第1章 爺さんの店は何屋さん? (その34)
おっさん、また隣の店に入る。
たばこ屋の「琴田商事」である。
たばこ屋らしからぬ名称だが、これには事情があった。
元々、ここは画廊だったのだ。それを経営していたのが有限会社琴田商事だった。
だが、そのオーナー社長だった琴田昇平爺さんが亡くなってからは、残された豊子婆さんがひとりでたばこ屋をやっていた。
豊子婆さんには、絵画の売買をする能力がなかったからだ。
「こんちわ。商店会の小池です。」
中に入ったおっさんが奥へと大きな声を掛ける。
「ああ・・・、はいはい・・・、よっこいしょと・・・。」
奥から、暖簾を分けるようにして豊子婆さんが出てくる。
もう70代半ばの筈なのだが、すこぶる元気なお婆さんである。
「正栄ビルに新しい店が出来るんで、これ、引越し蕎麦の代わりだそうです。」
おっさん、もう何度も口にした言葉を並び立てながら、例のポチ袋を手渡す。
「あ、はいはい、まあ・・・、それはそれはご丁寧なことで・・・。」
豊子婆さん、そう言って両手でポチ袋を受け取る。
そして、それを額のところへと持って行く、
まさに、拝領するという感じでだ。
「そ、そんな大袈裟なものじゃあないですよ。長さんところの蕎麦券が2枚入ってるだけで・・・。」
おっさん、それほどありがたいものではないという気持があって言う。
「いえいえ、とんでもない。まっこと、ありがたいことでして・・・。」
「ん?」
おっさん、意味が分からない。
「いえね、角田さんって言う方のお店でしょう?」
「ええ・・・、まあ・・・、そうですが・・・。」
おっさん、また不吉な予感がした。
豊子婆さんの口から、あの爺さんの名前が出たからだ。
「半月ほど前にここに来られましてね。」
「えっ! 来たって、誰が?」
「もちろん、その角田さんですよ。町村さんが案内されてて・・・。」
「えっ! 町村さん!」
おっさん、不吉な予感が当たったと思った。
「ええ・・・、それで、ここを間借りしたいって・・・。」
「ま、間借り?」
「ほら、ご承知の通り、うちは元々画廊だったでしょう?」
「ええ、そうですね・・・。」
「この1階もそうなんですが、2階も昔のまんまなんですよ。」
「ほう、そ、それで?」
「ですからね、その画廊として再度使わせて欲しいって・・・。」
「ええっ! が、画廊としてですか?」
おっさん、今時、こうした商店街で画廊が商売として成り立つとは思えなかった。
バブルの時代ならばいざ知らず、今は、絵画の売買もそれほど盛んではないだろう。
ましてや、ここは、地方都市の商店街だ。
絵を買うような客は皆無に近い筈。
「で、いくら出せば良いのかって訊かれたもんですから、私、町村さんにお任せいたしますって言ったんですよ。
どうせ、使っていないスペースですしね。画廊として使っていただけるのでしたら、私にとっても嬉しいことですし・・・。」
「・・・・・・。」
「そうしたら、月10万円でどうだろうって・・・。」
「えっ! 10万?」
「ええ・・・、それは、角田さんがそう仰って・・・。
で、私、ビックリしたんですよ。そんなに頂けるとは思ってもみなかったもので・・・。
3万円ぐらいでも・・・って思ってましたからね。」
「そ、それで?」
「はい、ですから、“こちらこそ、よろしくお願いいたします”って言ったんです。」
豊子婆さんは、そう言ってにっこりと笑った。
「心配じゃあなかったです? 来て、いきなりの話だったんでしょう?」
「あ、はい・・・。それは・・・。でも、町村さんがご一緒でしたし・・・、それに・・・。
「それに?」
「これは言って良いのかどうか分かりませんけれど、町村さんが、自分が保証人になるからって・・・、そう仰ったものですからね。」
「ええっ! あの町村さんが?」
おっさん、声が喉を通らなくなる。
(つづく)