第2章 タカシの夢はお笑い芸人? (その105)
「それでも、孝、小学校の終わりぐらいまでは自分で入れることはしなかった。
そのことは覚えてるだろ?」
孝の思考が一段落したとみてか、父親がそう続けてくる。
「う、うん・・・。それは覚えてる。」
孝もそうしたことは記憶にあった。
「で、ある夜、お母さんが入れた珈琲が不味かったんだ。」
「・・・・・・。」
そう言われて、孝はその場面を思い出す。それほど印象に残る出来事だった。
「同じものを飲んだお父さんもそう感じたからな。あの時は、きっと、お母さん、豆の量を間違えたんだ。忙しいときだったからなぁ。」
「・・・・・・。」
「それなのに、つまりは、そうした忙しい最中にもかかわらずお母さんが入れてくれたんだ。お父さんは、いつもとは違うって分かりつつも、黙ってそれを飲むことにしたんだ。いちいち指摘することでもないって思ってな。」
「だ、だけど・・・、ぼ、僕は文句を言った・・・。」
孝はその場面を鮮明に描いている。
「ああ・・・、そうだったな。で、ついにお母さんが切れちゃって・・・。」
「あの時、僕、そんなに強く言った?」
「そ、そうだなぁ~、そうでもなかったんだが、たまたまお母さんの虫の居所が悪かったってこともあったんだ。忙しいのに入れたんだからって思いがあったんだろう。
で、『じゃあ、孝、自分で入れなさいよ!』ってことになって・・・。」
「う、うん・・・、そうだったね。」
「で、でも、お父さんは意外に思ったんだ。」
「ん? 何が?」
「お母さんにそう啖呵を切られて、お父さん、孝が謝るだろうって思ってたんだ。『ごめんなさい』ってな。」
「・・・・・・。」
「ところが、孝、『じゃあ良いよ。明日から自分で入れるから』って・・・。
あれは、まさに売り言葉に買い言葉。そうだったんだろ?」
「ま、まあ・・・、それもあったんだろうなぁ~・・・。」
「それでも、そこからが如何にも孝らしかった。本当に、その翌日からは自分で入れだしたんだからな。見よう見まねだったんだろうが・・・。」
「う、うん・・・。」
「自分で入れた珈琲、最初は不味かったんだろ?」
「・・・・・・。」
孝はそれを否定しなかった。その通りだったからだ。
自分で入れると宣言したものの、見ているのと自分でやるのとではまったく違うってことを嫌というほどに思い知った時期でもあった。
(つづく)