第1章 爺さんの店は何屋さん? (その4)
それで蕎麦屋の長さんは役目を果たしたと思ったのか、「じゃあな」とだけ言い残して事務所を出て行った。
「あああ・・・。」
呼び止めようとした小池のおっさんだったが、それに続く言葉が出てこなかった。
(そ、そっか・・・、11万円を現金で支払ったってか・・・。)
おっさんは、そこに残された150枚のポチ袋をまじまじと見るようにして思った。
確かに、蕎麦屋の長さんが言うとおりだ。
今時、引越し蕎麦を配る人間は殆どいない。
しかも、この商店街全員にと、何と150人前の蕎麦をだ。
何とも豪勢な・・・、と言うか、何とも奇特な・・・と思わざるを得ない。
この商店会も出入りは激しい。
もちろん、ここ数年は「入り」より「出」の方が多いのだが、それでも何軒かの新規出店はあった。
だが、この事務所に手土産を提げて挨拶に来た人はいても、こうして派手に引越し蕎麦を配るような新規出店者は見たことが無い。
長さんの言葉ではないが、「余程儲かる商売」でなければ、そんな出費をする筈は無い。
「で、でもなぁ~・・・。」
おっさんは何となく納得が出来ないのだ。
先ほど訪ねてきたあの角田とかいう爺さんにそんな儲かる商売が出来るとは思えなかったからだ。
第一、本人も、「お店屋さんごっこ」などと、何とも惚けた言い方をしていたのだ。
おまけに、「お節介を売ります」などと冗談ぽく言ったのだ。
「ほ、本当に、大丈夫なんだろうか・・・。」
おっさんは、どうにも不安がおさまらなかった。
それでも、だからと言ってこのまま放置しておくわけにも行かない。
そう思ったのだろう。
おっさん、どこかへ電話を掛ける。
「ああ、会長、小池です。実は、ちょっとご相談したいことがありまして・・・。」
そう切り出した。
相手は、この商店会の会長のようだ。
「あ、はい・・・。じゃあ、お待ちいたしております。」
おっさん、そう言って電話を切った。
どうやら、その会長がここに来てくれることになったようだ。
程なくして、70歳ぐらいの結構身体の大きな老人が着物姿でやって来た。
「ああ、会長、わざわざご足労頂きまして・・・。」
小池のおっさんが丁重に迎える。
どうやら、お待ちかねの相手だったようだ。
「じ、実は・・・、これなんですが・・・。」
おっさん、会長に先ほどの蕎麦屋が持って来たポチ袋の束を見せて言う。
「ああ・・・、も、もう早速にか・・・。やることが早い。」
会長はそれを見るなり、すぐにそう言った。
「ええっ! か、会長、この件、ご存知なんで?」
驚いたのはおっさんの方だった。
「ああ・・・、確か、3日ほど前だったか・・・、わしの店に正栄ビルのオーナーさんと挨拶に来られてな。」
「ええっ! こ、この新店主さんが?」
「ああ、そうだ。で、引越し蕎麦を配りたいんだが・・・と言われてな。
で、長さんの蕎麦屋を紹介しておいたんだ。店も近いから・・・。」
「あああ・・・、そ、そうだったんですか・・・。」
小池のおっさんは、内心、地団駄を踏む思いだったに違いない。
そこまで、事前に手を回しているとは思ってもみなかったのだろう。
「あ、あの店主をご存知なんで?」
小池のおっさんが恐る恐る訊く。
その答えによっては、自分も考え方を改めねばと思ったようだった。
「い、いや・・・、その時が初めてだ。
ただな、どうやら、正栄ビルのオーナーである町村さんとは旧知の間柄らしい。」
「ええっ! そ、そうなんです?」
これまた、小池のおっさんは顔色を変えるほどに驚いたようだった。
(つづく)