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夕暮れだけ繋がる不思議なラジオで、顔も知らない君に恋をした話 ~陰キャ地味子の私が「近寄りがたいイケメン」に溺愛されるまで~

作者: uta
掲載日:2026/05/01

# 午後6時、君の声だけが届く


## 第一章 存在しない周波数


「——誰か、聞こえていますか」


最初、私は自分の頭がおかしくなったのかと思った。


祖母が亡くなって、二週間。

私は実家の片付けを手伝うために、久しぶりに帰省していた。


埃っぽい押入れの奥。

古い段ボール箱の中から、それは出てきた。


真空管ラジオ。


木製の筐体は年季が入っていて、所々塗装が剥げている。ダイヤルは錆びつき、電源コードは布製の古いタイプ。


(こんなの、動くわけないよね……)


そう思いながら、私はなんとなくコンセントを探した。


祖母が大切にしていたものだから。

せめて、最後に一度だけ。


スイッチを入れる。


午後6時ちょうど。

窓の外が茜色に染まる、夕暮れ時だった。


ザザザ……。


砂嵐のようなノイズ。それだけだと思った。


——聞こえて、いますか。


「……え?」


声だ。


低くて、少し掠れていて。

どこか諦めたような、けれど耳に残る響き。


思わず、ラジオに顔を近づける。


「今日も、誰も聞いてないんだろうな」


独り言のようだった。

誰かに向けて話しているというより、ただ、吐き出しているような。


「就活の面接、また落ちた。三次で。笑えるよな、最終まで残って期待させといて」


知らない人の、知らない人生。

なのに、その声は妙に胸に刺さった。


「まあ、どうせ俺なんか——」


「——聞こえてます」


気づいたら、私は叫んでいた。


ラジオに向かって。


返事なんて返ってくるはずがない。

これはただの放送で、私は一方的に聞いているだけで——


沈黙。


ノイズだけが、かすかに鳴っている。


(あ、やば。完全に変な人じゃん私……独り言叫んでる系の……)


後悔が押し寄せてきた、その瞬間。


「……え?」


声が、震えた。


「嘘だろ。誰かいるのか? 本当に?」


「い、います……多分」


「多分って何だよ」


少しだけ、声に温度が戻った気がした。


(……会話、できてる?)


心臓がどくどくと鳴っている。

何が起きているのか分からない。でも、確かにこの声は——私の言葉に反応している。


「あの、これ……何ですか? どこのラジオ局?」


「知らない。俺も分からない。爺ちゃんの遺品のラジオで、夕方だけ電源入れてるだけだ」


遺品。

祖父の。

夕方だけ。


——私と、同じだ。


「……私も、祖母の遺品のラジオなんです」


長い沈黙が流れた。


窓の外では、夕陽がゆっくりと沈んでいく。オレンジ色の光が部屋を染め、古いラジオの木目を優しく照らしていた。


「なあ」


「はい」


「名前、聞いていいか」


「……水瀬、です。水瀬結月」


緊張で声が震えた。

顔も知らない相手に、本名を教えている。

冷静に考えたらおかしいのに、なぜかこの声には——嘘をつきたくなかった。


「俺は——ハル。ハルでいい」


ハル。

本名なのか、あだ名なのかは分からない。

でも、その響きは不思議と耳に馴染んだ。


「ハル、さん」


「さん付けはいい。なんか、むず痒い」


「じゃあ……ハル」


「——うん」


その声は、さっきまでの諦めたような色が、少しだけ薄れていた。


窓の外の空が、オレンジから紫に変わっていく。


「また明日、この時間」


「……聞こえるか分からないけど」


「聞こえたら、応えるから」


プツン、とラジオが切れた。


午後6時47分。夕暮れの終わり。


私は古いラジオを抱きしめたまま、しばらく動けなかった。


——これが、全ての始まりだった。



***



翌日。


私は落ち着かない気持ちで一日を過ごしていた。


大学の講義も上の空。ノートを取る手も止まりがち。

頭の中はずっと、昨日のラジオのことでいっぱいだった。


(本当に、また繋がるのかな……)


