第1章 爺さんの店は何屋さん? (その3)
「変な爺さんがやって来た!」
もちろん、そうした中傷誹謗の類ではない。
爺さんが商店会の事務所を出てから1時間ほどしてからだった。
同じ商店街で店を開いている蕎麦屋の店主が事務所を訪れる。
「小池さ~ん!」
店主が喜色満面の笑顔で奥へと声を掛ける。
「おお、長さん、珍しいな。」
「こ、これを・・・。」
長さんと呼ばれた店主が沢山のポチ袋を鞄の中から取り出してきて言う。
「こいつを、商店会の面々に配ってやって欲しいんだ。」
「ん? な、何だ? これは?」
「うちの蕎麦券だ。150枚ある。」
「ええっ! ど、どうしたんだ? 周年記念か?」
「い、いや、そんなんじゃあない。引越し蕎麦の代りだそうだ。」
「あん? ひ、引越し蕎麦?」
「ああ・・・。半年以上も空いていた正栄ビルの角に、何か知らんが新たな店が入ったんだろ? “がきだな”っていう一風変わった名前らしいが・・・・。」
「ああ・・・、あの爺さん・・・。」
「そうそう、その店主から頼まれたんだ。」
「・・・・・・。」
小池というおっさんは、口をポカンと開けたままになる。
「ええっっ! で、この券を商店会員に配るってか・・・。」
おっさんが確認するように訊く。
「そ、そうなんだ。この商店会は何軒ぐらいあるのかと聞かれたから、大凡70軒だって言ったんだ。
そしたら、各店に2枚で140枚、それにこの事務所用にって10枚を頼まれたんだ。」
「だ、代金は?」
「もちろん、即金で支払ってもらった。」
「い、いくらになる?」
「1枚800円だから、150枚で12万だ。それを即金で呉れるって言うから、1万オマケしたんだが・・・。」
「そ、それでも11万だよな。」
「ああ・・・。」
「それを、即金でか・・・。」
「ああ・・・、今時、ありがたい話だ。」
「い、いつの話だ。」
「つい1時間ほど前だ。ふらりと店にやってきて、突然にそう言ったんだ。だから、最初は、また新たな取り込み詐欺かと疑ったんだが・・・。」
「う、う~ん・・・。」
「店の名前も変わっているが、あの店主さんも昔気質の人なんだなぁ~。」
「ど、どうして?」
「だって、そうだろ? 今時、引越してきたからって、近所に引越し蕎麦を配る人なんていないだろ?
ましてや、商店街全部だと・・・。
相当に儲かる商売なんだろうな。羨ましいよ。」
蕎麦屋の長さんはそう言って溜息を付く。
「じゃ、確かにそれ渡したぜ。で、申し訳ないんだが、ここに商店会としての受け取りを書いて欲しいんだ。」
長さんは、そう言って納品書と受領書を取り出す。
あて先は「駅前東商店会様」と書かれてあった。
「わ、分かった・・・。で、これを商店会から配れば良いんだな。」
小池のおっさんがそう確認する。
「ああ・・・、そういうことだ。」
「変なことにはならんよな?」
小池のおっさんはそれでも不安なようだ。
「変なこと?」
「トラぶったりはしないよなってことだ・・・。」
「ああ、既に代金は貰っているし、後はその券を持って来た人に、うちが蕎麦を無料で食べさせれば良いだけだ。
何の問題もなかろう?」
「う、う~ん・・・、それはそうなんだが・・・。」
おっさんは、そう言いながらも、長さんが差し出した受取書に商店会の印を押した。
(つづく)