第2章 タカシの夢はお笑い芸人? (その143)
「つまりは、『教えられる者の立場に立って教えてやれ』ってことだったようだ。
三半規管に生まれつきの弱点があった次男さんに、長男さんはそうした次男さんの弱点を知った上で、いや、知ったからこそ、さっき話したような思い切った指導を行ったんだ。
別に、鉄棒の実技を教えたのでもなく、単純に『頑張れば出来るようになる』と言った安易な励ましをするんじゃなくって、自分が屋上から飛び降りて見せるという荒業をすることで、次男さんの精神から、つまりは苦手な物事から逃げようとする気持ちを修正しようとしたんだ。
で、その結果、奇跡的に1回だけだが成功したんだ。
『そうした経験があるのに、どうしてその経験を生かした教え方が出来ないんだ』って、次女さんはそう言いたかったらしい。」
父親は「らしい」と連発することであくまでも聞いた話だという立場を崩してはいないが、聞いている孝にはどこか父親の脚色が入っているようにも思えてくる。
「じゃあ、それでその次男さん、三男さんにどう算数を教えたの?」
孝はその部分の結論を急ぐ。
「次男さん、次女さんにそう叱られて気がついたようでな。」
「な、何を?」
「まずは三男さんの弱点をしっかりと見つめようって思ったらしい。
長男さんが自分に鉄棒を教えるときに、三半規管が弱いっていう弱点を知っていたからこそ、自分もその教えを守ることが出来たってことを思い出したんだ。
それで、自分が持っていたドリルを使って、徹底的に三男さんが出来ない部分を炙り出したんだそうだ。」
「そ、それって、時間が掛かっただろうね。小学生の算数だと言っても、殆ど丸々1年分があったんだから・・・。」
「それはそうだ。だから、クリスマスも正月もぶっ飛ばして、そのドリルを三男さんにやらせることから始めたんだ。
最初、三男さん、嫌がったそうだ。何しろ苦手な算数ばかりが毎日だろ?」
「う~ん・・・、確かに・・・。」
孝もその三男さんの気持ちはよく分かる。
「それを感じた次女さんがこう言ったんだそうだ。『君は社長になりたいって言ってるんだからね』って。」
「ん? 社長? その三男さん、その頃から『社長になりたい』って言ってたの?」
「ああ・・・、そうなんだ。それは、お父さんも聞いたことがある。確か、国語の作文の時間に『僕の将来・私の将来』っていうテーマで書かされたことがあってな。」
「そ、その作文に『社長になりたい』って書いたんだ・・・。」
「ああ・・・、ま、そんな年齢のときは、皆、夢のようなことを書くもんだが・・・。
その三男さんの気持ちは本当だったらしい。
だから、今は、立派な運送会社の社長さんだ。」
「・・・・・・。」
孝、口には出せないが「凄い」と感嘆する。
自分の将来を公言し、そして、その公言を実現することはそう生易しいものではないことも分かりつつあったからだ。
世の中、そんなに甘くない。
「で、次女さん、『算数も出来ない人は社長になんかなれやしないのよ』って・・・。
その一言で火がついた。三男さんはそう言ってた。」
父親は、孝の顔の変化を目の端に止めながらそう言ってくる。
(つづく)