祖母の家から持ち帰った古いラジオ。

今は私の部屋の机の上に置いてある。


午後5時50分。

私はスマホのアラームより早く、ラジオの前に座っていた。


午後6時ちょうど。


スイッチを入れる。


ザザザ……。


「——今日、大学でさ」


ハルの声だ。


繋がった。

本当に、また繋がった。


「ゼミの発表で、教授にボロクソ言われた」


「え、大丈夫?」


思わず声が出た。


「……お前、今日もいるのか」


少し驚いたような声。でも、どこか安堵しているようにも聞こえた。


「いるよ。約束、したでしょ」


「……そうだったな」


沈黙。

でも、気まずい沈黙じゃない。


「で、教授に何言われたの?」


「まあ、いつものことだ。あの人、俺のこと嫌いだし」


「……それは辛いね」


「別に。慣れた」


淡々とした声。


でも私は、昨日からの短いやり取りで、もう分かり始めていた。


ハルの「別に」は、本当に平気なときの言葉じゃない。

本当は傷ついているのに、それを認めたくないときの——防御壁みたいなもの。


「あのね、私も今日、ちょっと嫌なことあったんだ」


「何」


「ゼミの発表……皆の前で質問されて、頭真っ白になっちゃって」


「それで?」


「しどろもどろになってたら、後ろの方で笑い声が聞こえて……」


ああ、また惨めな話をしてしまった。


こんなの聞いても、つまらないだけなのに。

元カレにも「お前の話、つまんない」って何度も言われた。


「——その笑った奴ら、顔覚えとけ」


「え?」


予想外の言葉に、思考が止まる。


「いつか見返してやればいい。お前が正しいことを、証明すればいい」


ハルの声は、いつもより少しだけ強かった。


「俺は……お前の発表、聞いてみたいと思った」


「……どうして?」


「ちゃんと伝えようとしてるのが、今の話だけで分かるから」


心臓が、どくんと鳴った。


「言葉を選んで、相手に届くように話そうとしてる。それ、できない奴の方が多いんだ」


「そんな……私、全然、上手く話せないのに」


「上手い下手じゃない。伝えようとする気持ちがあるかどうかだろ」


——ああ。


この人は、どうしてこんなことを言えるんだろう。


私は地味で、普通で、何の取り柄もない。


元カレにだって「お前といても退屈だった」と言われた。


振られた日のことを、今でも鮮明に覚えている。


『なんでお前と付き合ってたんだろうな、俺』


『マジで時間の無駄だったわ』


その言葉が、ずっと胸に刺さっていた。


私には魅力がない。

一緒にいてもつまらない。


それが、私だと思っていた。


なのに。


「ハルって、不思議だね」


「何が」


「顔も知らないのに、私のこと……ちゃんと見てくれてる気がする」


長い沈黙。

ノイズだけが、微かに聞こえる。


「……俺も、お前に言われて思った」


「何を?」


「俺の話を聞いてくれる奴、いなかったなって」


切なそうな声。


「愚痴とか、弱音とか。そういうの、誰にも言えなかった。言っても『お前が悪い』『甘えるな』って返されるだけだから」


「……うん」


「でもお前は、『大丈夫?』って聞いてくれた。それだけで、なんか——」


言葉が途切れる。


「なんか?」


「……いや、何でもない。忘れろ」


「えー、気になる」


「うるさい。忘れろって言ってんだろ」


照れ隠しだ。


声だけでも、分かる。


(——可愛いな、この人)


