『自分の方が優秀』と吹聴していた第二王子、証明の機会を与えられて何もない領地に放り出される
テーブルに並べられた豪華な軽食に、よく磨かれたワイングラス。
生けられた色とりどりの花は、卒業の門出にふさわしく生き生きと咲き誇り。
楽団は何時でも演奏できるよう、姿勢を揃えている。
そんな中、先に会場内で卒業生たちを出迎える在校生たちは、ひそひそと囁き合っていた。
「ねえ、ベルローズ殿下は、やはりエトワール様をエスコートされるのかしら……?」
ユリア・エトワール男爵令嬢。
艶やかなピンクブロンドの髪に、大きな若草色のくりっとした瞳。少し幼げな庇護欲をそそるような顔立ちは、何とも愛らしいと評判だ。
元は平民だった彼女だが、聖女の証である刻印が手の甲に現れたことで教会によって保護。さらにその立場を強固にするために、エトワール男爵家に養子に入った、という経緯がある。
聖女という立場に奢ることなく博愛と慈愛に満ち、さらに努力家。さらに慣れない貴族社会に早く溶け込もうとするユリアの姿は、多くの者に好感を抱かせるには充分だった。
それはこの国の第一王子ゼフィール・ベルローズも例外ではなく、何かと話しかけては気を遣う場面が、数多くの生徒に目撃されている。
それは年度末が近くなる頃には頻繁になり、もしかしたら卒業パーティのエスコートも……などという噂が出る始末。
「そんなことないわよ。だってベルローズ殿下にはヴァレンティナ様がいらっしゃるじゃない」
エリサ・ヴァレンティナ公爵令嬢。
真っすぐな銀色の髪に、青を湛えた切れ長の瞳。その容姿は、見る者に感嘆の溜息を落とさせる程の美貌の持ち主だ。さらには成績優秀でマナーも完璧。淑女の鏡と名高いエリサは全生徒の憧れの的と言っても過言ではない。
彼女とゼフィールの婚約が結ばれたのは12歳の頃。学園内でも互いを尊重し合うお二人の姿もまた全生徒の憧れでありまた目標でもあったのだが……。
「でも最近ではご一緒にいらっしゃらないじゃない?」
誰かがそう囁いた通り、エリサは一人きりでいることが多くなっていた。隣に、そして向かい側にいた筈のゼフィールの姿はなく。
「確かにそうですが……婚約破棄をなさるという噂もありますわね」
「そんな、このような場所で? まさかお相手は……」
不穏な噂がひそひそと咲き誇るのを聞きながら、ゼフィールの一つ下の弟、第二王子ヴィクター・ベルローズは嗤いを堪えるのに必死だった。
(愚かな兄上。聖女などに入れあげるからこうなるのですよ)
そんな心の内を表に出すようなヘマはしない。
『初めまして、エリサ・ヴァレンティナと申します』
優雅で綺麗なカーテシーをしてみせたエリサに、ヴィクターは一瞬で心を奪われた。そして胸中を満たすのは、激しい嫉妬。
既に兄ゼフィールの婚約者として内定していては、自分がどうこうできる訳はない。ゼフィールに何らかの欠点でもあればそこから付け込む隙はあるが、彼は非常に優秀かつ人格者で非の打ちどころがない。
その事実もまた、ヴィクターをイラつかせて止まなかった。
自分は所詮スペアでしかない。ゼフィールがこの世に存在する限り、日陰者として生きるしか道はないのだ。
ゼフィールは優しく『兄として』接してくるが、どうせ内心では見下しているのだろう。人の劣等感を刺激して何が楽しい? 人格者に見せかけた、狡猾な人格破綻者だとヴィクターはじわじわと悪意を胸中で燻らせていた。
そんな中、聖女ユリアがゼフィールと同学年に編入したと聞き、これは『使える』と思った。
まずゼフィールに『教会と王家との繋がりを強固にすべく、聖女様を気にかけた方が良いのでは?』と吹き込んでやる。すると思惑通り、ゼフィールは何かと聖女ユリアを気にかけるようになった。
その様子に内心で大笑いしながら、エリサが一人きりになる所を見計らって『兄上は聖女だからと言って、ユリア様を気にかけ過ぎております』と憤ってみせる。
彼女が儚げな笑顔で『ゼフィール様はお優しいから仕方がないわ』と言うのに舌打ちをしそうになるのを懸命に堪えて、気づかわしげな表情を作り『私ならエリサ様にそのような想いをさせないのに……』と呟くように言ってみせる。さらに『いえ、何でもありません。忘れてください』と付け加えるのも忘れない。
そうして周りに『ベルローズ殿下と聖女ユリアが最近親しいご様子だ』とあくまで伝聞で噂を撒けば、面白いくらいに尾鰭が付いてくれた。
