第1章 爺さんの店は何屋さん? (その35)
●読者の皆様へ
お久しぶりでございます。
ほぼ1週間振りの更新です。
実は、今週初めから体調を壊しまして・・・。
で、数日書かないと、なかなか続きが書けないもので・・・。
とうとうこんなに空いてしまいました。
本日から気合を入れなおして書きます。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
確かに、町村氏はこの地方では著名な資産家である。
なおかつ「地元に密着した事業を」という信念があるらしく、この商店街でも町村氏への信頼度は相当なものがある。
自分のビルの1室を貸すときにでも、新規の起業者には3ヶ月間の賃料を半額にするなどの貢献をしているからだ。
その町村氏が、自ら案内をし、そしておまけに「私が保証人になりますから」と言えば、誰だって即座に相手への疑念を払拭してしまうだろう。
それは、何もこの豊子婆さんに限らない。
さらに言えば、その賃料である。
月10万円と言えば、こうした所謂独居老人にすれば大金である。
豊子婆さんも、今では、年金とこのタバコ屋での収入だけが頼りだろう。
まあ、死んだ昇平爺さんがどれだけの資産を残したのかは分からないが、それでも、その利息だけで食べていけるのかどうかは疑問だ。
そこに、月10万円が入るのだ。
豊子婆さんではなくっても、その条件は確かにありがたいことに違いない。
「おまけに、その場で今月分を頂きましてね。」
豊子婆さん、余程嬉しかったのか、そう付け加えてくる。
「ええっ! そ、その場でですか?」
おっさん、目が点になる。
やることが手早いと言えばそうなのだろうが、それでも、まだ具体的な事業もしていないのに賃料を先払いするなんて・・・。
そう思うのだ。商売人の感覚ではない。
「はい、ビックリしましたよ。そうしたら、町村さんが“折角だからもらっておきなさい”って仰ったものですから・・・。」
豊子婆さんは、常に町村氏の存在が念頭にあるように言う。
「そ、そうだったんですか・・・。でも、いつまで続くんですかねぇ~・・・。」
おっさん、嫌味ではなく、ここで画廊という商売が成り立つとは思えないから、ついそんな言い方をした。
豊子婆さんの糠喜びに終わりはしないかと危惧をしたのだ。
「それにねぇ・・・、お爺さんが残してくれたこの“琴田画廊”っていう名前を使わせて欲しいって言って頂けて・・・。」
「ええっ! な、名前を?」
おっさん、その意味が分からなかった。
ここはもともと画廊である。
その場所を、画廊として使いたいのは分かる。新たな設備投資が要らないからだ。
だが、それでも、新たに事業を展開するのだ。店名を書き換えるのが当然ではないか。
そう思うのだ。
それなのに、あの角田という爺さんは、昔からの「琴田画廊」の名称を使いたいと言っているらしい。
そこにどのような思惑があるのか、とんと理解に苦しむ。
「お爺さんが死んだとき、ここには100点を超える絵画がありましてね。」
豊子婆さん、まるで種明かしでもするかのように言ってくる。
「そ、それは、どうされたんです?」
「息子達は処分したらと言ったんですが、私はとてもそれが出来ませんでね。
お爺さんが愛情を込めて手に入れてきた絵ですからね。
そう、全国を飛び回って・・・。
ですからね、まるでお爺さんがその前に座ってじっと眺めているような気がして・・・。
私が死んだら、お前達の好きに処分でも何でもしてくれたら良いけれど、私の目が黒いうちはこの絵はこのままにしておきたいって・・・。
そう言い渡したんです。」
「じゃ、じゃあ、その絵は今でもそのままに?」
「はい、全部、2階に・・・。」
「そ、そうだったんですか・・・。」
おっさん、ある意味ではもったいないような気がした。
まさに、宝の持ち腐れではないかと。
「あの角田さんって、絵画にお詳しいんでしょう?」
豊子婆さんが訊いてくる。
「さ、さあ~・・・、どうなんでしょう? そこまでは・・・。」
おっさん、答えに困る。
「2階でお爺さんが集めてきたその絵をご覧になって、第1回の展示会は、この絵にさせてもらえませんかって・・・。」
豊子婆さんは嬉しそうにそう言った。
(つづく)