クリスマスのあとに(1)
寒さが身に染みる十二月、マフラーに顔を埋めながら帰路を辿っていた倉科マイは進行方向に見知った者の後ろ姿を発見した。茶色のダッフルコートをしっかりと着込み、さらにはマフラーで首元をぐるぐる巻きにしているのは小笠原ユウという少年だ。ユウはマイの家の隣の隣に住んでいる『ご近所さん』で、現在はクラスメートでもある。家まであと二分という距離ではあったが、マイはユウに駆け寄って声をかけた。
「ユウ」
マイが軽く背中を叩くとユウはよろけながら顔を傾けてきた。振り向いた彼の顔が眠そうに見えるのは、冬に限らず一年中のことだ。
現在中学二年生のマイとユウは家が近所というだけでなく、同じクラスで隣の席に座っている。しかし少し前まで、彼らの関係は友達未満の『ご近所さん』だった。彼らの付き合いの距離は知り合ってから五年という歳月に見合わず、徒歩一分足らずという両家の間よりも開いていたのである。だが今年の夏に、マイはユウのことをちょっと好きになった。それ以来、マイはユウの姿を見つけるととりあえず構うようになっていた。
「痛い」
ユウは叩かれた背中に手を回しながらマイに文句を言った。おそらくは痛みを感じている部分をさすろうとしているのだろうがユウは体が硬く、また厚着をしているので背中に手を回す姿には無理が見える。不恰好なユウを笑い飛ばしたマイは、そのまま彼の文句もさらりと聞き流した。
「寒いねぇ。何かあったかいもの食べたい」
マイが世間話をしながら歩き出すと、ユウも渋々といった風に従った。合流したのがすでにお互いの家が見えている地点だったが、二人は並んで歩く。
「そういえばユウ、クリスマスパーティー行く?」
十二月二十四日が終業式であり、マイ達のクラスはその翌日にクリスマスパーティーをやる予定になっていた。とは言ってもどこかの店を借りて盛大にやるのではなく、いつものように教室に集まって慎ましやかに騒ぐだけだ。マイは当日、調理担当として参加することが決まっていた。しかしユウは、にべもなく即答する。
「行かない。寝る」
ユウは睡眠を至福とする類の人間である。この答えも予想の範疇であり、マイは苦笑いを浮かべた。ここで話を終わらせても良かったのだが、まだ少し家まで距離があったので、マイはクリスマスの話を続ける。
「調理部のみんなとケーキつくるんだよ。でっかいやつ」
自宅のオーブンでは無理だが、担任が家庭科教室の使用許可を取ってくれたため、マイは調理部に所属する数人のクラスメートと大きなケーキを作ることになっていた。料理が好きなマイはそれだけでもうワクワクしていて、ユウの反応など二の次に話をしていたのだが、それまで無反応だったユウがふと反応を示したので首を傾げる。
「もしかしてユウ、甘いもの好きなの?」
「好き」
「そうなんだ? じゃあ、おいでよ。一緒にパーティー行こう?」
「余ったら持ってきて」
ケーキは食べたいが睡眠時間は削られたくない。言外にそう明言したユウは家に辿り着くと、さっさと姿を消してしまう。ユウが返事も待たずにいなくなってしまったため、マイも呆れながら自宅の門扉をくぐったのだった。
十二月二十五日、クリスマス。夕方から始まるパーティーの準備のため、マイは数人のクラスメートと共に昼過ぎから家庭科教室で奮闘していた。マイは調理部には所属していないが普段から炊事をしているため、料理はお手の物である。そのため、何かイベント事がある時にはこうして駆り出されるのだった。
「けっきょく、何人来るの?」
「先生入れて三十六だったかな? ほぼ全員だね」
マイの問いに答えたのは小学生の時からの友人である北沢朝香だった。調理部に所属している彼女は手際よく作業を進めながら話に応じてくる。マイもまた計量を続けながら考えを巡らせていた。マイ達のクラスは生徒総数が三十六名である。担任教師を入れてクラスの人数ということは、どうやら参加しないのはユウだけのようだ。
「小笠原君って謎だよね」
卵白を泡立てるカチャカチャという音に紛れ、朝香の零した呟きが聞こえてきた。どうやら彼女も、ただ一人クラスの行事に参加しない者のことを考えていたようだ。ユウの本質を何となく知っているマイは謎というほど大したもんでもないと思い、朝香の呟きに対して苦笑いを浮かべた。
「ケーキ食べたいって言ってたから、もしかしたら来る……かも」
ユウの弁解をしつつも、マイは半ば以上来ないだろうと確信していた。何故ならユウには協調性というものがなく、彼にとっては他人との交流よりも惰眠を貪ることの方が大切だからだ。
「甘いもの好きなんだ? なんか、意外」
卵白を泡立て終えた朝香は手を止めてマイを見た。フルーツを刻む作業に取り掛かっていたマイはいったん手を止め、すでに卵黄を泡立ててあるボウルを朝香に渡す。阿吽の呼吸で進むマイと朝香のケーキ作りは非常に順調で、他の料理に取り掛かっているチームも着々と準備を整えているようだった。
生地が焼きに入ると、朝香は生クリームを取り出した。ボウルを渡されたので、マイは生クリームの泡立てを始める。バトンタッチしてフルーツを切る作業に移った朝香は包丁を動かしながら話を続けた。
「マイってさ、いつも小笠原君と何話すの?」
「んー、別に。ふつうに話してるだけだよ?」
「その普通っていうのが謎だよね」
「そうかな? あんまり自分から喋るタイプじゃないけど話しかけて無視されることはないし。ふつうだよ」
生クリームの方に神経を使っていたマイは半ば上の空で朝香との会話をしていた。そのうちに朝香も作業に集中したらしく、二人の間には沈黙が流れる。そうこうしているうちにも時間は着々と過ぎ去っていて、初めは和やかなムードに包まれていた家庭科教室も夕闇が迫る頃には戦場へと姿を変えていた。