それにつられたのか、ゼフィールとユリアは逢瀬を繰り返し、エリサの表情は曇るばかり。もちろんそれを見逃すことなく、甘い言葉をかけて慰めてやれば、彼女は「ありがとうございます」と微笑んでくれた。
こちらを見る眼差しに熱が籠っているのは、決して気のせいではないだろう。
(舞台は整った。兄上がこの場で婚約破棄を宣言し、傷心のエリサ様に婚約を申し込めば……)
愛しい人と王太子の座、両方を手に入れることが出来る。
王命による婚約を一方的に破れば、ゼフィールは間違いなく廃嫡の後追放。あの澄ました顔が絶望に歪むのを想像しただけで、背筋がぶるりと震えた。
(エリサ様と婚約したら、私に依存するよう仕向けて差し上げよう。その身も心も私に従属するように……)
などという思いをおくびにも出すことなく、冷静な表情のままその時を待っていると。
「卒業生、入場」
その声と共に、在校生たちの騒めきは静まりかえった。
楽団が穏やかな音楽を奏でると同時に、両開きの扉が静かに開かれる。
最初に入場したのは、紺の礼服を身に纏ったゼフィール。胸元にはサファイアが嵌め込まれたタイピンが輝いている。
そして彼がエスコートしているのは、婚約者であるエリサ。その身に纏うのは、ゼフィールの目の色と同じ紫色のドレス。柔らかな光沢が動く度にさりげなく煌めき、ふんわりと広がるスカートに彩りを添えていた。
「あら、やっぱり噂は噂でしかなかったのね」
「お似合いのお二人だわ。あの華やかなこと」
ひそひそと安堵にも似た囁き声の中、ヴィクターは目を驚愕に見開いていた。
(何故だ!? あの二人の仲はもう冷え切っている筈ではなかったのか!?)
だってそうなるように仕向けたのは、他ならぬ自分なのだから。
上手くいっていないなかったのか? いや、エリサが自分を見る目には、間違いなく恋慕の熱が宿っていた筈。
土壇場で裏切ったのか? とぎり、と奥歯を噛みしめていると、ユリアが入場するのが見えた。その身に纏うのは、聖女のみが着ることを許された白いローブドレス。過度な装飾はないが、袖口やスカートに施された繊細な刺繍や淡い宝石がさりげなく輝き、聖女らしい高貴さと慎ましさを際立させていた。
そんなユリアをエスコートしているのは、レオン・グレイヴ。騎士の礼服を纏った彼は、生真面目な表情を崩さないままだったが、そのエスコートはユリアを気遣った丁寧なものだった。
「まあ、騎士科のグレイブ様よ」
「ユリア様の護衛をする『聖騎士』の道をお選びになったのね」
素敵じゃない? と色めきたつ淑女たち。それを他所にヴィクターは痛い程拳を握り締めた。
グレイブ家は代々優秀な騎士を輩出していることで有名。もちろんレオンも例外ではなく、非常に優秀な成績を修めていた。よって取り込んでおいて損はないと、彼が次男という立場を元に良い縁談を紹介してやるという口実で声をかけてやったにも関わらず、冷静かつ丁寧に断られたことがある。
(いつか家ごと叩き潰してやる筈だったのに、聖騎士になっては手が出せない……!)
当然だ。聖騎士に仇なすなど聖女に、そして教会に喧嘩を売るに等しい。
それが分からない程ヴィクターは愚かではない、その筈だった。
ぎりぎりと拳を握り締めている間に、自身の父母である陛下と王妃が最後に入場し、音楽が静かに終わる。
「皆の者、まずは卒業おめでとう。この良き日に……」
陛下が祝いの言葉を述べているが、ヴィクターの耳には入らない。
この後どう動くか、それだけを整理するのに頭を目まぐるしく働かせるので精一杯だった。
「……」
それを冷たく見据える視線が、すぐ近くから発せられていることに露程も気付かずに。
「一月後、ゼフィールの立太子の儀、そしてエリサ・ヴァレンティナ嬢との婚礼の儀を執り行うこととする」
応接間。
陛下の宣言に、ゼフィールとエリサは「拝命いたしました」と最上級の礼をするのを凝視し、ヴィクターは震える拳を抑えるので精一杯だった。
これによりゼフィールが次期国王となり、エリサが王妃となるのは決定事項。異を唱えることなど出来る筈がない。
(何故上手くいかない!? 兄上などよりも、私の方が……)
ぎりぎりと奥歯を噛みしめていると、陛下の視線がこちらを向いた。
「そしてヴィクター。お前の処遇だが」
処遇?