そう思ってしまった自分に、驚いた。


顔も知らないのに。

声しか知らないのに。


私は少しずつ、この不思議な繋がりに——心を傾けていた。



## 第二章 夕暮れだけの秘密



それから、毎日が変わった。


午後6時。


私は必ずラジオの前に座っている。


どんなに忙しくても、どんなに疲れていても。

この時間だけは、絶対に外さない。


「——今日、変な夢見た」


ある日のハルの第一声。


「どんな夢?」


「空を飛ぶ夢。でも途中で羽がなくなって、落ちる」


「それは……怖い夢だね」


「別に。夢だし」


また「別に」だ。


でも私は、もう騙されない。


「私ね、高いところ苦手なんだ」


「へえ」


「だから飛ぶ夢は見ないんだけど……追いかけられる夢はよく見る」


「誰に」


「分からない。でも、必死に逃げてるの。いつも」


「……お前も、色々あるんだな」


「色々って言うか……普通のことだと思うけど」


「普通じゃないだろ。そんなに追い詰められてる夢、しょっちゅう見るなんて」


ドキッとした。


そうか。

普通じゃ、ないのか。


「……私、あんまり自分のこと、好きじゃないのかも」


「何で」


「取り柄がないから。地味だし、面白いこと言えないし、一緒にいても楽しくないって言われたし」


「誰に言われた」


「元カレ」


沈黙が流れた。


ノイズが、少しだけ大きくなった気がした。


「……そいつ、バカだな」


「え?」


「お前の話、面白いだろ。少なくとも俺は、毎日楽しみにしてる」


心臓が、跳ねた。


「楽しみ……?」


「ああ。この時間が、一日で一番マシだ」


「マシって……」


「褒めてんだよ。分かれ」


不器用な言い方。


でも、その不器用さが——嬉しかった。


「……ありがとう」


「礼を言われることじゃない」


「ううん、嬉しいの。そう言ってもらえるの」


「……そうか」


短い返事。


でも、声が少しだけ柔らかくなった気がした。



***



一週間が過ぎた。


二週間が過ぎた。


気づけば、一ヶ月が経っていた。


「——なあ、結月」


ハルが私の名前を呼ぶとき、少しだけ声が低くなる。


最初は気づかなかったけど、今ははっきり分かる。


「何?」


「お前、普段何してるんだ」


「普段? 大学行って、講義受けて、図書館で本読んで、帰ってくる……くらい」


「友達は」


「一人だけ。紗希って子。同じゼミなんだけど、すごく良い子でね」


「へえ」


「ハルは? 友達、いる?」


長い沈黙。


「……いない」


「え」


「いないって言っただろ。聞こえなかったか」


「聞こえたけど……なんで?」


「……面倒くさいんだよ。人と関わるの」


ぶっきらぼうな声。


でも、その奥に——寂しさが滲んでいる気がした。


「じゃあ、私がハルの友達になる」


「……は?」


「ダメ?」


「ダメって言うか……お前、俺の顔も知らないだろ」


「知らなくても、友達にはなれるでしょ」


「……変な奴」


「変かな」


「変だよ。普通、顔も知らない相手に『友達になろう』なんて言わない」


「そっか。じゃあ、私は普通じゃないんだね」


沈黙。


そして——小さな笑い声が聞こえた。


「……ぷっ」


「え、笑った?」


「笑ってない」


「笑ったでしょ今!」


「笑ってないって言ってんだろ」


「絶対笑った。ちょっと『ぷっ』って聞こえた」


「空耳だ」


「嘘つき」


「……うるさい」


でも、声が笑っている。


冷たいと思っていた声が、今は——とても温かい。


「なあ、結月」


「うん」


「……友達で、いいのか」


「え?」


「いや、何でもない。忘れろ」


また、はぐらかされた。


でも、その言葉の意味を——私は考えずにはいられなかった。


友達で、いいのか。


それは、どういう意味だったんだろう。


私の心臓が、少しだけ速く鳴っていた。



## 第三章 大学の幽霊



「ねえ結月、最近なんか楽しそうじゃない?」


大学のカフェテリア。


紗希が訝しげに私を見ている。


ショートカットに派手めのメイク。ギャルっぽい見た目だけど、中身はすごく優しくて、観察眼が鋭い子だ。


「え、そう?」


「そうだよ。っていうかスマホ見る回数減ったし、なんか目がキラキラしてる」


「き、キラキラ……」


「恋でもした?」


ズバリと核心を突かれて、私は思わずコーヒーを吹きそうになった。


「してない!」


「嘘〜。その反応は完全にしてるやつじゃん」


「だから違うって……」


(恋、なのかな。顔も知らない相手に……)


