第1章 爺さんの店は何屋さん? (その33)
『ネイルアートを無料サービス!!!』
看板には、大きくそう書いてあった。しかも、「無料」の部分は朱色だ。
で、その文字の1/4ぐらいの大きさの字で、「ただし、1万円以上お買い上げの方」とある。
「“がきだな”さんがオープンしたら、その日から、その子がここに常駐してくれることになってるの。」
トンちゃん、壊れんばかりの笑顔で言う。
「そ、それも、無料で?」
おっさん、その点も確認する。
「もちろんよ。まあ、“がきだな”さんとの間を行ったり来たりってことになるらしいんだけど・・・。
でもさ、ここに若い女の子がいてくれるだけで、お客が増えるでしょうしね。
楽しみにしてるのよ。」
「う、う~ん・・・、そう、上手く行くと良いんだろうけれどねぇ・・・。」
おっさん、もうそう言うしかない。
「駄目元だからね。」
トンちゃんは意に介さない。
「駄目もと?」
「そうじゃない? その話を受けたからって、こっちは1円の支出もしてないんだから・・・。
で、これで売上が上がったり、新しいお客が来てくれることになれば、儲け物ってことよ。
でしょう? だから、駄目元なのよ。」
トンちゃん、してやったりという顔をする。
まさに商売人の顔である。
「ま、まあ・・・、それはそうなんだろうけど・・・。」
おっさんは、まだどことなくしっくり来ない。
「あら、来週からなのね。よ~し! こっちも、気合を入れで頑張らなくっちゃ・・・。」
トンちゃん、今になって、ようやくそのポチ袋の中身を取り出している。
「小池さんも、来週になったら、どうせその子の顔を見に来るんでしょう?
その時、どうなっているか、楽しみにしててよ。」
トンちゃん、改めて自分の両手の爪に描かれた小さな絵を眺めながら言う。
「そ、そうするよ・・・。じゃあ、今日はこの辺で・・・。」
おっさんは、そう言って店を出ようとする。
「ああっっっ! 小池さん、待って!」
トンちゃんが呼び止めてくる。
「ん?」
「今の話、他の店には言わないでよね。何か、うちだけがズルをしたみたいに受け取られるの嫌だから・・・。」
「んん? そ、そんなことは・・・。」
「だって、これだけのネイル描いてもらったら、普通は3000円ぐらい取られるのよ。
それを無料でやってもらうんだし・・・。何か裏で取引したみたいに思われるの嫌なの。分かるでしょう?」
「ああ・・・、分かった。他言はしないよ。」
おっさん、そう言い残して店を出る。
「そ、それにしても、あの爺さん・・・。」
店を出たおっさん、また呻くようにそう言う。
(トンちゃんのところまで行っていたとは・・・。)
そうした思いがあるからだろう。
「大阪では、凄いことになってたらしい・・・」と言った会長の言葉が蘇ってくる。
もちろん、その「凄いこと」の詳細は分からない。
それでも、ここまで、つまりはほぼこの商店街の半分ほどを回ったのだが、もう何件かあの爺さんの話が出てきたのだ。
半月ほど前の来たという話もあったし、トンちゃんのように先週のことだという話もある。
いや、ラーメン店の兼田の話では、2ヶ月も前に店にやってきていたと言うのだ。
いずれにしても、来週から店を開くというあの爺さんが、そんな以前からこの商店街を歩いていたという事実は動かしようがない。
ひょっとしたら、既に、もうその「凄いこと」がこの商店街でも始まっているのではないか。
おっさん、全身に鳥肌が立ってくるような気がする。
(つづく)