第1章 爺さんの店は何屋さん? (その31)
「そ、そうですか・・・。はい・・・。」
若いウエイトレスはそう言う。
こっちの名前を再確認することもしない。これで、自分の役目は終わったという顔をしている。
(きっと、あの子、俺が来たことをマスターに言わないんだろうな。)
小池のおっさん、根拠はないものの、漠然とそう思った。
昔のウエイトレスであれば、信用も出来ただろう。
同じ店で何年も働いている人が多かったし、当然に、顔も名前もお互いが知っていたからだ。
今のように、単純にポチ袋を手渡すだけのことであれば、そうした人に気軽に頼めたものだ。
それでも、それがマスターに伝わらないってことはなかった。
それだけ、人間関係が緻密だった。
(いつの頃からなんだろう?)
おっさんは、商店会の衰退とそうした昔ながらの濃い人間関係が希薄になってきたこととが時期的に重なっているように思えてならない。
おっさん、再び商店街の向かい側へと行く。
後3軒で、商店街の南半分が終わるところまで来た。
「こんちわ。小池です。」
「ああ、いらっしゃい。」
出迎えてくれたのは化粧品店「ヤマノ」の店主、山野俊子である。
この店主も年齢は確か50代半ば。
だが、さすがに化粧品店をやっているだけのことはあって、見た目では40代でも十分通用するほどに若々しい。
この商店街では「トンちゃん」と呼ばれている人気者である。
「丁度良いところに来たわよ。
乳液の新商品が出たのよ。奥さんにどう? たまにはプレゼントしたら?」
トンちゃん、そう言って綺麗な箱を目の前に出してくる。
「ええっ! と、とんでもない。」
おっさん、その勢いに飲み込まれないようにと、そう応戦する。
「ど、どうしてよ。奥さん、喜ぶわよ。」
「そんなことをしたら、逆に疑われちゃうし・・・。」
「ん? そんな心当たりがあるの?」
「な、無いよ、無いから、プレゼントなんかしたら・・・ってことで・・・。」
「だったら良いじゃない? プレゼントしてあげなさいよ。小池さんだって、奥さんが美人になったら嬉しいでしょう?」
「ま、まあ・・・、それはそうだけど・・・。もう、無理じゃない?」
「あららら・・・。そんなこと言って良いの? 女は、幾つになっても綺麗でいたいものなのよ。
そうした女心を大切にしてあげなくっちゃ・・・。
ねっ! 安くしとくから、1本どう?」
「や、安くって・・・、それ幾らなの?」
「たったの1万2千円。」
「ええっっ! 1万2千円? と、とんでもない・・・。」
「安いものでしょう? 一杯飲むことを思ったら・・・。」
「そ、そんなあ・・・。」
「中商店街にあるスナックに通ってるらしいじゃない?」
「ええっ! ・・・。」
「1回行くと、5~6千円なんでしょう? その2回分よ。
奥さんが綺麗になったら、きっと家で飲むようになるわよ。
安い投資じゃない?」
「そ、それとこれとは・・・。」
「ま、あまり苛めないでおくわ。
ところで、何の御用だったのかしら?」
トンちゃん、おっさんが買ってくれる気配を見せないことから、そう言って本題に戻してくれる。
「ああ・・・、そうそう、これを配りに来たんだ。」
おっさん、そう言って例のポチ袋を取り出す。
「あっ! “がきだな”さんね。はいはい・・・。」
トンちゃん、そのポチ袋を見て、すぐにそう頷くようにする。
「えっ! 知ってるの?」
またまたおっさん驚くことになる。
(つづく)