そんなことを考えていたら、視界の端に見覚えのある影が映った。


篠宮春陽。


学内で有名な「近寄りがたいイケメン」だ。


長身で整った顔立ち。黒い髪は少し長めで、切れ長の目は常に何かを睨んでいるように見える。


でも、いつも一人でいて、誰とも話さない。


「冷たい」「怖い」と囁かれているのを、何度か聞いたことがある。


彼が窓際の席に座り、鞄から何かを取り出した。


——古い、ラジオ。


心臓が、跳ねた。


「ねえ紗希」


「ん?」


「あの人、何してるか分かる?」


「篠宮? さあ……いつも一人で何かいじってるよね。あれ何、ラジオ? 今時レアじゃん」


ラジオ。


古い、ラジオ。


(まさか——)


いや、偶然だ。


ラジオを持ってる人なんて、他にもいるかもしれない。


でも。


「……昨日さ」


篠宮春陽が、隣の席の誰かに話しかけられていた。


無表情のまま、短く何かを答えている。


「——三次面接、落ちたんだよね」


その言葉が、耳に飛び込んできた。


三次面接。


落ちた。


昨日、ハルが言っていたのと——同じ。


「結月? 顔、怖いけど」


「え、あ、ごめん。なんでもない」


「なんでもないって顔じゃないでしょ。篠宮が気になるの? やめときなよ、あいつ学内で『氷の王子』って呼ばれてるんだから」


「氷の王子……」


「話しかけても無視されるし、女子が告白しても全部断ってるらしいよ。感情ないんじゃないかって噂」


感情がない。


——嘘だ。


もしあの人がハルなら、私は知っている。


彼がどれだけ優しい言葉を持っているか。


どれだけ不器用に、でも確かに、人の痛みに寄り添えるか。


「……ちょっと、見てくる」


「は? 結月!?」


紗希の制止を振り切って、私は席を立った。


篠宮春陽の近くを通り過ぎる。


さりげなく、でも確実に。


彼が手にしていたのは、真空管ラジオ。


木製の筐体に、古いダイヤル。


私の祖母のラジオと、よく似た——


その瞬間、彼が顔を上げた。


目が、合った。


黒い瞳。冷たいと言われる、その目。


でも私には、どこか寂しそうに見えた。


「……何か」


低い声。


「あ、いえ……すみません」


逃げるようにその場を離れる。


心臓がうるさい。


(声が、似てる——)


でも、確信は持てない。


声だけで人を断定なんて、できない。


その夜。


午後6時。


「——今日、変なことがあった」


ハルの声が、ラジオから流れてきた。


「何があったの?」


「大学で……女子に、じっと見られた」


心臓が、止まるかと思った。


「どんな子?」


「知らない。眼鏡かけてて、髪を一つに束ねてた。地味な……いや、地味って言うと失礼か」


——私だ。


「すぐ逃げてったから、何だったのか分からないけど」


「……そう、なんだ」


「まあ、俺に話しかけてくる奴なんていないし。見間違いかもな」


違う。見間違いじゃない。


私は今、確信に近づいている。


ハルは——篠宮春陽かもしれない。



***



翌日から、私は篠宮春陽を意識せずにはいられなくなった。


講義棟ですれ違うとき。


図書館で見かけるとき。


カフェテリアで一人、本を読んでいるのを見るとき。


その度に、心臓がドキドキする。


(本当に、彼なのかな……)