思わず目を見開くと、陛下は自分と同じ紫色の瞳を狭めて口を開く。
「学園を退学し、臣籍降下とする」
瞬間。
言われたことの意味が分からなかった。いや、分かるのだが脳が理解を拒否している。
それが見苦しいと分かっていても、止めることが出来なくて。
そんな自分の内情など知らぬとばかりに、陛下は言葉を続けた。
「同時に、ノエミ・クローデル嬢との婚約を解消とする」
隣にいた令嬢……ノエミ・クローデルが「承りました」と礼をする。
長いストレートの黒髪に大きな赤い瞳。顔の造形は整っているものの、髪と瞳の色合いのコントラストがどうにも不気味だとヴィクターは思っていた。だから、彼女が学園始まって以来の才女だと称えられ、淑女としても完璧だと褒められようとも、それがどうした、という感想しか抱けなかった。
ヴィクターにとっての最愛はエリサであり、彼女以外の令嬢など目に映す価値はなかったのだから。ただ厄介な婚約を結ばされただけ、とそう思っていた。
だから定期的に開かれるお茶会も出向いたことはなかったし、プレゼントや手紙などは言うまでもなく送らなかった。向こうからは何も言われなかったし、陰気な顔を見なくて済むから丁度良いと放っておいた。
よって彼女との婚約が解消されるのは喜ばしいのだが、エリサが手中に収められない今となっては意味などないどころかむしろ。
「ベルローズ殿下とは、もう公式でお会いすることはないでしょう。どうかお元気で」
淡々と別れの挨拶を述べられ、苛立ちが沸き起こる。
顔を向けて睨みつけるが、赤い瞳は怯むことなくこちらを静かに見返して来た。それがまた苛立たしい。
それを他所に陛下は話を続けていく。
「婚約時の契約通り、解消はこちらの都合となるためクローデル嬢個人に対して慰謝料を支払うこととする」
そのまま話は事務的に続き、婚約解消の話はまとまった。ノエミが「失礼いたします」とカーテシーを披露して、応接間を後にしたところでヴィクターはようやく我に返る。
(私は学園を退学され臣籍降下、そしてノエミとの婚約も解消された。ならば私に残るものは……!?)
そう整理して、ざあっと血の気が下がった。
その様子に陛下は小さく溜息を吐く。
「ようやく己の置かれた状況に気付いたか。この愚か者め」
冷たい視線が、容赦なくヴィクターを射抜いた。
「それもこれもお前の浅はかな行動が招いた結果だ。ゼフィールがエリサ嬢を蔑ろにし、聖女であるユリア嬢に懸想しているなどと噂を流し、陥れようとしたことなどとうに調べがついておる。さらにそれに付け込む形でエリサ嬢に言い寄り、婚約者に成り変わろうと画策するとは……恥を知れ」
静かに恫喝され、ヴィクターは膝の上で痛い程拳を握り締める。
エリサは目を伏せて視線を合わせないようにしているし、ゼフィールは静かな怒りを瞳に湛えてヴィクターを見据えた。
「で、ですが……兄上がエトワール嬢と接触していたのは紛れもない事実で」
「立太子の儀の項目『聖女による祝福の儀』についての打ち合わせと、卒業後の『巡礼の儀』の道筋の見直しを話し合っていたのだが。そしてその話し合いにはグレイヴ殿と、侍女候補の女生徒たちも同席していた。お前は都合の良いところしか見えていないのだな」
反論はゼフィール自身によってばっさりと斬り捨てられる。
「そもそもお前にはクローデル公爵令嬢という婚約者がいたというのに、何故大切にしなかった? それが政略のためであっても、王族の婚約とはそういうものだ。しかし互いに歩み寄り尊重し合い、良好な関係を築き上げることが出来た筈。それは婚約者に限ったことではなく、人間関係を良好にするためには必要不可欠なことだ。私はお前に幾度となく注意を促していたのだが……本当に都合の悪いことは耳にも入らぬのだな」
「……っ」
ヴィクターの拳がわなわなと震えた。
ぐわり、と怒りが沸騰し胸の内を焼く。が、それを表に出せば状況は悪化するだけ。
「そんなお前を此処に置いておけば学園に、そしてエリサにも悪影響でしかない」
「よって、一代限りの爵位を与え、王都から離れた土地を貸し与えることとする」
後を引き継いだ陛下が、何時の間にか広げられた地図に、書鎮を静かに置いた。ことり、という音が妙に重く響く。
その場所は王都から馬車で約一週間かかる程の遠さだった。
しかし。
「この土地は、何もないじゃないですか!?」
そう、ヴィクターの言う通り、この土地には文字通り『何もない』。観光になるような名所もなく、特別な地形も鉱石も見当たらない土地だ。山や丘、岩や森もなく、地面はどこまでも似たような土や砂が続いており、ただ広がっているだけの場所として存在している。
「こ、このような場所で、どうしろと!?」
「何を言っておる?」
詰め寄らんばかりのヴィクターに、陛下は目を眇めた。
「お前は常日頃から、『自分は誰よりも優秀だ』と吹聴しておるではないか」
「……っ」
目を見開くヴィクター。
それを真っすぐに見据え、ゼフィールが口を開く。
「『私は兄上よりも優秀』なのだろう? それが嘘ではない、と『今度こそ』証明するチャンスじゃないか」
せいぜい励んでみせろ、と締められ、ヴィクターは愕然とした。
自分が言ったことに追い詰められている。
それをまざまざと実感しつつ、ヴィクターは虚ろな目で天井を見上げた。
(終)




