第2章 タカシの夢はお笑い芸人? (その106)
「それで、確かその初日だったと思うんだが・・・。」
父親はそう言ってからまた珈琲を一口飲む。
「ん?」
孝は、何を言われるのかと、過去の記憶の中を彷徨う。
「孝、自分で入れた珈琲が飲めないほどに不味かったのか、試飲した後でそれを流しに持って行って捨てようとしたんだ。」
「ああ・・・、思い出した! お、お爺ちゃんにこっ酷く叱られたんだ・・・。」
「覚えてたのか。」
「う、うん・・・。『お前は、自分の失敗の責任を珈琲に取らせるのか!』って・・・。」
「そ、そうだったな。それにしても、よく覚えてたもんだ。もう5年も6年も前のことなんだが・・・。」
「忘れてないよ。ううん、一生忘れられないかもしれない。」
孝は、一部、嘘を言う。
「忘れてない」というのは事実ではなかった。「殆ど忘れ去ってしまいかけていた」というのが正直なところだった。
ただ、こうして父親といろんな話をしている間に、「思い出す」という作業に慣れてきた、あるいは「記憶を再構築する」技術に長けてきたのかもしれない。
今の話でも、父親が一連の話の流れの中で孝の記憶を掘り起こしてくれたと言える。
だからこその「一生忘れられないかもしれない」なのだ。
「お爺ちゃんにそう言われて、孝、涙を流しながら、その自分で入れた如何にも不味い珈琲を飲んでた。そう、今と同じ、そこに座ってな。」
「・・・・・・。」
「あの涙、お父さんはお爺ちゃんに叱られたからなんだと思っていたんだが、どうやら違っていたみたいだな?」
「ん?」
孝、そう言われても自覚できない。
「それ以降、孝が珈琲を流しで捨てるのを見たことがない。つまりは、どんなに不味くってもそれを全部、一滴残らず飲み干していたってことだ。
いくらお爺ちゃんに『捨てるな!』って言われたからと言ってもなぁ~。
そこまで徹底するってのは、小学生にしたら、相当に根性が据わってたと言うべきなんだろう。」
「そ、そんなぁ~・・・。」
「お父さんは、『そのうちにギブアップするだろう、そして、結局はお母さんに入れてくださいって頼むんだろう』って思ってたんだ。
何せ、子供だものな。それもありかって思ってて・・・。」
「・・・・・・。」
「ところがだ。孝、いつまでたってもそうした気配を見せない。それどころか、次第に笑顔で珈琲を飲むようになったんだ。つまりは、自分が満足する珈琲が入れられるようになったってことなんだろう。」
「う~ん・・・、そ、そうでもなかったんだけれど・・・。」
孝は、その当時の自分を取り戻そうとする。
(つづく)