第2章 タカシの夢はお笑い芸人? (その5)
「2年の2学期から成績が下がっている。」
先生はそう指摘した。
で、「何かあったのか?」と訊いてくる。
別に、特段のことがあったのではない。
ただ、強いて言うならば、「初恋をした」だけである。
それも、その相手の女の子と付き合えたわけでもない。
完全に孝の「片思い」だった。
だから、そんなことが成績に影響するなんて考えられなかった。
その相手の子は、同じ塾に通っている女の子だった。
名前を三浦香音と言った。
別の高校に通う可愛い女の子だった。
その塾には、孝は中学2年のときから通っていた。
で、高校2年の時に、彼女が通い始めた。
つまりは、新入生として入ってきたのだった。
これが学校であれば、同じクラスに転校した子は自己紹介をする。
もちろん、担任が紹介してのことだ。
だが、孝の通っていた塾は、そうしたことは一切させなかったし、許さなかった。
「同じ塾に通っているとは言っても、君らは所詮ライバルなんだ。
仲良くなんかする必要はない。むしろ、敵意を感じるぐらいでなければいけない。」
そう教えるほどだった。
だから、ある日から、突然に見知らぬ子が同じ教室に入ってきて座ることになる。
彼女もそうしてやって来た。
もちろん、教師も何も言わないし、本人も何も言わない。
それが当然とされた塾だったから、孝も驚いたりはしなかった。
(ああ・・・、また新しい子が通うようになったんだ・・・。)
そう思っただけだった。
塾では、自分の席という決まりもなかった。
来た順に、好きな席に座れば良いことになっていた。
孝も通い始めた中学の頃はそうだったように、新しい子はどうしても後ろのほうの席に座る。
様子も分からないし、勝手も分からないからだろう。
で、馴れてくると、次第に喋りやすい同士が集まるようになる。
「仲良くする必要はない」と言われても、そこは同い年の同じ学年である。
ちょっとしたことがキッカケで、すぐに友達関係が作られていく。
通っている学校も違うし、住んでいる場所も区々だ。
学校の友達とはまた別の世界がそこにはあった。
それなのに、その三浦香音という子は、その翌週には最前列の一角を占めていた孝のグループの真横に座るようになっていた。
そのことに最初に気が付いたのが孝だった。
いつもは授業が始まる数分前にしか教室に入らないのだが、どうしてかその日は早く塾に着いていた。
で、いつもとは逆に、孝が仲間の席を確保するように手荷物を適当に人数分の机の上に置く。
そうすることで、「この席はもう座ってるよ」という暗黙の了解が取れるのだった。
と、そこに彼女がやって来た。
そして、まっすぐに最前列の席を目指してくる。
「ここって、駄目なんですか?」
それが、孝と交わした彼女の初めての会話だった。
「ああ・・・、俺の連れが来るし・・・。」
孝は眩しそうな顔でそう言った。
「じゃあ・・・、ここは?」
彼女は残念そうな顔で、次に孝の席の横を指差してくる。
「ああ・・・、そ、そこは空いてる。」
孝は、机の上にちらっと視線を走らせてからそう答えた。
自分が押さえている席ではなかったからだ。
「ああ、そうですか・・・。だったら・・・。」
彼女はそう言ってその席に自分の鞄を置いた。
つまりは、孝のすぐ隣の席に座ると言うのだった。
(つづく)