確かめたい。


でも、怖い。


もし違ったら、恥ずかしい。


もし本当だったら——今までの関係が、壊れてしまうかもしれない。


顔も知らないからこそ、本音を言い合えていた。


それが、分かってしまったら。


「——結月」


その夜のラジオで、ハルが言った。


「最近、様子がおかしくないか」


「え、そう……かな」


「声のトーンが違う。何かあったのか」


声だけで、分かるんだ。


私の変化が。


「……ちょっと、考え事してて」


「何の」


「……言えない」


「そうか」


追及してこない。


でも、声が少し——寂しそうだった。


「ハル」


「何」


「私たち、会ったらどうなるのかな」


長い沈黙。


「……会いたいのか」


「分からない。でも、最近……会いたいって、思うことがある」


「……俺も」


「え?」


「俺も、会いたいと思うときがある。でも——」


「でも?」


「会ったら、魔法が解けるかもしれないだろ」


魔法。


そう、これは魔法みたいなものなのかもしれない。


夕暮れ時だけ繋がる、不思議なラジオ。


顔も名前も知らない、声だけの関係。


「……怖い?」


「怖いって言うか……」


「うん」


「お前が、俺のことを嫌いになるかもしれない」


「そんなこと——」


「俺は、お前が思ってるような人間じゃないかもしれない。冷たいって言われるし、感情がないって言われる。実際、人と関わるのが苦手で、いつも一人だ」


その言葉が、胸に刺さった。


篠宮春陽の噂と、重なる。


「でも」


ハルの声が、少しだけ震えた。


「お前と話してるときだけは、そうじゃない気がする。俺にも、ちゃんと感情があるって——思えるんだ」


涙が出そうになった。


「……私もだよ」


「え?」


「私も、ハルと話してるときだけ、自分のことを嫌いじゃなくなれる。私にも、ちゃんと価値があるって——思えるの」


沈黙。


ノイズの向こうで、ハルが息を呑んだ気がした。


「……結月」


「うん」


「俺たち、どうなるんだろうな」


「分からない。でも——」


「でも?」


「私は、ハルに出会えて良かったと思ってる」


「……俺も」


夕暮れの空が、窓の外で紫色に染まっていく。


私たちは、顔も知らないまま——確かに、心を通わせていた。



## 第四章 退屈じゃない



「よお、結月」


最悪の声が、後ろから聞こえた。


柊一真。


私の、元カレ。


端正な顔立ちに、そつない社交性。女性人気が高くて、いつも取り巻きに囲まれている。


でも私は知っている。


この人の本性を。


「……何」


「冷たいな。久しぶりに会ったのに」


「用がないなら、行くから」


「待てよ」


腕を掴まれる。


力が強くて、痛い。


「最近、変わったよなお前。なんか、イキイキしてる」


「……離して」


「誰かいい男でもできた? それとも——」


彼の目が、どこかを見た。


私の後ろ。


振り返ると、篠宮春陽がいた。


遠くのベンチで、一人、本を読んでいる。


「まさか、篠宮? あの根暗?」


「……関係ない」


「はは、お前らしいよ。俺みたいな明るい奴より、ああいう陰気なのが好きなんだ」


「一真には関係ないって言ってる」


「なあ、やり直さないか」


突然の言葉に、思考が止まった。


「は?」


「俺、やっぱお前が必要だわ。他の女は派手なだけでつまんねえし」


「……何、言ってるの」


「戻ってこいよ。お前には俺しかいないだろ」


頭が真っ白になる。


この人は、私に何を言ったか覚えていないのか。


「退屈」だと。


「一緒にいてもつまらない」と。


そう言って、私を捨てたのに。


「俺がいなきゃ、お前なんか——」


「——うるさい」


声が出た。


自分でも驚くほど、はっきりと。


「お前のために言ってんだぞ? 感謝しろよ」


「感謝?」


笑いが込み上げてきた。


怒りじゃない。呆れだ。


「私を『退屈』って言ったの、誰だっけ」


「それは——」


「私が自信なくしたの、誰のせいだと思ってるの」


「お前が悪いんだろ。もっと俺を楽しませる努力しなかったから——」


