太陽のにおい(2)
七月の下旬、マイとユウの両親、その他ご近所の仲良しグループは二泊三日の伊豆旅行へと出発した。当日の昼食からでいいとユウの母親に言われていたため、マイは正午の少し前に自宅から一軒先の小笠原家を訪れた。
(そういえば、ユウの家にあがるのって初めてだな)
ユウの母親から預かった鍵で玄関を開け、マイはユウの部屋があるだろう二階を目指した。一軒家の場合、子供部屋は上階にあることが多い。例に漏れずマイの部屋も二階にあるため、彼女はユウの部屋も二階だろうと安易な想像をしていたのだった。しかし二階に上がってみても、扉にはプレートらしきものがない。加えてどの扉も閉ざされていたため、マイは仕方なく一部屋ずつノックをしながら覗いて行くことにした。
「……ユウ?」
ユウの部屋と思しきインテリアの部屋はあったのだが、そこにもユウの姿はなかった。けっきょく二階にはいなかったため、マイはこもっていた夏の熱気を逃がしてから階下へと移動する。ひとまずキッチンに行こうとリビングに足を踏み入れたマイは、そこでユウの姿を発見した。さきほど換気をしてきた二階だけでなく、ユウのいる一階も窓は全て閉まっている。にもかかわらず冷房もつけず、ユウはリビングのソファーで眠りこけていた。
(よくこんな中で寝られるなぁ)
二階よりはマシだったものの、日陰部分の多い一階も十分に夏の太陽に熱せられている。息苦しくてたまらなかったマイはとりあえず窓を開け、それからユウのいるソファーに近付いた。やはりこれだけ暑いと寝苦しいようで、ユウは顔を歪めながら眠っている。起こさないと死ぬかもしれないと思ったマイは、とりあえずユウの体を揺さぶってみることにした。
「ユウ、起きなよ」
しばらく呻き声を発し続けた後、ユウはゆっくりと目を開けた。泳いでいた視線がマイに固定されると、ユウは重そうな頭を抱えながらソファーの上で体を起こす。
「何で、いるんだ?」
「おばさんから聞いてないの? 食事、つくりに来たんだけど」
「……ああ……」
ユウが眠気を覚ますように頭を振ると汗が四方に飛び散った。しっかり直撃を食らってしまったマイは自分のものではない汗を手の甲で拭いながら呆れた声を出す。
「どんだけ汗かいてんのよ」
「……シャワー、浴びてくる」
のろのろとユウが立ち上がったので、マイは手短に昼食の注文を聞いた。何でもいいとの答えが返ってきたため冷やし中華で済ませることにして、マイはユウの家のキッチンへと向かう。夏場らしく、冷蔵庫には冷やし中華に必要な材料が一通り揃っていた。もしかするとこうなることを見越して、ユウの母親が残していってくれた物かもしれない。気を遣う性質のユウの母親ならそのくらいのことはやりそうだと思いながら、マイはさっそく調理を開始した。
鍋にたっぷりの水を汲み、まずはそれを火にかける。水が沸騰する間に用意するものは卵焼き・キュウリ・ハムだ。ささっと焼いた卵焼きから粗熱が取れるのを待つ間にキュウリやハムを刻み、少し冷えたら卵焼きも細長く刻む。トッピングが完成して麺を茹でる段階になるとシャワーから戻って来たユウがキッチンに姿を現した。
「美味そう」
「すぐできるから、リビングで待ってなよ」
料理は時間との闘いである。麺の固さを調節するのも揚げ物をカラリと揚げるのも時間勝負だと思っているマイは、鍋から目を上げないままユウをリビングへと追いやった。マイが真剣であることを見て取ったのか、ユウは無言で彼女の言いつけに従う。その後、納得のいく出来映えで冷やし中華を完成させたマイは、それをリビングへ持って行くと同時に悲鳴を上げた。
「ちょ、なんて格好してんの!」
「……下は履いてるじゃん」
「上! 何でもいいから着てよ!」
上半身裸だったユウは渋々といった面持ちで腰を上げ、リビングから姿を消した。戻って来た時にはTシャツにハーフパンツと見られる格好になっていたため、マイはホッと息を吐く。
「暑いなら冷房入れれば?」
マイが提案してみてもユウは首を振りながら食卓についた。マイもそれほど暑いとは感じなかったので、それ以上は勧めずにユウの対面に腰を下ろす。食事をとっている間は特に会話もなかったため、静かな室内には麺をすする音のみが響き渡っていた。
夕食は何がいいかとユウに尋ねたところ、またしても「何でもいい」との答えが返ってきた。ので、マイはカレーをつくることにして午後六時過ぎに近所のスーパーへと出掛けた。買物に費やした時間は約三十分。メニューはすでに決まっていたが店内が買い物客で賑わっていたため、レジで予想外の時間を食ってしまったのだ。小笠原家に辿り着いたのは午後七時になろうという頃だったのだが、ユウの家はマイが日中に見た時と何も変わっていなかった。もう夕暮れも終わるというのにリビングの窓は開け放したままになっていて、電気もついていない。そしてユウは、相変わらずソファーで眠りこけていた。
(これじゃ泥棒に入られるよ)
明日はもう少し頻繁に様子を見に来なければならない。手間が増えたことを察したマイはため息をつき、小笠原家のキッチンへと移動した。カレーは煮込むのに時間がかかるためユウを起こすことはせず、マイは手元を照らす明かりだけで作業を開始する。
「……まだ?」
「うわっ!!」
てっきり寝ているとばかり思っていたユウが突然声をかけてきたので、驚いたマイは包丁を取り落としそうになった。慌てて握りなおし、マイは一息ついてから顔を上げる。
「おどかさないでよ。起きてるなら電気くらいつければいいじゃん」
「カレー?」
「そう。文句ある?」
「好きだから。文句はない」
「じゃあ、あっちで座って待ってなよ。もう少しかかるから」
マイが邪険にリビングを指差すと、ユウは素直に頷いて戻って行った。しかしいつまで経っても電気がつかなかったので、不審に思ったマイは鍋をかき回しながらリビングを振り返る。
「ユウ? 電気つけないの?」
返答はなかった。訝しく思ったマイは火を弱火にし、鍋を気にしながらもリビングへ行ってみる。するとユウは、大人しくソファーに座っていた。しかしその首は垂れ、返事がないところを見ると眠っているようだ。
「よく、そんなに寝られるよね」
呆れた独白を零してみても、寝入っているユウからは反応が返ってこない。深々とため息を零したマイは鍋を火にかけていることもあり、ユウのことは捨て置いてさっさとキッチンへと戻って行った。




