第1章 爺さんの店は何屋さん? (その17)
(へぇ~・・・、あんな紙を入れてたんだ・・・。)
小池のおっさん、先ほど見た和紙に書かれた挨拶文を思い浮かべる。
(そ、それにしても・・・、本当にタダで茶と菓子を出すんだろうか?)
どう考えても理屈に合わない話だと思う。
その点は、木村が言うとおりだ。
もし、それが事実だとすれば、一体何の目的で店を開くんだ?
まさか、ボランティアでそうした店をやるつもりじゃあ無いだろう。
確かに、「儲けるつもりは無いらしい」と会長から聞かされてはいる。
それでもだ。それは、「そんなに儲けることに固執しない」ということではないのか。
そう受け取るのがまともな商売人の感覚である。
赤字を出すのが分かっていて商売をする馬鹿はいない。
少なくとも、「収支トントン」が絶対条件になるだろう。
だとすればだ、他に何か収益を上げる方法が潜んでいるに違いない。
昔から、「タダほど怖いものは無い」と言う。
つまりは、その先に何らかの罠や落とし穴が待っていると教えたものだ。
「世の中、そんなに甘くは無い」と言う意味もある。
そう考えれば、もし、あの爺さんが町村氏の紹介でなければ、きっと「新たな詐欺のひとつ」とでも受け止めただろう。
それは、蕎麦屋の長さんが言ったとおりだ。
「おっと・・・。」
小池のおっさん、またまた隣の店の前を行き過ぎるところだった。
「こんちわ。商店会の小池です。」
昆布屋の田村の店頭である。
「は~い! いらっしゃいませ!」
出てきたのは若女将だった。
「これを配りにきまして・・・。」
「えっ! ああ・・・、引越し?」
「正栄ビルの角に新しいお店が入られたんで、これは、その店主さんからのご挨拶代わりってことで・・・。」
「ああ、そ、そうなんですか・・・。ご苦労様です。」
若女将、忙しいのか、おっさんが差し出したポチ袋を良く確かめもしないで受け取る。
「ご主人、お元気で?」
おっさんは顔見知りの若旦那のことを言う。
「ええ、お陰さまで・・・。でも、今の会社も不景気で、残業代も出ないってぼやいていますよ・・・。」
「た、確か、電気メーカーだったよね?」
おっさんは意外に思った。
不景気と言われて久しいが、それでも自動車と家電の業界だけは好調だと新聞で見たからだった。
「ええ、家電製品の部品を作ってる会社なんですが、最近はそうした部品も中国で作るのが多くなったようで・・・。」
「そ、そうなんですか・・・。ま、よろしくお伝えください。」
「あ、はい、分かりました。戻りましたら、そのように伝えます。」
「じゃあ・・・。」
それで、その昆布屋での話は終わった。
「そ、そうか・・・、どこも不景気なんだなぁ~・・・。」
店を出たおっさんはそう呟くように言う。
この昆布屋の若旦那、つまりは息子は、両親が営んできた昆布屋を継ぐつもりは無いらしい。
ここに住みながら、自分はサラリーマンの道を選んだ。
つまりは、昆布屋の置かれた状況から、将来性がないと思ったらしい。
そうした傾向は、この店に限らない。
この商店会の大部分で、後継者が居ない状況があるのだ。
それが理由で店を閉めたところが幾つもあった。
小池のおっさんが商店会に勤め始めた昭和50年代。
世の中は、高度成長期の真っ只中だった。
この商店街もそれはそれは活気に満ちていた。
休日ともなれば、50メートル先が見えないほどの買い物客で溢れていたものだ。
それなのに、今では200メートル先までがスカッと見通せるのだ。
それほどまでに、買い物客は激減した。
そんな商店街で店を継ぐ気になれないのはそれなりに理解できる。
悲しいことだが、それが今のこの街の実情である。
(つづく)