「違う」


遮った。


足が震えてる。声も震えてる。


でも、言わなきゃ。


「私は——退屈なんかじゃない!」


周囲の視線が集まるのを感じた。


でも、もう止まれない。


「私の話をちゃんと聞いてくれる人がいる。私の言葉を、ちゃんと受け止めてくれる人がいる」


「は? 誰だよそれ」


「あなたには関係ない。でも、その人のおかげで分かった」


胸を張る。


「私は、退屈じゃない。つまらなくなんかない。——私の価値を分からないあなたが、見る目がないだけ」


一真の顔が、歪んだ。


「お前……調子乗ってんじゃねえぞ」


「乗ってない。やっと、本当のことが言えただけ」


一歩、後ろに下がる。


腕を振り払う。


「もう関わらないで。私、前に進むから」


「っ……お前なんか、どうせすぐ——」


「彼女が嫌だと言っている」


低い声が、割って入った。


篠宮春陽が、いつの間にか近くに立っていた。


「誰だよお前」


「……関係ない」


「邪魔すんな」


「帰れ」


短い一言。


でもその目には、有無を言わせない迫力があった。


一真は舌打ちして、去っていった。


「……大丈夫か」


「あ、はい……ありがとう、ございます」


篠宮くんの目が、私を見ている。


冷たいと噂される、その目。


でも、私には——優しく見えた。


「さっきの……『退屈じゃない』って」


「え?」


「いい言葉だと、思った」


彼は、それだけ言って去っていった。


夕暮れの光が、彼の背中を照らしている。


その夜。


午後6時。


「——今日、すごい女の子を見た」


ハルの声が、いつもより明るかった。


「どんな子?」


「元カレっぽい奴に絡まれてたんだけど……『私は退屈じゃない』って、叫んでた」


心臓が、跳ねる。


「あんなふうに、自分の言葉で戦える人」


「……うん」


「俺は——そういう人を、知ってる」


ハルの声が、優しくなった。


「毎日、夕暮れに話してる。俺の話を聞いてくれて、『大丈夫?』って言ってくれる人」


「……ハル」


「今日の彼女、ちょっとその人に似てたんだ」


涙が出そうになった。


——ハルは、篠宮春陽だ。


もう、疑いようがなかった。



## 第五章 夕焼け色の答え合わせ



決めた。


私は、会いに行く。


祖母が残してくれた言葉を、思い出す。


『本当に届けたい言葉は、ちゃんと届くものよ』


結月、あなたは臆病になりすぎ。


大切な人には、ちゃんと自分から伝えなさい。


——おばあちゃん。


私、勇気を出すよ。


午後5時50分。


大学の屋上。


普段は立ち入り禁止だけど、今日だけは——どうしても、ここじゃなきゃダメだった。


夕陽が一番綺麗に見える場所。


私は祖母のラジオを持って、フェンスの近くに立っていた。


夕陽が、空をオレンジ色に染めている。


怖い。


会ったら、今までの魔法が解けてしまうかもしれない。


声だけの関係だったから、うまくいっていただけかもしれない。


でも——


午後6時。


ラジオのスイッチを入れる。


ザザザ……。


「——結月」


ハルの声。


「今日、話したいことがある」


「……私も、あるよ」


「お前から言えよ」


「ハルから言って」


「……俺は」


彼の声が、少し震えていた。


「俺は、お前に会いたい」


心臓が、大きく鳴る。


「会ったら、魔法が解けるかもしれない。俺のことを、嫌いになるかもしれない」


「……うん」


「でも——会いたいんだ。お前の顔を見て、声を聞いて、ちゃんと名前を呼びたい」


涙が、頬を伝った。


「……私も、同じこと思ってた」


「本当か?」


「うん。だから——後ろ、向いて」


沈黙。


そして、足音が聞こえた。


屋上の扉が開く音。


私は、振り返った。


夕暮れの光の中、篠宮春陽が立っていた。


その手に、古いラジオを握りしめて。


「……嘘だろ」


彼の目が、大きく見開かれている。


「あの時の……『退屈じゃない』って言ってた——」


「うん」


「お前が、結月?」


「うん。私が——水瀬結月」


彼の顔が、歪んだ。


泣きそうな、笑いそうな、複雑な表情。


