第2章 タカシの夢はお笑い芸人? (その93)
「無責任? う~ん・・・、どうなんだろう?」
父親は、孝の言葉に大きく首を傾げる。
「お父さん、そのとき、そうは思わなかった?」
孝は、当時の父親を自分に重ねて訊いている。
確かに、そうした進路相談のとき、親、とりわけ日頃から煙たい存在と意識する父親が同席することは、子供にとっては非常に重苦しい気がするものだ。
だが、だからと言って、その父親が来なければいいのにとはなかなか思い切れないのだ。
来なければ来ないで、その後、家庭の中でその結果や過程を詳細に報告しなければいけなくなる。
そうなれば、学校の先生が言った言葉や雰囲気を父親に正確に伝えることが困難になる。
で、結果として、「また、改めて考えよう」ってことになるからだ。
そう、結論の先送りが起こるだけになる。
孝も、同じ事を何度も経験してきた。
孝の場合も、そうした学校とのやり取りは、その大半を祖母、つまりはお婆ちゃんがやってくれていた。
仕事柄、両親は日中に学校に来ることが出来なかったからだ。
で、そうした先生との話合いの内容を祖母が両親に報告してくれるのだが、やはりそこには決定的な温度差があった。
つまりは、祖母の報告には孝を擁護する姿勢が至るところに散りばめられていたのだ。
「可愛い孫」という前提があったのかもしれないが、傍で聞いていても、お尻がもぞもぞとするようなことを並べてくれるのだ。
その一方で、厳しいことを指摘された部分ついては、まるでオブラートに包むようにして、如何にもさらっと言い流してくれる。
孝も、小学校の間は「それでいい」と思っていた。心地よかったからだ。両親が学校に来ないことを逆に喜ぶ側面すらあった。
だが、やはり中学に行くようになってからは、祖母が学校に来ることを多少は疎ましく思うようになっていた。
で、それを感じたのだろう。高校に入ってからは、誰も学校には来なくなっていた。
そのことを、孝は「うちの親は無責任」と思ったことはなかった。
ただ、事あるごとに父親から聞かされた「お前の人生だ、好きなように生きろ」との言葉が逆に重たく感じるようになったのも、その高校に入ってからだったように思うのだ。
「お父さん、お爺ちゃんのことを無責任だと思ったことはない。それどころか、逆に責任をひとりで背負って大変だなぁって感心していたぐらいだ。」
父親は、孝の疑問にそう答えてくる。
(つづく)