということで?」
「違う違う・・・。“峠の茶店”だ。ほら、昔の時代劇によくあったろ? 店の前に縁台を出して茶を飲ませたり、団子を食べさせたりする、あの茶店だ。」
「ええっっっ!」
おっさん、そうは言ったものの、会長が言う茶店がイメージできないようだ。
「そ、それでお金を?」
そんな店で儲かることは無いだろうとおっさんは思ったらしい。
「い、いや・・・、それが無料なんだそうだ。」
「ええっっっっ! そ、そんな・・・。それじゃあ、どこで儲けるんです?」
「も、儲ける? そ、そうだなぁ~、どうも、そんな気は無いらしい。」
「えええっ!!!」
小池のおっさん、とうとう口をポカンと開けたままになる。
(つづく)