「——ずっと、会いたかった」


「私も」


「声だけで、好きになってた」


「……私も、だよ」


夕陽が、二人を照らしている。


オレンジ色の光が、彼の黒い髪を染め、切れ長の目を優しく見せていた。


「俺、篠宮春陽。——ハルで、いい」


「知ってる。ずっと前から」


「は? いつから」


「カフェで見た時。ラジオ持ってたでしょ」


「……お前、それで」


「うん。気づいてて、でも怖くて——」


彼が、一歩近づいた。


「怖いのは、俺も同じだった」


「……うん」


「でも、もう怖くない」


彼の手が、私の手を取った。


温かくて、少し震えている。


「結月」


初めて、本当の声で名前を呼ばれた。


直接聞く彼の声は、ラジオ越しよりもずっと——優しくて、温かかった。


「ハル——ううん、春陽」


初めて、本当の名前を呼んだ。


「俺の隣に、いてくれ」


「……うん」


夕暮れの空が、一番綺麗なオレンジ色に染まっていた。


二つの古いラジオが、最後の役目を終えたように、静かにノイズを止めた。


私たちは、ずっと手を繋いだまま——沈んでいく夕陽を見つめていた。



## エピローグ 夕暮れの約束



三ヶ月後。


「ねえ、ちょっと聞いた!?」


紗希が目を輝かせて駆け寄ってきた。


「何?」


「柊、彼女に浮気バレて派手に振られたらしいよ。しかもその現場がゼミの教室で、皆に見られたって」


「……へえ」


「『俺がいなきゃ何もできない』とか言ってたの、全部自分に返ってきてんじゃん。ウケる」


因果応報、という言葉が頭に浮かんだ。


「結月はもう関係ないもんね。てか、マジで篠宮と付き合ってるの? 学内で噂になってるよ」


「……うん、まあ」


「あの氷の王子が、あんたの前でだけ笑ってるって有名なんだけど」


「笑って、るかな……」


「笑ってるって! この前見たもん。あんたがコケそうになった時、めっちゃ優しい顔で支えてたし」


思い出して、顔が熱くなる。


「あ、噂をすれば」


振り返ると、春陽が立っていた。


「……迎えに来た」


「うん、ありがとう」


「おお〜、お迎えとかイケメン〜」


紗希が冷やかすけど、春陽は無視して私の手を取った。


「行くぞ」


「うん」


——午後5時45分。


私たちは、いつもの屋上に向かう。


「今日も、見るか」


「うん」


二人で並んで、夕暮れの空を見上げる。


もうラジオは使っていない。


隣にいるから、必要ない。


でも、午後6時になると自然とここに来てしまう。


私たちが出会った時間。


私たちが繋がった時間。


「なあ」


「何?」


「俺、お前に会えて良かった」


不意打ちの言葉に、心臓が跳ねる。


「……私も、だよ」


「俺のこと、最初どう思った?」


「怖い人、だと思ってた」


「だろうな」


「でも、声を聞いて変わった。優しくて、不器用で、一生懸命な人だって」


「……それ、お前も同じだろ」


「え?」


「地味で普通だって言ってたけど、全然違った」


春陽の目が、私を見る。


「お前は——退屈じゃない。一緒にいて、ずっと飽きない」


「……っ」


「これからも、隣にいろ」


「——うん」


夕陽が沈んでいく。


オレンジから紫へ、空の色が移り変わる。


「春陽」


「ん」


「好き」


「……俺も」


短い言葉。


でも、彼の手を握る力が強くなった。


——これは、黄昏時だけ繋がる不思議なラジオが結んだ、二人の物語。


顔も知らない声から始まった恋は、今、隣で笑い合う日常になった。


そして、毎日の夕暮れが——世界で一番好きな時間になった。


祖母の言葉を、私は一生忘れないだろう。


『本当に届けたい言葉は、ちゃんと届くものよ』


——ありがとう、おばあちゃん。


ちゃんと、届いたよ。


夕暮れの空が、世界を優しいオレンジ色に染めていく。


春陽の手を握りしめながら、私は思った。


これからも、毎日この時間を——この人と一緒に過ごしたい。


それが、私の——夕焼け色の願いだった。



(完)

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